気になったことなど

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

共産主義の嘘

すでに歴史的に否定され尽くしている共産主義がが、ゆとりの目に映った共産主義の虚構を(小並感)でまとめてみたいと思う。

まず共産主義は前提に間違いが見受けられる。
共産主義の歴史発展の概念において、私有制が普及する以前の原始的な状態(原始共産制)は、争いや奪い合いのない理想的な状態とされ、この状態へ回帰することが目的とされている。
しかし、この画像を見れば原始共産制が平和だなどということはできないだろう。
私有制が未発達の状態とは、人々の階級が未区分であり、つまり農耕が普及していないということ。
原始共産制が、狩猟採集時代のことを指すなら、それだけ飢餓のリスクが高く、限られた食料を巡る奪い合いは日常の出来事だったのだと思う。

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日本史における原始共産制、つまり縄文時代にも、平和だったとされる一般論とは裏腹に争いは多発していた。
原始共産制が平和などというのは虚構に過ぎない。


また、共産主義の目的とは、階級を否定して平等を実現し、資源の平等な配分を実現すること。
そのために、まず共産主義者は、革命によって政権を奪取する必要があると考えた。
しかし、階級の平等を実現しようとしているのに、前の為政者から政権を簒奪してトップに座ろうというのはどういうことだろうか。
それでは階級制度は継続したままだ。階級を残すということは配分の不平等を伴うのだから、いずれ再び共産主義革命が起こるだろう。

その様相はさながら、天を目指して農民反乱の相次いだ中国史であり、彼の国と共産主義の相性が良かったことには納得がいく。
しかし、中国史と精神構造が似ているということは、政権が安定しないということだ。

要するに共産主義は、革命の円環理論であり、革命を起こした後のことについて考えられていない不完全な思想である。

以上、2つからゆとりの目には共産主義が虚構のように思えた。

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