気になったことなど

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

日本女性がかわいいを追求する理由について考えてみた

日本には平等を重視する伝統があるが、一方で女性差別の激しさを国際社会から指摘されがちである。

本来なら平等主義と女性差別は不調和のはずなのに、どうして日本社会には女性差別的な面があるのか。

このことについて、私は江戸時代に作られた平等政策の影響だと考える。そして現代女性のかわいいを求める心理もこの平等政策の名残として捉えている。

 

言い方は悪いが、男性にとって女性は欠かせない資源である。

生殖欲求は、人間の3大欲求のひとつであり、睡眠、摂食と同じように人間の生活から切り離すことはできない。

とはいえ、異性の中でも魅力的に映る層は一定であり、それは相手側の性にとっても同様である。

異性から選ばれるのは常に一定数であり、自然状態の人類社会において、成員全員に異性が平等に配分されるようには作られていないらしい。

だから、男女ともに異性をめぐる闘争は避けられない。

しかし皮肉なもので、ヒトの生殖においては、出産、育児と女性側が背負う負担が重く設定されているため、常に女性が優位に立つ。

ヒトの自由恋愛において、女性は常に勝ち組で(一部例外あり)、一方の男性は勝ち組と負け組に分離するのだ。

 

ここで負け組に回った男性は、少数の勝ち組男性が女性を独占するのを横目に、不満を抱えたまま、現実の女性以外のはけ口に甘んじなければならない。
しかし、いくらはけ口で我慢しようにもいずれ限界に達する日が来る。

 

彼らは積もりに積もった不満を解消するべく、何らかのアクションを起こすはずだ。

 

反乱の原動力はいつも飢餓である。反乱の首謀者はエリート層でも、実働部隊として暴れる人間はたいてい貧困層だったりする。

江戸時代唯一の内乱は、飢饉に苦しむ民衆を率いた大塩平八郎の乱だった。

またバスティーユ牢獄を襲撃したフランスの民衆たちも、格差への不満と飢えから階級制度の破壊に踏み切っている。

 

だとすれば、負け組の発生を伴う自由恋愛は、革命の火種を宿しているといえるだろう。

おまけに、江戸時代は鎖国の自給自足体制で資源も乏しく、農村の貧困は激しかった。

食糧供給に対する不満に欲求不満が重なれば、民衆の不満は階級制度(幕府)に対する怒りへと容易に転化し、暴力革命として噴出するだろう。

それは幕府の体制維持にとって脅威となる。

 

しかし、こうした懸念をよそに、江戸時代は結果的に265年続き、後世の歴史家から「太平の時代」と評されている。

時の為政者たちは、民衆たちの不満をどのようにして抑えたのか。

 

これは推測だが、幕府の閣僚たちは、自由恋愛の禁止と、お見合い婚の導入、つまり政府の介入による平等の誘導を実践したのである。

江戸時代は貿易も少なく生産能力にも限りがあったため、食糧問題の解決は難しい。
しかし、食糧問題を解決することより格段に充足させやすいのが性的欲求の充足である。

婚姻と男尊女卑を制度化し、社会に行き渡らせることで、民衆の欲求を発散させようとしたのではないか。そうすれば、少なくとも不満が極点を超えることはない。

実際、鎌倉時代の貴族間に興ったお見合い婚が、民衆の風習として広まったのは、江戸時代からである。

また飢えに対する不満へのガス抜きの必要性が、夜這いなどの大らかな性風習の流行につながった面もあるだろう。

 

なお、このお見合い婚において、我慢を強いられたのが嫁である。

相手選びは親が決めるので、選択権のない不自由は夫も同じだ。

しかし、結婚生活の主導権は常に夫にあった。夫婦生活において、妻は一方的に夫に従い、周囲からもそれを当然のこととみなされた。

夫が性行為を求めれば妻は従い、夫が仕事から帰宅するまでに家事を済ませることも欠かさないなど、まるで召使のように夫に使えてきた。夫の妻に対する優位性を制度化することで、男の不満が蓄積しないよう徹底し、各家庭内で、革命につながる男性の性衝動を骨抜きにさせていたのである。

