TOEICの受講経験もなく英語学習にもイマイチ熱中できない私ですが、英語学習に対して一定の努力は払ってきました。
結果として、様々行ってきた学習法の中で、良かったものと悪かったものの区別もつき始めた状態です。
しかしながら、皆様に公開できるほどのノウハウも成功体験もないため、内容は公開するに値しないかもしれません。
一応、今後の学習のための整理として残しますが、その中からわずかでも皆様の参考になるものがあるなら幸いです。
アセットクラスとしての金が持つ特異性
投資対象としての価値を持つ対象のことをアセットクラスと呼びます。
しかし一言にアセットクラスと言っても、投資対象が持つ価値は様々です。
企業株式であれば、企業業績への先行きに対する期待が価値の裏付けになります。
株価の上昇した企業は、通常、業績を上げた、あるいはこれから利益を生み出す可能性が高いと市場から判断されたのです。
その結果、資本力を高めて経営をさらに良くしてもらおうという期待からお金が集まるわけです。
このように、企業株式は市場からの期待によって価格が決定される特徴を持ちます。
ですから、企業経営が悪化すれば、すぐさま株式の価値に反映されます。
当然ながら、株式は資金調達目的で発行されるので、価値が下がれば集まる資本も減り、企業は資金調達に行き詰まります。
その結果、経営破綻に陥った場合には、投資家が所有していた株式の価値は最悪0になります。
株式とは、その価値が0〜無限大と常に変動し続けるアセットクラスといえるでしょう。
なぜなら、価値の裏付けに実態がなく、人間の期待感によって作られているためです。
また、経営破綻は、企業の判断ミスだけから起こるものではありません。
自身はしっかりしていても、他の組織運営に巻き込まれることで引き起こされる場合もあります。
取引先の企業の経営が悪化しただけなら、投資家にもたらす被害は軽微でしょう。
しかしながら、経営悪化が国単位、それも世界経済にもたらす影響の大きな先進国に起きた場合、被害は破綻国家に関係を持つすべての人や企業に波及します。
このように国家の失敗により、その関係者全員が不況に陥る現象のことを不況、あるいは経済危機と言ったりします。
特に現代では、資金調達手段として用いられる証券取引の市場が成熟しているため、一カ所で起きた不況は、巨額の資金流出を伴って容易に大恐慌へと発展します。
アジア通貨危機、サブプライム問題に端を欲するリーマンショックは、すべてこうした動きのもとに始まりました。
そうなると投資家の所有していた株式は、「価値の裏付けが安定しない」特性のために企業価値とともに価値が下がり、投資家は損失を被ることになります。
株式は、価値が青天井である一方で、価値が0化しかねないリスクを伴うのです。
特に最近はレバレッジ取引が盛んで、自己資本以上の金を借金してまでつぎ込む投資家が後を絶ちません。そのため、株式市場の値動きもたいへん大きなものとなっています。
レバレッジによる損失は、ハイリスクハイリターンであり、投資家の損失が自己資本を上回った時点で、資金を提供した証券会社に追証を支払う義務が発生します。
手持ちの資産を増やすために始めた投資が、なぜか損失という幕引に終わる。
世間で「投資運用は危険」という声がなくならないのも、こうした失敗事例が1件や2件でなく繰り返されているためなのでしょう。
特に日本人は安全を重視する民族で、石橋も叩いて渡ります。そのために失敗事例の相次ぐ投資は敬遠されがちなのかもしれません。
しかし、投資市場に出回っているアセットクラスの全てが、株式のように、実態のない期待感と結びついているわけではありません。
アセットクラスの中には、いくら経済が悪化しても大きく左右されず、絶対に価値が0にならないものもあるのです。
それが現物取引と呼ばれるものです。
株式は、企業への期待感が価値の裏付けであるため、株式は最悪紙切れになります。
ところが、現物はそれ自体が価値の裏付けになるため、壊れたり盗まれたりしない限り、市場で一定の価値が約束されます。
主な現物取引には、金、銀、プラチナ、原油といった、量が限られていて、かつ保存性が高いために値崩れしにくいもの、
また価値が小麦やトウモロコシのように気候や収穫量に左右されやすいものに分けられます。
このうち、後者は科学技術の進展に合わせて増産され価値は低落していく傾向にあります。
また価格決定に影響する気候、流通といった素人では分析の難しい要因が介在するため、除外します。
一方、前者の金、銀、プラチナ、原油といった資産は、量が地球環境内に一定で腐敗リスクもない。
また、工業需要も根強いため、常に需要が尽きない特徴を持ちます。
そのため、いくら世界が混乱に陥っても、ゼロ価値化することは絶対にありません。
現物は、株式と異なりそれ自体に実需が保証されているため、絶対にゼロ価値化することのないアセットクラスと言えます。
では、本タイトルの趣旨、金が持つ特異性とは何を指すのでしょうか?
