Ossan's Oblige "オッサンズ・オブリージュ"

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

サービス業者から受けるサービスの質を上げる方法。

サービスを受ける側と与える側では考え方が異なる。
同じ対価でサービスの質をあげることは、受け手にとっては利益の増加だが、与える側にとっては負担の増加だ。
同業者が多いと、
サービスを与える側は、競争のために値引きせざるを得ないが、
サービスを受ける側は、サービスを安く買い叩くことができる。

サービス業は、受ける側と提供する側で立場が真逆なのである。
最近よく思うのだが、サービス業の提供者と顧客は、常に利益を巡ってせめぎ合っている。


しかし、サービスを与える側と受け取る側とで完全に一致するものがある。それは「お金の重要性」。

当然のように、サービスの提供者は、「意思や愛」に基づいてサービスを提供するわけではない。
生活のために、いわば「仕方なく」やっているのであり、目標は顧客から対価を受け取ることである。
そうした事情を汲み取って、顧客も「有償」でサービスを受けとる。

そしてサービスの対価についても、両者の思惑が反対であることはいうまでもない。
サービスの提供者は「サービスの対価」を最大化したがるし、顧客は「支払い」の最小化を目指す。
日本では馴染みが薄いが、海外ではこうした立場の違いが「交渉」などの行動に発展したりする。



そうだと言ってしまえばそれまでなのだが、時としてこの考えの違いがサービスを不当なものに変えてしまう。

料金を巡る提供者と顧客とのせめぎ合いの中で、顧客側が優位に立てばサービスを安く買い叩ける。
しかし、サービスの提供者に優位が発生した場合、何が起きるだろうか?
価格が不当に釣り上げられるのである。

例えば飲食業なら、本来なら請求されないようなサービス料が、チップなどと称して料金に上乗せされる。
宿泊業なら、相場を隠したまま不当な高額請求がなされたりする。


しかし分野によっては、それだけでは済まない。こうした請求が「医療や教育」の場面に適用されたらどうなるか?
医療や教育は、サービスの提供が継続することが多い。飲食業や宿泊業とは違って、一度や二度では済まない。
要は、過剰請求が行われると、むしりとられるのである。
医師が継続的に利益を上げられるように誘導が行われるのである。

例えば、医療業界で患者に提供される薬の多くは、病気の原因を断つことを目指していない。
一時的に病気の症状を緩和し、患者を苦痛から解放することを目的としている。
これは患者を一瞬で治すよりも、病を継続させたまま、症状を感じなくなる薬を繰り返し投与した方が、利益が大きいという医療業界の判断なのだとか。
だから、現代医療の多くは詐欺と言うこともできる。
医療業界に騙される患者が後をたたないのは、医者と一般人の知識ギャップが大きすぎて是正されないまま、常識として放置されているためだ。
知識ギャップのために医者に優位が生じた結果、「病気をこじつける」不当な診療が行われている節さえあるのである。(もちろん現代医療は人類を病や苦痛から救っている貢献は大きく、近代医学のすべてを否定するつもりもない。それにふさわしい知識も経験もない。)

また、医師の中には、医療処置をわざと失敗させ、再診や治療を繰り返すことで利益を増やそうとする腐った人間も存在している。


では、こうしたサービス業者から顧客が身を守るにはどうすればいいのだろうか?

それは相手にリスクを認識させることだ。
前述の通り、サービス提供者の優先項目は概ね金なのだから、サービス意識の低さが収益の低下につながることを深く認識させてやればいい。

とても簡単だ。
名刺をもらい、所属と名前を読み上げるのだ。
例えば医師の場合なら、出会い頭に名刺をもらい「〜病院の〜さんですね。今日はよろしくお願いします。」とでも言えば医師の意識に緊張感を与えられる。
相手に与えるサービスの質が低ければ、口コミを通して所属病院の評価が落ち、病院全体の収益が損なわれかねない。
病院に通う人が減れば、医師の収入も落ちるのだから、意図的な誤診など行えるはずもない。

価格は、提供者側に優位が生じれば、釣り上げられるリスクを持つ。
名刺で名前と所属を読み上げることによって、担当者と組織の評価は連動され、担当者個人のミスが組織全体のミスと見なされることを教えてやる。
そうなると簡単には間違いを犯せなくなる。サービスを怠れば、結果的に自分の収入が減るのだから。
そうであれば、組織の評価を保とうと、より一生懸命にサービスを行ってくれるはずだ。


医療などの場面では、どうしても医師と患者の知識格差が起きるのだが、名刺確認というプレッシャーによって、医師に生じる優位を妨害することができる。