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南アジア地域協力連合(SAARC)で再びインドが1つになりそう 地域統合

EUの結成に端を発し、世界は急速に地域ブロック化に向かっています。

その中で、2000年初頭に作られたBRICSと呼ばれる国々(「ブラジル」「ロシア」「インド」「中国」「南アフリカ共和国」)は、

いずれも世界の地域ブロックで盟主にふさわしい存在感を放っています。

これまで、アフリカ、ブラジル、ロシアの地域ブロックを調査してきましたが、

BRICS諸国がみせる、地域ブロックでの主導的な役割は、インドでもまた例外ではありませんでした。


1 南アジア地域協力連合(SAARC)とは

インドが所属する「南アジア地域協力連合」(SAARC)は、

1985年に創設された南アジア8カ国からなる地域連合です。

メンバーは、

インド、パキスタンバングラデシュ、ネパール、ブータン王国スリランカモルディブアフガニスタンの8カ国。

各国家の宗教は、ヒンドゥー教からイスラム教、仏教まで分かれ、宗教的にはやや統一感に欠けています。

また、印パは政治対立を抱えていることから、統一は困難に思えます。

しかしながら、異なる宗教と国境で隔てられるインド・パキスタンバングラデシュも、元々は1つの「インド」でした。

英国の統治により宗教ごとの住み分けがなされ、別々の国として独立しましたが、

戦前までは、地域内の人や物の移動は当たり前の現象だったのです。

民族的にも共通する部分は大きく、国家や宗教を超えた民族の同胞意識も存在します。



このような南アジアが統合に向かったきっかけは、政治的混乱です。

1970年代の南アジアの政治情勢は混迷を極めていました。

領土問題で争う印パ対立、1971年には東パキスタンバングラデシュとしての分離独立が起こります。

さらには、スリランカバングラデシュなどの小国は、巨大な領土と資源を持つインドに対して常に警戒感を膨らませていました。

印パ対立、インド対周辺小国の軋轢により、南アジア情勢は安定しません。

そのような中、和平の1手段として、1977年にバングラデシュのラーマン大統領から提唱された「南アジアの統合」が、

「南アジア地域協力連合(SAARC)」結成のきっかけになります。

1977年のラーマン大統領の提議から南アジア地域協力連合(SAARC)発足までの間に、ラーマン大統領が暗殺されるなど、結成の足取りは難航しました。

しかし1981年には準備段階として南アジア地域協力(SARC)が結成し。

そして、 1985年には、バングラデシュの首都ダッカで第一回サミットが開かれ、正式にSAARCが発足します。

この地域統合の動きに対し、インドを囲む周辺各国は、いち早く賛成の意を示しました。

その背景には、小国で連帯を組むことで隣の大国インドの動きを牽制する狙いがあったのです。

これを受け、インド・パキスタンもSAARC発足に同意します。

このように、SAARC設立の目的は、政治的、安全保障的な側面が強かったのです。

それを反映して、議決においても、小国の権利を尊重するため、全会一致が原則となっています。


2 経済統合も進む

前述の通り、SAARC設立の目的は、政治的・安全保障的な側面が強く、

経済統合の取り組みは遅れていました。

しかしながら、経済統合に向けて世界的なトレンドの中で、SAARCも経済協力を進めていきます。

冷戦終結後の1990年代頃から、世界的に地域統合の動きが顕著になります。

1989年のアジア太平洋経済協力、1990年の北米自由貿易協定(NAFTA)、

また1993年の欧州連合の発足、同1993年のASEAN自由貿易圏の開始など、

冷戦終結を受けて世界経済の協力体制が大きく前進しました。

こうした動向に触発され、SAARCも域内での経済協力体制を模索し始めます。

これにより1995年には、南アジア特恵貿易協定(SAPTA)が締結。条約の目的は、SAARC域内の貿易の促進です。

これは、2004年に始まる南アジア自由貿易圏(SAFTA)構想に向けた第一歩として開始されました。

SAFTAは予定通り2004年に開始されましたが、これは域内関税0~5%を最終目標に、域内関税を段階的に下げていく方策でした。

このSAFTAは、アフリカのSACUや南米のメルコスール・アンデス共同体、またロシアのユーラシア連合とは異なり、

対外的な自由貿易協定は結んでいません。あくまで目的は、域内の貿易促進であり、その範囲を超えていません。

しかしながらこの協定は、南アジアに蔓延する貧困、南アジア各国の産業構造および比較優位構造の類似性による相互貿易の伸び悩み、

センシティブリストの多さなど、多くの課題に直面しているようです。

インドが示す存在感は、やはり大きいです。

インドはSAARC域内のGDPおよび人口で70%以上を占めるだけではありません。

地理的にも貿易圏の中央に位置し、域内貿易に深い関わりを持ちます。

SAARCは、インド亜大陸の中央に位置するインドの周辺に加盟国が付属する形になっており、

2005年加盟のアフガニスタンパキスタンの二国同士を除けば、インド以外の加盟国は加盟国同士で国境を接しません。

例えば、インドと周辺加盟国は国境を接しますが、バングラデシュブータン、ネパールは相互に国境を接さないのです。

モルディブスリランカは海洋国家なのでインドとも国境を接しません。

このような地理関係から、貿易を行うにも、インド対バングラデシュ、インド対ブータン、インド対ネパールというようなインド対加盟国の構造になりがちです。

バングラデシュブータン、ネパール対ブータンというような周辺加盟国同士の貿易を行うには、インドの領土を通過しなければならないので手間が生じるのです。

こうした地理上の問題が、インドの一極集中を助長しています。

ネパールは、域内輸入と輸出の9割がインド相手です。

バングラデシュも、域内の輸出入の約8割をインドとの間で行っており、インドから近いスリランカも貿易の8~9割をインドに依存しています。


つまり、アフガニスタンを除く加盟国と国境を接するインドに利益が集中しやすい構造となっているようです。

政治には経済が深く関わってきます。ですから、域内経済の中心がインドに傾けば、域内政治の中心もインドが握ることになるでしょう。


しかし、こうしたインドの一極化は、周辺加盟国が加盟当初に望んだ姿ではなかったはずです。



周辺加盟国としては、インド以外の加盟国同士で早期に協力体制を作ることが望まれますが、国境を接するインドとの貿易に比べると、股がなければいけない国境が増えるため、合理性に欠けるようです。(国境を接するアフガニスタンパキスタンの貿易は、順調に促進されている模様。)

そのため、インド一極化の進展は防ぐことができず、記事のタイトルに書いた姿に近づいていきそうです。

つまり、英国統治を経てバラバラに独立したインドが、「南アジア地域協力連合(SAARC)」として、今後再び元の巨大統合体に収斂していく模様です。

その中心は、やはりインドということになりそうです。


ただし、先述の通り、SAARCの加盟国は、相互に貿易構造や比較優位構造の類似性が多いこともあり、

SAARCの域内貿易は、域外貿易を含めた全世界貿易に対して5%程度の割合に過ぎません。

この数字は、関税を下げても改善が見られないままなので、しばらくは域外への依存が続く見込みです。

日本が所属する東アジア地域包括的経済連携(RCEP)にインドが所属しているのも、SAARC域内の産業の脆弱性に由来しているのでしょう。


しかしながら、南アジアの地域ブロック内で、BRICSの一角であるインドが中心的な役割を果たすことは間違いなさそうです。