Ossan's Oblige "オッサンズ・オブリージュ"

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【ドラクエの伝統】テリー=エスターク説は正しかった!?【根拠まで解説】

「隠し設定」とは、ストーリー中で明言されない設定のことです。

スーパーファミコン時代のドラゴンクエストは、主にナンバリングの時系列の繋がりを「隠し設定」としました。

エンディングでロト編の時系列関係「3→1→2」を明らかにしたドラクエ3を皮切りに、ナンバリングの時系列を隠す伝統が生まれます。

ロト編に続く天空編も(6→4→5)の繋がりを持ち、最終作6のエンディングで時間軸の繋がりが明かされました。


ただ、天空編6は「クラウド城の浮遊」演出によって「天空城誕生の瞬間」を婉曲的にほのめかすに留まった点において、ロト編3と異なります。
(同じ種明かしのナンバリングでありながら、ドラクエ6がドラクエ3ほど人気を呼ばなかったのは、「クラウド城の浮遊」演出の暗示性が強く、「そして伝説へ」ほど明示化・言語化されなかったせいかもしません。)
一応、2010年発売のリメイク版6で(6→4→5)の流れは公式化されたものの、リリースから長く、大きな反響には至りませんでした。

このように、ロト編と天空編(ドラクエ1〜6)は、「3−1−2」、「6−4−5」のつながりを持ち、世界線の最終作(3・6)のエンディングで時間軸の繋がりを明らかにする伝統で繋がっています。
つまりドラゴンクエストにおいて、「重要な設定を隠す」ことは作品の神秘性を高めるシナリオの伝統だったのです。



本記事のテーマである「テリー=エスターク説」も、説の信奉者は多いものの公式に回収されていない設定です。
1995年のリリースから20年以上経った現在もネット掲示板などでは議論が絶えず、天空編の核心に迫る隠し設定と見て間違いないでしょう。

本記事では、制作側が黙秘し続ける「テリー=エスターク」説の信ぴょう性について、できるだけ天空編全体にまたがりながら解説します。



1. 「テリー=エスターク説」とは

「テリー=エスターク説」とは、ドラクエ4、5に登場する「古の大魔王」エスタークドラクエ6の仲間キャラ「テリー」の成れの果ての姿とする仮説のことを指します。
天空編の時間軸は6→4→5と流れるので、ドラクエ4、5に登場する「古の大魔王」エスタークは4以前の時代に君臨していたことが分かります。
その正体をドラクエ6のテリーに比定する人が多いのは、シナリオ中に伏線が出まくっているからに他なりません。


そもそも、テリーとはどんな人物だったのか。
ドラクエ6の世界観からおさらいしましょう。

ドラクエ6の舞台は、大魔王デスタムーアによる世界支配が半ば完成した世界線
大魔王の支配を脅かしうるパワースポット「ダーマ神殿」「メダル王の城」「魔法都市カルベローナ」「ゼニス城」は全て封印され、大魔王の4人の部下に守られています。
さらにデスタムーアは夢の世界を創造し、物理空間だけでなく人々の夢(心)をも支配下に置くことで世界の完全支配を企みました。


夢の世界には、人々の夢や欲求が投影されます。
例えば、自分より弱いモンスターの存在を望むスライムの願望を投影して「ぶちスライム」なる最弱モンスターが存在したり、現実世界で妹クラリスを病で亡くしながらも王子として慌ただしい毎日を送っていた主人公は山奥の牧歌的な村ライフコッドで絵に描いたような妹ターニアとのんびり暮らしていたりします。

こんな具合に、夢の世界(上の世界)には、現実世界(下の世界)の夢や願望が投影されます。
現実世界を掌中に収めたデスタムーアは、夢の世界に恐怖と絶望を与え人々の心をも支配することで、世界の完全支配を達成できると考えたのです。

では、そのような世界観の中で、現実のテリーはどのような人生を歩んでいたのか?