結論から言えば、金は同じ現物取引でも、銀やプラチナ、原油とは一線を画す特徴を持っています。
そのため、金の投資戦略も、他の現物取引を扱う場合とでは違った視点で眺めなければなりません。
金と金以外の現物(銀、プラチナ、原油)の決定的な違いのひとつは、工業需要の比率です。
銀やプラチナ、原油はどれも工業需要と結びついており、総需要に占める工業需要の割合も60%以上に及びます。
しかし、金の工業需要は総需要に対して、わずか30%ほどで、工業以外の目的で必要とされることが多いのです。
それは、金本位制に代表される普遍価値の裏付けとしての伝統、延性が強く加工のしやすい特性、またその輝きが評価され、装飾品需要が大半を占めています。
また各国の中央銀行が紙幣発行の準備金として金を集めてきた歴史も、金の価値を担保しています。
こうしてみると、工業需要の高い銀、プラチナ、原油はどれも経済と結びついて、原材料的な需要がほとんです。
しかし、金の価値は経済と切り離される価値があり、それ自体が価値と結びついてるのです。「真の現物資産」といっても過言ではないのではないでしょうか。
実際に下のグラフを見ても、同じ現物資産でも、銀やプラチナは経済不況時に合わせて低迷する傾向のあることが分かります。(原油はアメリカのシェール革命に見られる通り、増産リスクが大きく、予測が大きく外れることがある。取引の実態は投機に近いため除外)
理由は、言うまでもなく工業需要と結びついているためです。
経済不況が起きれば、破綻企業の出現によって企業活動が滞り、在庫が蓄積される傾向が強まります。
そうなると、企業は生産を減らす方向に動くため、工業製品に使う銀やプラチナの需要も落ちるのです。
つまり、銀やプラチナは、ゼロ価値化することがないメリットを持つ一方で、景気の上下に引っ張られやすい特徴があるのです。
グラフをみると、アジア通貨危機の起きた1997年~に銀価格が上昇しており、私の主張と矛盾する動きを示しています。
しかし、この時期は冷戦終結を受けてグローバル化の始まった、世界経済全体での成長期にありました。
アジアの経済危機を踏まえても、それを上回るほどの需要が発生していたという背景があったのです。
アセットクラスの価値を決める要因は1つではありません。
本タイトルの問いに答えます。
アセットクラスとして金だけが持つ特異性とは、経済動向に左右されず、むしろ景気後退時に変われるという、絶対的な価値の保証性といえるでしょう。
(追記)本タイトルからは外れますが、私は金(あるいは銀)はこれからかつてない暴騰を迎えるとおもっています。
なぜならドナルド・トランプの存在が、現行の株バブルの進行にとってマイナス要因に他ならないためです。
アメリカから見れば海外の安い人材移民を手放すのですから、別の人材を供給でもしない限り、人件費の高騰は間違いなく米国企業の財務を圧迫するでしょう。企業業績が停滞すれば、利益も減り、株価の低落に繋がります。
それと同時に、株式市場から資本は流出を開始し、新たな利益を求めて別市場を活気づけるでしょう。
もしもトランプ政策の結果として経済恐慌が起きた時、栄える市場はどこか?
それは現物の可能性が高い。中でも銀やプラチナと違って、工業需要と分離されがちな金に人気が集中すると私は考えます。
【年金不安】株を始めるべき理由4つ【トラウトとライアンの格差】
インターネットは、富裕層のみに開かれていた株式投資を大衆に開放しました。
「アベノミクス」や「暗号通過」など、投資に関する話題が人々の話題に上ることが何よりの証拠です。
いまや誰にも手の届く投資行為なのに、ほとんどの人は「怪しい」と言って忌避します。
人によっては、パチンコに大事な社会資本を投じておきながら、投資をする人間を攻撃し始める始末。
それで裕福な状態を維持できているならまだしも、そういう人のほぼ100%が貧困に喘いでいます。
貧困層ではないと反論する人も、誤った消費行動を続ければ、時代が進むにつれて苦境に追いやられることは間違いないでしょう。
本記事では、なぜ投資が時代の苦境をはねのけ、人生の安定性を高める上で効率的なのか?
