Ossan's Oblige "オッサンズ・オブリージュ"

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

日本人の国民性を韓国語で説明する

海外で日本人だと分かった瞬間に外国人の目の色が輝くことってありますよね。
これは都市伝説でもなく、実際に私も何度も経験したことです。
おそらくはネットの発達に伴って日本人の国民性や輝かしい発明、作品などが世界的に再注目されているのでしょう。

しかし、光あるところに影はできます。
どれだけ素晴らしくてもパーフェクトが存在しないように、日本が抱え持つ欠点も検討されるべきではないでしょうか。
今回、日本人にありがちな残念な傾向を1つ発見したので、あえて韓国の諺を借りて表現したいと思います。

1. 「川に落ちた犬は、陸に上げるな」

結論から言うと、タイトルの通りです。
日本社会で「失敗者」のレッテルを受けたものは、二度と元の地位に戻れないように袋叩きにされることが非常によくあります。

韓国の有名な諺に「川に落ちた犬は棒で叩け」というものがありますが、おそらく可哀そうな犬は息絶えるまで袋叩きにされるのでしょう。
でも日本版は扱いが異なる点で違います。

2. 転落した人を救うのではなく下の位置に留めようとする

日本人は、上下関係を異常に気にします。
なぜなら、人間関係のすべてにおいて上限関係が前提となるからです。
知らない日本人同士が対面すると、相手の年齢、所属、妻帯者か否かといったマウンティングの取り合いが始まります。
これは生物としての縄張り意識が根本にあるので、外国人にも少なからず認められる傾向です。

しかし、同国民にもかかわらず、上か下かの競争に明け暮れて団結が全くと言っていいほど苦手なのが違いでしょう。
同国民の団結を困難にするほどの上下関係の決定競争において、両社が妥協する唯一の方法は、共通の敵を見つけることです。
つまり、当事者である2人よりも下の存在を見つけて、一緒に攻撃するわけです。
これが集団全体で行われることで、ときに当事者の自殺問題にまで発展するイジメ問題などに発展します。

つまり、日本社会に属する個人は自分が攻撃されないように自己弁護できる攻撃可能な他者を求めています。

川に落ちた犬のように何かに失敗した人は、格好の標的となり、一斉攻撃を受けるのですね。

ただし、袋叩きにした結果、川辺の犬が死んでしまったのでは、また底辺の探し合いになります。
もしかすると、自分が底辺のレッテルを張られて攻撃の対象にされてしまうかもしれません。

だからこそ、日本人が川に落ちた犬を見つけると、二度と這い上がれないように色々な足の引っ張りを加えながら最底辺のポジションに留めようとする行動が現れるわけです。
ちょっと陰湿ですよね。

周囲からダメ出しを受けて、奮起して頑張ろうとすると、様々な足の引っ張りで出鼻をくじかれたことのある方も多いのではないでしょうか。

3. 日本人のスパイト傾向は学術的に証明済み

実は、日本人の底意地の悪さは、研究により証明済みです。
これは有名な論文なので改めては書きませんが、偉大な業績を残してきた日本社会が陰湿さという闇を抱えているのは事実でしょう。
もちろん、純然たる完璧は成立しませんが、問題を直視して改善を重ねることで、よりパーフェクトに近づけることは可能です。

ウクライナ問題を機に日増しに増大している紛争リスクをきっかけに、日本人も川に落ちた犬を救い上げて一致団結して戦えるようになると素晴らしいですね。