Ossan's Oblige "オッサンズ・オブリージュ"

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

最新鋭の武器を使え

カールマルクスによると、生産手段の水準(社会の下部構造)が上昇すると、人々の間に生じる意識(思想、道徳、宗教に先立つ社会の上部構造)が揺らぎ、新しい価値体系が作られるとされます。要するにインターネット革命の時のように、イノベーションが社会の常識を覆すということでしょう。

実際に歴史を振り返ってもその傾向は明らかです。
大航海時代、またそのきっかけとなったオスマン帝国の拡大は、ともにモンゴル帝国との接触を通して得た「火器の獲得」が根底の条件でした。
航海術を獲得して新大陸にたどり着いても、肉弾戦で戦ったのでは数の優劣やで敗色が濃厚であり、植民地支配などできるはずもありません。
しかし火器の登場により、数の優劣をカバーできるほどの武力を獲得したことで、西洋諸国はアメリカ先住民を支配します。

ルネサンス宗教改革も「印刷術」の普及なくして起こりえませんでした。
教会に対する反抗を企てても、口伝では勢力拡大の段階でつまずいたはずです。

また信用経済がはじめて起こったのは、製紙法を最初に確立した中国でした。

そうであれば、現代においてインターネットやVRの登場によって、可能になった行動や思想は無数にあり、我々の社会は転換点を迎えつつあるといえるでしょう。
インターネットやVR登場以前の常識は、もはや通用しないといってよいはずです。

実際に、最近の私たちは読書もタブレットで行うようになり、新聞や書籍も活躍の場を失いつつあります。
ショッピングもAmazonなどのショッピングサイトが普及した結果、電子商取引きが浸透し、地域の消費を圧迫しています。
アマゾンは、インターネットという最新鋭の道具を使って年をおうごとに商圏を拡大し、世界中の富を貪っています。

世界中の流通を独占する勢いの彼らを批判する向きもありますが、ルールの上で戦っているのですから、「勝ち組」と認めざるをえないはずです。

勝ち組の彼らを批判して引きずり降ろそうとする努力は、確実に実らないとわかりきっているのですから、そうでなく、私たちが最新鋭のインターネットという武器を使って勝ち組に回るべきです。
世の中は、格差の二極化が叫ばれていますが、直近で世の中を変えたのは間違いなくインターネットです。
富と同義になりつつある証券の取引を拡大させたのもインターネットです。

したがって、現代の勝敗を分けるのは、インターネットの使用に対する抵抗感の有無であり、格差を分ける要因もまた同じでしょう。
そして今度はVRの普及が起きようとしている。

歴史を見ても、最新鋭の武器をいち早く使いこなした勢力が天下を奪っています。
織田信長、ナポレオン、オスマントルコ大航海時代アメリカ合衆国など、実例は枚挙に暇がありません。

批判するのは、変化に適応してからにしたいものです。