テリーが背負うトラウマは、姉ミレーユを失ったこと

テリーは、下の世界(現実の世界)の住民でした。
幼い頃に両親と離別し、姉ミレーユとともにガンディーノ城の夫妻の元へ養子に出されます。
ところが、このガンディーノでは、ギンドロ団という暴力団が国王と癒着して跋扈しており、姉ミレーユが人身売買の犠牲になります。
姉の誘拐にテリーは抗い、ギンドロ団のアジトに乗り込んで抵抗するも、団員に半殺しに打ちのめされて力の無さを痛感。
このトラウマが原因で力に執着するようになり、強い力を求めてガンディーノから旅に出ます。

現実世界のテリーは、姉を守れなかったトラウマから力に対して強烈なコンプレックスと憧れを持つ人物でした。

ガンディーノを旅立ったテリーは各地で勇名を馳せ、「旅の洞窟のバトルレックス退治」によりアークボルト城の国難解決にも貢献。
その武勇は次々と人々の話題に上っていきます。









ところがあるとき、大魔王の部下デュランに敗北。
その力にひれ伏してデュランの僕になり下がり、ヘルクラウド城での戦闘ではデュランの手下として主人公たちと対峙します。

強くなりたいという己の欲望があまりに強く こちら側に来てしまった者だ
紹介しよう。この私に魂を捧げし 世界最強の男 テリーだ。

最終的に主人公たちに敗れたテリーは、デュランをも打ち負かした主人公に「トドメを刺せ」と勧めるも、姉ミレーユの呼び止めによって制止。
正気を取り戻し、主人公たちの仲間に加わります。
しかし、テリーの力への執着心は消える気配がなく、強い力のためには手段を選ばない精神の危うさがシナリオを通して描かれます。

強くなれるなら、相手が魔物だろうがなんだろうが かまわなかったんだ!


エスタークに関する設定

ドラクエ4に登場する古の大魔王エスタークの正体は謎に包まれており、シリーズ全作品を通して明言されていません。
確定しているのは、「進化の秘法」を用いて究極の生物へと進化した元人間という設定。
そして、エスターク誕生がドラクエ6とドラクエ4のインターバルに起きた出来事であり、エスタークの存在を脅威と見たマスタードラゴンらによって地底の底深くに封印されたということのみです。

ドラクエ4では、魔族ピサロが人類撲滅の計画のためにエスターク復活を画策するも4主人公らに阻止され、エスタークはしかばね同然の状態で再び眠りにつきます。
ドラクエ5では魔界に封印されており、隠しボスとしての戦闘では驚異的な強さでプレイヤーを圧倒しました。

以上のように、幼少期のトラウマから力を渇望するテリーと、進化の秘法によって究極の力を手にした元人間エスタークには一種の親近性を感じさせますが、公式の発言もなく都市伝説の域を出ません。
では、ネット掲示板などで議論される「テリー=エスターク」説には、どのような根拠が存在するのでしょうか?


2. 「テリー=エスターク説」の根拠【まとめ】

1. デュランに魂を捧げた前科

テリーは「敗れた」という理由で魔物デュランに忠誠を誓い、魂を捧げました。

テリーは姉ミレーユを助けることができなかった幼少期の体験から、力に異常な執着を持つキャラクターです。
故郷ガンディーノから旅に出た目的も「強い力を手に入れること」でした。
強い力を得る方法は、より強い人物の下に付くこと。
「力を手に入れる」という目的が最優先のテリーにとって、従う相手が人間か魔物かの区別はなかったのです。
その後デュランは主人公に敗れ、テリーはミレーユの呼び止めによって仲間キャラに舞い戻ります。

しかしこの「テリーが仲間に加わった」という解釈も正確ではなく、デュランに勝利した主人公たちに「敗北を認めた」に過ぎなかったのかもしれません。

幼少期のコンプレックスからくる力への執着は、簡単に消えるものではありません。
仮に本編の後に主人公たちを凌ぐ存在が現れたとしたら、テリーはどうしたでしょうか?
「強いものに従う」が行動原則のテリーならば、主人公たちの元を離れて上位の強者の元へと降ったとしても不思議ではありません。


3. 6裏エンディングでテリーとダークドレアムが対峙

実際にその存在が、テリーの前に現れます。

ドラゴンクエスト6には2種類のエンディングがあります。
通常エンディングとは異なる「隠しエンディング」への突入条件は、隠しボス・ダークドレアムを20ターン以内に倒して、その力を認めさせること。
すると、ダークドレアムは本編のラスボス・デスタムーアの元へ出向き、赤子の手をひねるようにデスタムーアを瞬殺してくれます。

完全に 私の負けだ。 よろしい お前たちに 従うことにしよう。
この者を 倒せば よいのだな? たやすいことだ・・・。

この流れで到達する隠しエンディングは、1点を除き、ほぼ通常のエンディングと変わりありません。
その1点の違いとは、スタッフロールの中でテリーとダークドレアムが対面で向かい合うシーンが流れることです。

ダークドレアムのグラフィックは、奇しくも、かつてテリーが忠誠を捧げたデュランに酷似

ドラクエ6には、合体イベントがありました。
夢の世界と現実の世界に分離したキャラクターが合体する2回発生するイベントですが、シナリオ中盤以降は起こらなくなり、エンディングの頃にはユーザーに忘れられているような設定です。

