気になったことなど

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ブラック企業の台頭と政府の規制が生み出す財政危機

金やプラチナの価値の源泉は希少性です。まさにモノの価値を決めるのは希少性といえるでしょう。

それと同じように、人間も労働資源という角度で見た場合、等しく希少性で価値を判断されるようです。

人もモノと同様、供給が需要に対して不足すれば価値は高まりますが、供給が需要を上回ると価値は小さくなります。





最近では、2014年に原油価格が突然の暴落を示し世間を騒がせましたが、背景には、シェールオイル革命による原油増産がありました。

シェールオイル技術の進展により生産量が増えたことにより、原油市場は供給過剰に陥ったのです。

日本でもまた2001年の派遣法改正以降に、大量の非正規雇用者が生まれたことを受け、労働者の待遇は全体的に下振れ傾向にあります。

これもまた、旧共産圏の低賃金労働者の市場参入により、市場に労働者が溢れたことが原因のひとつといえるでしょう。(国内市場では外国人労働力に対して依然規制が強いが、多くの大企業が先進国の人件費を嫌って途上国に雇用を移転させているのは事実)

歴史的に人間は精神を持つ存在としてモノと区別され、その上位に位置付けられてきました。

しかし、人もまた資源であり、モノ同様、需給バランスによって価値が決められることが判明したわけです。


そうなら、価値の低下した労働者とは、「いくらでも使い捨て可能な資源」に他なりません。
現代人の生活には、大量生産・大量消費が根付いていますが、それも「いくらでもあるから」可能なわけです。
労働者を雇う経営者の立場から見れも、安い労働者があちこちに余っているのだから、大量に雇ってこき使うのが自然な流れとなるわけです。酷使の結果資源が破損してしまっても替えは市場に掃いて捨てるほど溢れています。

つまり、労働者は経済成長期の人不足の時代にあったような希少性を失った結果、経営者の過剰要求にあえいでいるのです。


この動きは、囲い込み運動と労働者の大量供給で労働搾取が横行した19世紀前半のイギリスと酷似しています。

長年の搾取に喘いできた労働者は、資本家に対し機械打ち壊しなどの方法で反抗を開始し、のちに共産主義と結びつくことになる層の厚い勢力を育てていきました。経営者や政府は、富の源泉である生産効率を維持しようと当初は抵抗を見せましたが、運動が持つ暴力性を無視できなくなってからは無視できなくなり、規制を定めるなど譲歩の構えを見せます。

こうして近代的な福祉政策が生まれてくるのですが、労働者の主張の結果生まれた福祉政策の負担は政府財政を圧迫します。

結局、1980年代にサッチャーが登場するまで、イギリスは保護政策の重い負担に悩まされることになります。

イギリスで始まった産業革命は、イギリスを世界の工場と呼ばれる工業国に成長させ、集約産業と人員の大量投入によって国家を大きく栄えさせました。

しかし、それは同時に格差の始まりだったのです。

日に日に鬱屈していく労働者たちは、やがてストライキ社会主義運動で資本家に反旗を翻すようになります。

無視できなくなったイギリス政府は、福祉政策という妥協策によって解決を図りました。

しかし、保護政策はイギリスの伝統として根付いていき、財政負担を膨らませるばかりか、過剰保護のために労働者の勤労意思をも挫くことになったのです。

そうして、国際競争力を失っていったイギリスは1976年に政府の債務不履行に陥り、国際通貨基金から融資を受けることになっていきます。

こうして中で登場したのが、あのサッチャーです。

サッチャー規制緩和を掲げ、大々的な自由化政策を推進していきますが、某小泉首相の時と同じく、国民の格差形成の始まりだったことは言うまでもありません。


労働搾取が横行する現状は、19世紀のイギリスとの酷似を思わせます。


ブラック企業の出現から労働者の反抗、そして政府の抑制のための規制導入が行われるまではアベノミクスと同様でしょう。

イギリスの場合は、そのまま保護が伝統化し、労働者の勤労意欲の低下を招いて国際競争力を落とした結果、債務不履行に陥り国際機関の構造改革プログラムにはまりました。

これからの日本政府のその後の対応が気になるところです。

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