というテーマで話していきたいと思います。
1. 国の社会保障政策に頼れないから
日本の社会保障制度は行き詰まる一方です。
これは日本に留まらず、世界共通の傾向です。
なぜなら、冷戦終結が国家の市場介入を否定したからです。
国家の役目は、弱者保護(共産主義革命の抑制)から企業活動を妨げないための税制策定という方向に切り替わり、そうなれば当然、国家の税収は減り、社会福祉に割り当てられる規模も縮小します。
片や老人世代の数は大戦後のベビーブーマーの高齢化で増える一方ですから、需要と供給の不均衡によって破綻は避けることができません。
社会福祉の力を取り戻すなら、それこそ20世紀に否定された共産主義を復古するのみですが、まず期待できません。
そんな現代の潮流に抗って、国家からの年金を、老後の生活基盤に想定すれば破綻するのが目に見えています。
国家の年金制度が信頼に足らないのであれば、老後の安全は各自で確保しなければなりません。
特に「大勢の高齢者を支えなければならない」若年世代ほど、それは強く求められるでしょう。
といっても、私は「75歳まで現役で働け」などという気は毛頭ありません。
その代わりに、誰でもインターネットひとつで取引できる株式投資をお勧めます。
国家→企業へと重要性が切り替わった1989年以降の動向を考えれば、年金→株式へのシフトは当然の推移です。
我々は、1989年以前の常識を疑わなければ、人生を踏み外す時代に生きています。
当然、行動も変えなければなりません。
株式投資を積み上げてきた差が、老後の安定性を隔てる格差となるでしょう。
株式は、配当を生み出します。
投資は、企業活動への出資です。
したがって、資本提供を受けた企業は、利益の一部を配当として株主に分配しなければなりません。
支払いの不履行は、株主の撤退により企業活動を死に追い込みます。
そのため、企業が生きている間、支払い拒否が起こることは絶対にありません。
いっぽう年金制度は、事実上の支払い拒否を起こしています。
年金制度が成立したとき、支払い開始年齢は55歳でした。
その開始年齢が徐々に引き上げられ、現在では65歳まで延ばされています。
これは、「小さな政府」を強いる時代の潮流が色濃く反映された措置であり、いわば仕方ありません。
しかしながら、時代は政府が力を取り戻すどころか力を失う方向に進み続けています。
年金支給の開始年齢が、さらに引き延ばされても不思議ではありません。
事実、60歳→65歳の引き上げが決定した1994年から25年経過しており、そろそろ追加引き上げの議論が起きてもおかしくないタイミングです。
明日、70歳への引き上げ(70歳まで現役)が決定してもおかしくありません。
健康を維持することすら難しい70歳の高齢で、安定収入を欠けば生き地獄が待っているだけです。
そのような袋小路に入らないためにも、現役中に、時代に沿った積み上げに心血を注がなければならないのです。
その注目すべき対象こそが株式投資です。
国家への税金支払いの見返りに受け取ることのできる報酬が年金でした。
株式投資は、これの企業版です。
積み上げた金額に応じて毎年、欠かすことなく報酬(配当収入)を受け取ることができます。
出資額に対して、日本株で1~3%、米国株で3%~5%の配当収入を受けとることができます。
100万円を出資すれば、理論上、1~3万円(日本)、3~5万円(米国)の安定収入を得ることができるのです。
国家が力を失った今、頼るべき組織は企業です。
「絶対に破産しない」収益性を擁する企業に投資すば、破綻が約束済みの年金に代わって、老後の安定収入を約束してくれるでしょう。
ちなみに、公的年金運用の運用損(2018年10~12月期の運用損が14.8兆円)がメディアを賑わせていました。
公的年金運用の運用先も株式ですが、これはあまり気にする必要はありません。
なぜなら、株式において、目先の株価の上下は些細な問題に過ぎないからです。
投資した企業が倒産することなく高利回りの配当を支払い続けてくれさえすれば、目的は達成したも同然だからです。
逆に言えば、破産する恐れがある点がリスクでしょう。
国家ほどの信頼がない民間企業には、当然倒産リスクがあるので、出資した企業が倒産してしまうことも有り得ます。
投資する企業を見誤った場合は、積み上げてきた資金ごと台無しになります。
しかし、出資直後から配当資格が得られるメリットも存在します。
企業の配当支払いは、年齢を問いません。
出資という事実があれば平等に支払いが履行されます。
そのため、支払いが成果を出すまでの期間が短く、手持ちの資本を膨らませることができます。
年金は、税金を支払ってから対価を受け取るまで数十年を要します。