しかし、このテリーとダークドレアムの対面の描写は、まさに合体イベントのそれであり、掲示板などでは有力な根拠の1つとして必ず指摘されるシーンです。

夢の世界は、現実世界の夢が投影される世界。

現実世界で誰よりも強い力を望んだテリーにとって、大魔王すら凌ぐダークドレアムの力は、夢の世界における自己の願望の投影物だったとしても不思議ではありません。

※あれは「一騎討ちを挑んだのだ」という反論がありそうですが、たとえダークドレアム相手に一騎討ちを挑んだのだとしても、テリーに敵う相手ではありません。
「強いものに従う」という思考回路の持ち主であるテリーにとって、それは破滅的な展開でしかありません。

4. ドラクエ4「進化の秘法とは、悪魔に魂を売ること」

ドラクエ6は、ドラクエ4・5へと続くストーリーとして設計されました。
1995年発売なので、1992年発売のドラクエ5から3年を経ての満を辞してのリリースです。
だから相当作り込まれています。

その根拠として、ドラクエ4、5に登場する概念の起源を説明するイベントが多く、「ヘルクラウド城→天空城」「未来の卵→マスタードラゴン」といった重要な設定の起源がエンディングで表現されました。

しかし、ドラクエ6にはなくドラクエ4・5には存在するある1つの設定だけは未回収のままです。
それは「進化の秘法」に他なりません。

この進化の秘法とは、ドラクエ4によると「悪魔に魂を捧げる見返りに、究極の力を手に入れる方法」のこと。
ドラクエ4では、バルザックキングレオの王子といった人間が、この進化の秘法を用いて怪物の姿に変身しています。

バルザックのやつは 悪魔に 魂を売って 強い魔法を 身につけたそうです。
キングレオの あたらしい王様は 悪魔に魂を 売ったとか・・・。

そしてドラクエ4・5に登場する古の魔王エスタークも、この進化の秘法を用いて究極の力を得た「元人間」と伝えられています。

ドラクエ4・5に共通のコンセプトである天空城は、ドラクエ6の段階ではクラウド城と呼ばれていました。
それがエンディングでの飛行イベントによって、両者の一致が回収されます。
これはドラクエシリーズお決まりの「第3作目のエンディングで伏線回収」の典型例であり、ドラクエ3における「そして伝説へ」に該当するでしょう。

同じエンディングのスタッフロールに、テリーとダークドレアムの対面シーンを持ってきたのは、製作側の気まぐれでは絶対にありません。

ドラクエ6には存在しない「エスタークや進化の秘法」は、ドラクエ4を境に登場する設定です。
同様の設定である「天空城」や「マスタードラゴン」が6エンディングのスタッフロールで回収されたのだから、「進化の秘宝」に関する描写も6エンディングのどこかで描かれていなければなりません。
それがなければシナリオの未回収です。
6エンディングの中で「天空城」や「マスタードラゴン」の誕生シーンと並んで描かれた「テリーとダークドレアムの対面」が、人間であるテリーが悪魔ダークドレアムに魂を売り魔王エスタークへと変貌する瞬間を描写(「進化の秘法」誕生の瞬間)していたとしても全く違和感はないはずです。


5. グレイス城の老人の意味深な発言

夢の世界のグレイス城に陸路で入ると、隠し塹壕への入り口のところに老人が背を向けて立っています。
話しかけると、かなりのメタ解説をしてくれる老人。

「こうしていると どこからともなく 阿鼻叫喚が 聞こえてくる・・・。
むかしここで どんな儀式が おこなわれたか 知っていなさるか?
(中略)
だが ここでおきたことは この世界だけに とどまらぬ!
いずれや すべての世界に わざわいを およぼすであろう。
おろかなことよ・・・。
悪魔を 呼びだすとは。
神のいかりにふれて とうぜんじゃ!」

大魔王の存在に危機感を感じていたグレイス王は、大魔王の力を凌駕する悪魔の存在を知り、悪魔の召喚を決意します。
ところが悪魔の召喚方法は理解できても、その制御方法までは知りませんでした。
誰の命令も受け付けない悪魔は破壊の限りを尽くし、グレイス城は廃墟と化してしまいます。

このグレイス城で召喚された悪魔こそがダークドレアムであり、エンディングでテリーの対面相手として描かれた悪魔です。

さらにメタ解説を手がける謎の老人は、ダークドレアムの召喚が「世界に災いをもたらす」と警告します。

あらゆる演出に意図があることを踏まえると、「テリーが悪魔(ダークドレアム)に魂を売ったことが天空編のストーリーに重大な転機を及ぼした」とする見方に異論はないでしょう。


