Ossan's Oblige "オッサンズ・オブリージュ"

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

入国〜セブ島のコロンストリートまで

セブ島で治安の悪いことで有名なコロンストリートについて書いてみたい。

セブ空港に着いたのは深夜で外は真っ暗。フィリピンは治安の悪さで有名なので、犯罪を警戒して空港で朝まで過ごすことにした。
国際線の出口から空港のDomestic Depatureまで移動。そこにある休憩所で朝まで過ごし、明るくなったことを確認してからタクシーでセブ市内に向かう。
タクシーの窓から眺める。新しい国の景色は興味を引くものばかりだった。どうしたことか。ここはインドに似ている。インフラはほとんど一緒だ。じゃあ、ご飯は?サービスは?人は?
気になったことは多かったが、空港でのうたた寝で疲れが全く回復してなかったので、ダイレクトに安宿まで移動することにした。

ジュエルと語る陽気なおっさんに、安宿への移動を求める。

「マクタン島とセブ市内を結ぶ橋は日本の協力で作られたんだ。俺たちはみんな日本が大好きさ。」そんな会話をしていた記憶がある。
10分ほど経つと、なんだかニューヨークを老朽化させたようなマーケットに入った。
事前調査なしだったので後から知ることになるのだが、この地域は、セブでも最も治安の悪いコロンストリートだったのである。
後からインターネットを調べるとネット世論はたいてい「コロンストリートには足を踏み入れるな!」で一致している。
実際に被害にあった方は見当たらないのだが、なぜかヤバイという評価が定着している。

そんな普通の日本人旅行者なら避けるようなコロンエリアに、幸か不幸か入り込んでしまったである。泊まったのはストリートの脇にあるGOLDEN VALLEY HOTEL
あちこち陥没したボロボロの道を、薄汚い格好の人々が歩いていく。貧困層の街というのは事実かもしれない。
そんなストリートの道から小道に入ってしばらく進んだ先にそのホテルはあった。まるで貧困街の喧騒から身を隠すように立地しているそのホテルは随分立派で豪華に見えた。
ビジネスマンが宿泊しても恥ずかしくないだろう。

実際、ホテルに入ると、受付のお姉さんもガードマンもかなり愛想がよい。ボディーガードはにこやかでホテルクラークもフレンドリー。
受付のお姉さんの英語はとても綺麗で高級ホテル並みの待遇に感じた。
フィリピンには欧米統治時代があるせいか、ホテルマンには上品な人が多い。

一泊1400ペソの部屋でシャワーを浴び、正面のセブンイレブンで初のフィリピン飯を食べて、睡眠を取った。
フィリピン飯はなんというかパサパサしている。肉や魚はほとんど原型を保っており、それに塩やソースで味付けしただけのものが多い。それを(インドほどではないにせよ)パサパサしたご飯と一緒に食べる。食文化としては結構原始的(なのかな?)

目がさめると時刻は夕刻。現地調査として夜の街へと足を運んだ。

結論から言うと、このコロンストリートには、ネットに書かれているような危険な感じはしなかった。
インターネットでは、一人歩きは死を意味するだとか昼でも危険だとか散々な言われようである。果たしてこの評判は本当に正しいのか。自分は全てが正しいとは思わなかった。
たしかに付近には貧困者のスラムもあるので、貧困層の割合は多いのだろう。だから夜などに一部のエリアが危険地帯と化すのは分かる。クスリも蔓延しているらしく、巻き込まれる危険性まで考えると確かに危ない。金を持った外国人には、スリやタカリで金を奪いにくる者もいるだろう。
だからコロンストリートを危険視する人たちの意見を変えようとかいうつもりはない。
危険の感覚はひとそれぞれだし、それは不可侵なものだ。自分だってクスリは怖い。

とはいえ、昼間のコロンストリートまで「歩けないほど危ない」とするのは間違いだと思う。

昼間は現地の中流層の姿も見える。
街には、中流向けのモールもあるし、ストリートにはフランチャイズの店が多く並び、普通の人たちが働く風景が観察できる。
昼〜夕方には、学生の姿もある。それもヤンキーチックな底辺学校ではなく、どちらかというと中流層の子弟に見えた。
昼間のコロンストリートでは、中流層の波に押されて貧困層たちは脇のスラムに隠れているように見えた。夜中を過ぎるとこれが逆転してくるのだろう。

ということで昼間のコロンストリートは「歩けないほどではないよ」と私は思いました。
もちろん誰に対しても責任は取れません。コロンストリートへの立ち入りは自己責任でお願いします。