気になったことなど

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

「中国の金保有量世界一」とか、本当にどうでもいい

巷では中国の台頭が叫ばれて久しい。

1990年代以降の外資熱で経済成長を果たした中国は、米国覇権打倒の先鋒であり、21世紀の覇権大国なのだそうだ。

詳細には記憶していないが、某鬼塚氏の著書を読むと、経済力の上昇とともに金保有率を高めた中国中央銀行には、世界中の金塊が集積されているのだという。

そんなことはどうでもいい。




氏の意見をあえて正しいものとして、中国を世界最大の金保有国ということにしてみよう。

しかし、金の保有率というのは、中国が1990年以降に保有率を拡大したように、流動的なものである。

かつては日本も、アジアへの影響力を拡大していく過程で資源を接収していたようだが、敗戦と同時にアメリカ占領軍による接収を余儀なくされている。

その所有を巡り、富は常に奪い合いの対象とされ、最終的には勝者の手に集約されるのである。

交易や強者の参加しない戦争で一時的な成金状態を果たしても、

最終的には腕っ節の強い強者が現れ懐に収めていくのである。これは歴史に共通しているといってよい。


大航海時代が始まってヨーロッパとアジアが交易網で繋がれた時代、ヨーロッパの航海者達がたどり着いたアジアは、

まさにマルコポーロが伝えた通りの富の宝庫だった。

インドの綿織り物、絹、コショウなどは、ヨーロッパの消費者を熱狂させ、中国の陶磁器や茶は高級品として上流階級に親しまれた。


当時は、新大陸からもたらされる銀の量が、相次ぐ銀山の発見とともに増大しており、大量の銀がヨーロッパになだれ込んでいたのである。

こうした銀は文明を問わず通用する決済手段として、対アジア貿易に使われていた。

ヨーロッパ人たちは、アフリカで購入した奴隷を新大陸に送って銀山開発にあたらせ、産出された銀で中国やインドの富を買い漁ればよかった。

その見返りとして、東洋からもヨーロッパ製品に対して銀を支払ってもらえば、取引量はイーブンに収まる。

しかし、インドや中国側にはヨーロッパ製品に対する需要は少なかった。

インドに向けた毛織り物は、気候的に不適であり、穀物や飲料は長い航海の過程で劣化してしまう。

またインドには伝統的な綿織り物産業が根付いており、品質に劣るヨーロッパ産毛織り物に競争力は生まれなかった。

中国でも、イギリス産の綿製品は親しまれず、実利をもたらさない絵画などの高級品も趣好されることはなかった。


その結果、新大陸からヨーロッパに渡った銀の大部分が、貿易の代金として東洋に流出したとみられている。

東京大学の石見徹氏によると、控えめに見ても、新大陸からヨーロッパに渡った銀の約4割が、東洋に再輸出されたことは間違いないらしい。

つまり、大航海時代のヨーロッパ商人は対インド、中国貿易で一方的な赤字を被っており、新大陸から運ばれた銀の大部分が東洋に集積されたことになる。

このように、今でこそ後進国の中国やインドにも、貿易で得た銀で栄えた時代があったのだ。

では、中国やインドは、その後覇権大国にのし上がったのか?と問えば、頷く人はいないと思う。

中国やインドは、覇権大国になるどころか、銀の保有量すら守れなかったのである。



18世紀頃まで貿易相手国の商習慣を守っていたイギリスも、19世紀になってイノベーションを迎えると、持ち前の暴力性を前面に出すようになる。

輸入超過に陥っていた中国とは、現地の闇商人とアヘンの密貿易を行い、アヘン貿易を禁止していた清朝皇帝との間に対立が起きると、近代兵器を持ち込んであっさりと植民地化してしまった。

その後は、欧米諸国の中国進出が相次ぎ、また日本も日清戦争の賠償金として受け取った金をイギリスの金融街シティで保管するなどの行動で、中国に流出した貴金属の回収に貢献している。

対インドにおいては、新動力によって量産した綿製品をインド市場に無関税で持ち込み、競合であるインドの繊維産業を崩壊に追いやった。
安価な綿製品が流入した結果、インドは輸入超過に陥り、それまで蓄積してきた銀を一気に手放すことになったのは言うまでもない。

つまりヨーロッパは、中国に対してはアヘン輸出による威嚇から武力行使の流れで貴金属を回収し、

インドに対しては、産業革命によるイノベーションの力と自由貿易によって、流出した富を還流させたのである。

またインド政府側に自由貿易を譲歩させた背景には、イギリスの強大な軍事力が関係していたことは言うまでもない。

このように、富は常に相争う国家の国力に左右されて、流動するのである。

かつて銀が担った「普遍価値」のポジションは過剰採掘により、すでに金にとって代わられている。(銀は、地球上の存在量において金の6倍以上あり、金に比べると希少性に劣る)

近代に入ると、金は、その希少性から共通通貨の地位を獲得し、貿易決済代金や逃避資産として使用されるようになった。

冷戦の時代には、情勢不安から価格は高止まりしたが、資本主義の勝利とともに冷戦が終結すると、社会的安定の中で金価格は市場最安値を付けるようになる。

この時期に経済成長を遂げた中国は、価格の落ちた金を買い占め、欧米の政府機関が手放した金を自国の中央銀行に蓄えたようだ。

最近の金価格の高騰に寄与している面もあり、個人的にはありがたい部分がある。

しかし金保有率の高さを根拠に、某鬼塚氏のような、「中国の覇権が来るだの、中国元による新しい通貨制度の創造」といった安易な予測には、私は賛同しかねる。

歴史的に富は、武力、あるいはイノベーションを起こす能力の頂点に立つ勢力に集約されている。これからもそれは同じだろう。

結局のところ、武力も技術革新のレベルに左右されるため、

最終的には学術研究の最も進んだ国が武力覇権を握り世界を支配することになる。

20世紀にその地位を担ったのは米国である。

もし、この地位が米国から中国に移行するのであれば、中国が学術研究の頂点に到達していなければならない。

中国の対外開放から27年間の間に、中国にそのような功績が見られたか?

私は学者ではないし、内部事情にも疎いため、なんともいえない。

最近、論文執筆数だの引用数で中国がトップに躍り出たと主張する記事が出回っているが、

起源を同じくする某国の「国家ブランディング委員会」のようなものが暗躍しているんだろう。全く信用できない。

一方の米国といえば、世界的企業のマイクロソフトやグーグル、アップルは今や世界市場を包摂し、

アップルやアマゾンに顕著なように事業範囲を次々に拡大させて既存の産業から仕事を奪っている。

こうした動向から評価すれば、米国企業の市場支配の企みは順当に進んでいるように見える。

果たして中国企業に米国企業のようなシェアと開発力があるのだろうか?



・・とにかく結論として言えることは、金の保有量で国家の覇権の度合いを測るのは間違いだということ。

実際、中国やインドたちは、アヘン戦争日清戦争の敗北や、インド大反乱の経験を通して肌で感じているものだろう。

小手先の技術で蓄えた富も、圧倒的な武力の前では、一瞬で強奪に晒されるのである。

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