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アジア通貨危機で中国がダメージを受けなかった理由

1、アジア通貨危機が起きるまで
アジア通貨危機は、実態経済と通貨価値の間に生じた乖離に目をつけたヘッジファンド空売りから始まった。

当時、東南アジア諸国はドルペッグ制を採用しており、政府の介入によって通貨価値は米ドルに対してほぼ一定に保たれていた。
なぜ後進国にこのような措置が必要だったかというと、旧植民地の脆弱な経済基盤が起こす為替リスクが外資の参入を妨げていたのである。
インフラ整備も遅れ、国内の統一すらままならない後進国では、災害や政情不安が起きると、為替が大きく影響を受け、そのたびにインフレや通貨暴落などのリスクが生じる。それは、外国企業との決済を行う上での障害だった。
そこで、各国は為替変動リスクを排除するため、ドルペッグ制を導入。
米ドルとの連動によって為替変動リスクが抑えられたことで、外国資本流入の流れが作られた。固定相場制度は、当時の後進国経済の成長にとって欠かせない枠組みだったのである。

しかし、固定相場制を取り巻く環境が変化するにつれ、やがてドルペッグ制に矛盾が生じ始める。

当時は、冷戦終結により共産主義が否定され、政府の介入に対する批判が強まっていく中で、規制緩和を求める声が高まっていた。
そのような中、アジア通貨危機震源地となったタイでも、1993年にオフショア市場が開設。
海外からの短期資本の流入によって投資市場は大いに潤ったが、有望な投資先を求めて移動し続ける短期資本の流入は、同時に市場に通貨暴落のリスクを負わせる結果をもたらした。

また、当時は規制緩和の動きの中で、中国も市場開放を実施しており、中国の安い労働力に目をつけた先進国企業は生産シフトを東南アジアから中国に動かしていた。また安価な中国製品との競合により、タイ企業は相対的な輸出競争力低下に直面し、1997年からは経済成長率も-2.75%を記録。貿易収支も赤字に転落していた。

そんな中、米国でも、「強いドル」政策の動きが進んだため、ドル高が進行。
タイバーツに連動したドル高の動きに対し、タイ政府はドル売りを進め、一時はドルとの連動を維持することに成功する。
しかし、ここまでくると経済実態と乖離したタイバーツの過熱はもはや誰の目にも明らかだった。

1997年5月14日、タイバーツの過熱状態に目をつけたへッジファンドは、タイバーツに対し大量の空売りを強行。その結果、タイバーツは暴落。

アジア通貨危機の始まりである。

ヘッジファンドからすれば、経済成長率マイナスのタイバーツがこれ以上高騰する可能性は小さく、空売りで通貨が安くなった後に買い戻せば、十分に利益が得られるとの判断だった。
タイ政府は、ヘッジファンドへの対抗上、外貨準備高のドルを売却することでバーツの下落を抑制しようと試みるが、外貨準備の底が見えてくると介入停止に陥り、バーツの下落に歯止めがかからなくなった。

こうしてバーツは、1ドル24.5バーツから一気に1ドル29バーツまで下落。同時にバーツ安のためにドルの対バーツ交換額が高騰し、対外債務の支払い負担も跳ね上がったことから債務不履行に陥いる企業が続出した。街のあちこちに失業者が溢れかえったのである。

また、タイの通貨暴落は、ドルペッグ制を採用していたアジア諸国に波及し、アジアを巻き込んだ混乱に繋がっていく。

結局、被害を受けた国の多くは、経済の立て直しのためにIMFの融資を受け入れ、融資条件として構造改革プログラムの導入を余儀なくされた。こうして新自由主義型の経済構造に移行させられたのである。



2、当時の中国と東南アジア諸国の経済構造の違い
このように、アジア通貨危機の原因は、
1,短期資本の急激な流入と流出
2,固定相場制度による、実体経済と乖離した通貨高の進行
が同時に起きたことだったといえる。

しかしアジア通貨危機の中、中国経済通貨危機による被害が軽微だったといわれている。
それはなぜなのだろうか?まずは、アジア通貨危機の当時国と中国の構造的な違いについて、上記2点からみてみたい。

まず、被害を受けた東南アジアの国々は、どれも冷戦体制下における西側陣営、つまりアメリカの資本主義経済システムの影響を強く受けていたことが挙げられる。
世界は冷戦の終結ともに、新自由主義に傾き、政府の介入の最小化と個人間の格差を認める方向に向かっていた。その柱は、政府による規制の緩和と自由貿易である。
この動きを反映して、アメリカの影響下にある国々では、冷戦終盤〜冷戦終結後にかけてオフショア市場開設の動きが進んだ。
日本でもバブル崩壊に先立つ1986年に東京オフショア市場が開設されている。

オフショアは、国境を超えて行われる金融取引に対して自由裁量を与える考えで、この制度を通して非居住者の国際金融取引が可能となった。
当然、これなくしてヘッジファンドのタイ市場への積極参入も不可能であった。一方、中国は当時まだ対外開放を始めて間も無く、政府による規制も根強かった。オフショア市場の有無は、当時国と中国との大きな違いであったといえる。

また、固定相場制度は東南アジアには80年代から導入されていたが、中国においては対外開放後の1998年に導入された新しい制度だった。
つまり、1997年5月14日の時点で中国に固定相場制はなく、ドル高の影響がアジア通貨危機の当時国に比べて軽微であったことも、違いとして挙げられよう。


3、中国がアジア通貨危機の打撃を免れた理由

アジア通貨危機には、
1, オフショア市場を通した短期資本の流入
2, 固定相場制度による通貨価値の実体経済との乖離
という2つの要因が同時に進行したことが原因のようだ。
(実際には他にもあげられるのだろうが、とりあえず素人の分析ゆえ、これ以上は勘弁してほしい。)

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これらの要因に対して、中国は1992年の金融規制緩和以降も海外との金融取引を厳しく規制しており、短期資本の流入には防止措置がとられていた。
また中国における、ドルとの固定相場制度の導入は1998年であり、アジア通貨危機の起きた1997年の中国には固定相場制度が存在しなかった。(ついでにいうと、1998年に固定相場制度を導入してから管理相場制に移行する2005年までの間、経済成長率7~11%の高成長を維持しており、通貨暴落の脈絡に合致しなかったことからも、ヘッジファンド空売り攻撃は受けていない。)
これらの理由から、中国経済アジア通貨危機と無縁でいられたといえるだろう。

タイ、インドネシア、マレーシアといったアジア通貨危機の典型的な被害国は、新自由主義的なオフショア市場経済の導入と、政府介入を伴う共産主義的な固定相場制度を並行的に追求した矛盾によって、債務不履行の悲劇まで突き落とされたといえるだろう。

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