 
こうして作られたの気質が夫に従順な日本女性像、いわゆる大和撫子であり、今日指摘される男尊女卑の基礎ではないだろうか。


実際に、われわれが江戸時代の社会制度から受けている影響は大きい。

豊臣秀吉の時代の日本人は、海外進出にも積極的だった。その証拠に当時は、東南アジアなどの各地に南蛮貿易に積極的な日本人たちによる日本街が成立していた。

日本人が本国に引きこもるのは鎖国体制に入ってからだが、今日の日本人は江戸時代の鎖国の精神を引き継いでいるように見える。

だとすれば、今日なおも続く男尊女卑(=女性差別)の出発点が、江戸時代にあってもおかしくない。

 
現代の男尊女卑(=女性差別)の始まりは、江戸時代の反乱防止をきっかけとした平等政策、すなわち、自由恋愛の禁止とお見合い婚であり、この結婚生活を通して形成された夫婦の主従関係の名残だというのが私の考えだ。

 

 

また最近は、女性の側から男性の女性差別を糾弾する声が上がっている。

中には賛成できるものもあり、もちろん自分も一人の男として、ふとしたはずみに差別的発言を口にしないよう気をつけていきたい。

しかし、一定の違和感を感じるのも確かだ。

権利とは誰かから与えられて受け取るものではない。

自分の力によって勝ち取るものだ。

そうであれば、女性の側に社会的発言権を高める努力が伴うべきだ。

戦争国家なら従軍すること、農業国家なら男性以上に耕すこと、工業国ならイノベーションを起こすことだ。

さしあたり、女性の大学進学率を高めるところから始めてはどうだろうか。

日本の大学進学率

男性 55.6%

女性 48.2%

 

女性が実力によって日本経済を主導できるようになれば、男尊女卑は自然と逆転するだろう。

 

 

最後に本テーマに対する答えとなるが、

多くの日本女性が追求する、美的感覚としての「かわいい」もまた、男尊女卑の考えとの相関が強いと考えている。

男尊女卑は、女性から自由を奪う一方で、安全を保障する側面もある。

危険な重労働を男性が全て背負う代わりに、女性は夫に奉仕するギブアンドテイクの関係だ。

現代女性は、こうした男尊女卑の伝統が持つ「女性保護」の側面を利用するために、かわいいを追求する傾向がある。 



近年、女性の社会参加が浸透した結果、女性の就業率は年々上昇している。

とはいえ、やはり男性に比べると、女性のほとんどは身体構造的に仕事に不向きなため、仕事から逃避したがっている女性が多いように見える。

そうした女性たちに退職の機会を与えるのが、結婚だ。経済的に豊かな男性との結婚で財産を連結してしまえば、妻は生産活動から逃れ、家事に閉じこもることができる。

こんなことをいうと、顔を真っ赤にしながら「家事も仕事だよ」とかいって反論してくる女が必ずいるが、嫌な人間との接触を拒否できない会社での仕事と一人でやる家事とで、どちらが大変な仕事かは一目瞭然だろう。
 

つまり、今日における「かわいい」は甘えの手段として使われ、その目的のために追求されがちだ。


手っ取り早く女性が恋愛を成立させたいなら隙を見せるのが一番簡単だ。

子供のように「可愛く」隙だらけの自己を作れば、男性は簡単にアプローチしてくれる。

そうして順調に恋愛を進展させて、幸せな結婚へと繋げれば目的達成ということだ。

日本の男には、男尊女卑時代の名残として「女性は男が守るもの、その代わり女は男の言うことに従うこと」という考える傾向があるので、結婚相手さえ間違わなければ安泰なのである。
 

とはいえ昔はそれでよかったかもしれないが、この高度知識社会にあって、生産活動への従事したことのない女性は、おそらく子供を正しく教育できない。

それでは国際競争において不利になりかねないので、時代ごとに推移してきた「かわいい」への見方を現世代で一度見直して、廃するか、違う形で次世代に継承していくべきだと思う。

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