3. 「テリー=エスターク説」のあまり語られることのない伏線【デュラン戦後のやり取り】

ここからは、筆者個人が発見したあまり指摘されない「テリー=エスターク説」の伏線を紹介します。

3-1. デュランの語るデスタムーア像を聞いて

デュラン戦では、前座の役目を「2体の手下」と「テリー」が引き受けます。
この2連戦を終えた3戦目にデュランとの戦いが待っています。

では、2戦目で主人公たちに敗れたテリーは息絶えたのでしょうか?
いいえ、床に仰向けになって倒れていました。笑
床の上で仰向けになって、主人公たちとデュランとの戦いを見ていたのです。

そしてデュランは、主人公たちの手で倒されてしまします。

死が目前に迫るデュラン。しかしただの雑魚キャラではありません。
戦闘前に全回復してくれる武人らしさもあって、消滅前にもいろいろと教えてくれます。

この時もテリーは、仰向けになってデュランの言葉に耳を傾けていました。

デュランの語った内容は以下の通り。

ムドー ジャミラス グラコス そして私 デュランは 大魔王さまの しもべに すぎぬ。
われらが あるじの名は 大魔王 デスタムーアさま。
さまざまな術をつかい われらなど まともに 戦うことすら できぬ・・・。

「大魔王の強さは、私たち4匹のしもべをはるかに凌駕します。」
この言葉を聞いていたテリー。その脳裏では、以下の認知が成立したはずです。

デスタムーア >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> デュラン > 超えられない壁 > テリー

もし仮にデスタムーアが部下として働く見返りに力を与えたなら、テリーは喜んでデスタムーアに忠誠を誓ったことでしょう。
しかしそのデスタムーアは、激戦の末、主人公たちに倒されてしまいます。

それどころか裏エンディングでは、ダークドレアムによって瞬殺されてしまいます。

その光景を目の当たりにしたテリーの中で「最強」の定義が覆り、ダークドレアムの人知を超えた力に陶酔と憧れを抱いたとしても不思議ではありません。

そして、隠しエンディング。
天空編の中心概念であるクラウド城の浮遊シーン(=天空城の誕生)、未来の卵の孵化シーン(=マスタードラゴンの誕生)と並んで、テリーが悪魔ダークドレアムを召喚する瞬間が描かれます。
このテリーとダークドレアムの対面シーンは、悪魔に魂を捧げる見返りに究極の力を得る方法、すなわち「進化の秘法」の誕生の瞬間を象徴していたのではないでしょうか。


2. ドランゴが語る「敗れた者の運命とは」


ところで、アークボルト王の依頼でテリーが始末したバトルレックス「ドランゴ」は絶命したのか?
していませんでした。
討伐完了の証拠物としてアークボルト城へ連行された後、棺桶の中で生存していたドランゴはアークボルト城の牢獄に監禁されます。
そこへ主人公たちだけで訪れても相手にしてくれないものの、パーティーにテリーがいると仲間になってくれます。
その発言に含みがあるのです。

待っていた・・・おまえ・・・青い人間・・・
おまえ・・・私・・・うち負かした。
私・・・おまえ・・・ついていく。
それ・・・負けた者・・・運命
ついていって・・・いいか?

モンスターらしい知能を表す言葉の並び。
純化すれば「自分を打ち負かしたテリーに忠誠を誓う」という発言ですが、平仮名だらけの文字列の中に一言「運命」という言葉が使われています。
違和感を感じないでしょうか?

そもそも、敗北したことで主従関係に入ったテリーとドランゴの関係は、かつてのデュランとテリーの主従関係に似ています。

両者が「強いものに従う」という魔物界の運命(掟)で共通しているなら、デュランに魂まで捧げたテリーはすでに魔物の世界に片足を突っ込んでいるようなものです。
ドランゴというサブキャラクターの存在は、のちに悪魔と1対1で対峙するテリーの破滅的な末路を暗示していたのではないでしょうか。


さいごに

隠し設定は作品全体の魅力を高めてくれます。
製作者側の明言がないからこそ、想像の域を出ることはなく、議論が繰り返されるのです。
リリースから25年経った今もなお沸き起こるネットでの議論が、ドラゴンクエストの魅力を物語っています。

公式の発言がない「テリー=エスターク」説が今後どのような形で回収されるかは未知数ですが、スクエニらしい神回収を期待したいですね。