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中国の歴史に学ぶ少子化解決策

歴史上の推定地域人口 - Wikipediaによると

16世紀まで、中国の人口は、1億人前後で頭打ちでした。

17世紀に入ると、清朝の安定期に入り、人口も上昇を示しますが、18世紀を通して1.6億人を超えることはありませんでした。

しかし18世紀を境に、人口増加に拍車がかかります。

1750年には人口2億人。1800年には3億人を突破。

さらに1850年には4億人と、人口増加の勢いは、右肩上がりに加速していきます。

なぜ、これまで2億人を突破することのなかった人口が、50年ごとに+1億人もの上昇を実現できたのでしょうか?

それは、中国皇帝の出した政策と密接に関連しています。

人口拡大策といっても、移民政策ではありません。

なんと、漢民族人口爆発を可能にしたのは、税制改革だったのです。

では、康熙帝が導入した地丁銀制とは、一体どのような施策だったのでしょうか?



1711年に康熙帝が導入した地丁銀制

康熙帝により導入された「地丁銀制」は、減税政策でした。

当時は大航海時代の最中にあり、アジア、特に中国の富を求めて西欧諸国はこぞってアジアに進出していました。

特にアジアの特産物(茶、絹、陶磁器)は、欧米の貴族階級から高い人気を集め、膨大な需要が生じていました。

当時は今みたいな為替が発達していないので、異文化圏の人たちが商取引きを行うときは、貴金属を決済手段に用います。

たしかに19世紀には、武力で富を略奪する帝国主義が吹き荒れますが、

18世紀のこの時期には、まだ貿易決済が主流だったのです。

当時は新大陸で採掘された貴金属がヨーロッパに回収されていた時期ですが、この貴金属の4割以上は、貿易決済代金として中国、インドはじめ世界に流出したと考えられています。

つまり、西洋商人が奴隷を酷使して集めた、血と汗と涙の結晶にも等しい貴金属は、主に中国はじめアジア地域に流れていたのです。

こうして自国製品の国際的人気で、懐を大きく膨らませた中国ですが、中国側の西洋製品への需要は限られたものでした。

そのため、大航海時代の富(貴金属)は中国に流入する一方だったのです。

そこで財務状況に余裕ができたことを受け、康熙帝は、事実上の減税政策を実施します。

こうして導入されたのが「地丁銀制」です。

これは、明時代からの税制である「一条便法」を刷新する考えでした。

従来の「一条便法」では、領民に対して、地銀(土地税)と丁銀(人頭税)の2種類の納税義務を負わせます。

地銀(土地税)は、土地に対する課税。

いっぽうの丁銀(人頭税)は、壮年男性の戸籍分が、課税の対象です。

土地税と人頭税の二本立てだった「一条便法」を簡素化し、土地税に人頭税を組み込んだのが、地丁銀制の内容です。

土地税に人頭税を組み込むとは、土地税の支払いだけで、人頭税を履行できるということ。

つまり、事実上、人頭税を支払わなくてもよいことを意味します。

もちろん、土地税の税率に若干の上昇はあったと考えられますが、世帯にとっては、家族の人数を増やす=増税ではなくなったのです。

中国といえば、今日人口13.8億人を誇る人口大国ですが、

この税制改革が人口爆発の転機だったといっても差し支えないでしょう。


もちろん、人頭税を逃れるために、過少申告していた戸籍が出始めたこともあるでしょう。

また、西洋から伝わった医学により平均寿命が伸びたことも関係しているのでしょう。


しかし、数字をみてみると、「地丁銀制」の効果がよく分かります。

1711年の地丁銀制発布から50年ごとに、中国の人口はおよそ1億人ペースで増加しているのです。


(年度) : (人数)
1650 : 1,4億
1700 : 1,6億
1750 : 2,25億
1800 : 3,2億
1850 : 4.2億

西洋からの新しい品種の食物や医学は、17世紀には既に入ってきていました。

これが人口爆発の要因であるなら、17世紀の段階から始まっていてもおかしくありません。

しかし、人口爆発は18世紀から急に起きているのですから、1711年の地丁銀制がきっかけだと考えられています。

もちろん、それまで脱税のために過少申告されていた戸籍が表に出始めた影響はあるでしょう。

しかし、制度の発布の直後に爆発的に増えることはあっても、50年ごとに新しく1億人発覚するようなことは、まず考えられません。

地丁銀制が出された1711年の以降の人口増加は、自然増加によるものと考えられます。

当時の中国は、移民政策に頼ることなく、減税政策によって人口増加を実現したのです。

もう少し詳しく見てみましょう。

人頭税を土地税に組み込むとはどういった状況を指すのでしょうか?


まず土地税は、領民が所有する土地に対して課される税金の事です。

一方の人頭税とは、領民の人数(壮年男性の数)ごとに課される税金の事です。

一条便法のもとでは、税制はこの2本立てで構成されていました。

これに対し、清朝に登場した地丁銀制では、人頭税は土地税に組み込まれ一本化されます。

つまり、従来の土地税は残したまま、人頭税の免除が行われたのです。

領民からすれば、土地への税負担は残りますが、

人頭税がなくなったことで、いくら家族を増やしても、税負担は変わりません。

そうなると、人頭税を恐れて、出生を抑制する必要はなくなります。

むしろ、税負担が一定なら、家族の人数は多い方が、一人当たりの税負担は軽減されるのです。

こうして、家族を増やすことにインセンティブが生まれました。

中国の領民たちは、土地税の支払い負担を減らそうと、人口増加に励むことになります。

人口爆発の始まりです。


そして、その結果としてあるのが、人口14億人に迫る今日の中国です。


もちろん、人口爆発は必ずしも良いことばかりではありません。

人口爆発は、食糧不足と貧困問題を必ず引き起こします。

実際、人口増加を迎えた後の中国でも、穀物不足が起きたようです。

これは明治以降の日本でも同様であり、20世紀の戦争の遠因にもなりました。


しかしながら、中国13億の人口がなければ、BRICSにも選ばれなかったはずです。

GDPで世界第2位まで駆け上がることも不可能だったでしょう。

そう考えると、康熙帝が出した減税策の影響は、漢民族という総体にとっては、有益だったと見て間違いないでしょう。

現在、人口減少の途上にいる日本人も、18世紀の中国を参考にして、後世に遺恨を残さないようにしたいものです。