しかし、株式は出資した年度から対価を受け取る点で優位性を持ちます。
もちろん、破産のリスクは残りますが、生き残る企業の選別を間違わなければ、最悪の事態はまず回避できます。
企業の将来性に暗雲が立ち込めれば、売却することも可能です。
つまり、判断能力さえ万全であれば、定期の安定収入が約束されるのが株式投資の魅力です。
パチンコや無駄なゲームにお金を出している人がいるなら、今すぐ株式投資に切り替えるべきです。
将来に備えるだけでなく、株式の即金性は現役中の利回りを期待できるので収益性も期待できます。
配当収入は確実なので、パチンコのような賭けも不要です。
現代に株式をはじめて損することはまずないでしょう。(短期で損をしても、次の挑戦で生きる)
2. インフレ圧力を回避するため
1979年、米国メジャーリーグの最高年俸は、ノーランライアン投手の$1,170,000(1億2878万円)でした。
それから40年が経った2019年、米国メジャーリーグの最高年俸は、マイク・トラウト選手の$35,833,333(39億4435万円)に達しています。
ノーランライアン投手といえば、MLBのシーズン・通算の両方で最多奪三振記録を保持する球界を代表する選手です。
いっぽう、マイク・トラウト選手は、新人から8年目の今シーズンに至るまで、優れた成績を残し続ける27歳のスター選手です。
2018年は、打率3割、本塁打39本を達成しました。
最高年俸は、その活躍に対して支払われた報酬です。
いっぽう1979年に13年目のシーズンを迎えたノーラン・ライアン選手は、防御率3点代ながら16勝をマーク。
所属するエンゼルスのチーム初の地区優勝は、彼の貢献なしでは不可能だったでしょう。
投手と野手という違いこそあれ、2018年のマイクトラウト選手と1979年のノーランライアン選手の活躍に大きな差はありません。
しかしながら、成績の評価額には、30.6倍の隔たりがあります。
2018年の日本プロ野球で打率.265、25本塁打の成績を残した中田翔選手は年俸2.8億円を受けとりました。
1979年当時、世界最高のMLBという舞台で飛ぶ鳥を落とす勢いだったノーランライアン氏は、2018年の中田選手の半額にも満たない給与で働いていたことになります。(1億2878万円)
この収入の世代格差は、ひとえにインフレーションの結果に過ぎません。
人口増加に従って経済が大きくなると、お金の量を増やさなければなりません。
パイを取り合う人が増えたのにパイが小さいままだと、苛烈な奪い合いに発展してしまうからです。
そこで、政府は人口規模の増大に従い、市場に供給するお金の量を増やして対処してきたのです。
供給量を増やすとは、印刷するお金の量を増やすことです。
金が代表するように価値は希少性に左右されます。
つまり、お金の量が増えれば単位あたりの希少価値は低下します。
すなわち、40年前に比べてお金の量が増えすぎた結果、希少性を失ったお金の価値が崩壊しているのです。
そのため、同じ貢献に対して支払われる報酬が釣り合うはずもありません。
お金の単位あたりの価値が落ちているのですから、多く積む必要に迫られるのです。
その例として紹介したのが、2018年のマイクトラウト選手と1979年のノーランライアン選手の年俸30倍格差ということでした。
しかしながら、社会はお金の価値が目減りしたとははっきりと言いません。
表向きにすれば社会的混乱を招くだけだからです。
事実、商品の値札が上昇を示しながら、庶民の給与が30倍も伸びるような事態には至っていません。
つまり、高齢世代は、お金の量が少なかった時代に貯めたお金で、紙幣の量(商品価格)が膨張したインフレ後の現代を生き抜く必要に迫られているのです。
今若い世代も笑っていられる話ではありません。
先述の通り、お金の量は人口規模に連動して増え続けます。
テクノロジーの進化に歯止めがきかない以上、地球人口は増え続けます。
だとすれば、今後も世界のインフレは続くと見て間違いありません。
(日本が人口減少を迎えても、世界で増え続ければ補填される)
今の現役世代が老後を迎えたとき、スーパーマーケットの値札は、現在よりも高額な数値を示していることでしょう。
パン1つが500円になっているかもしれません。
そうしたとき、古い時代に蓄えたお金では、確実に支障をきたすことになります。
これを回避するには、その時代の水準で得ることのできる収入を確保しなければなりません。
結果からいうと、インフレを織り込んでくれる株式の配当収入がベストです。
なにせ、企業活動はインフレの影響をダイレクトに受けます。
インフレで商品価格が上がれば、収益も連動して膨らみます。
収益が膨らめば利益も大きくなり、投資家に支払われる配当額も増加します。
いっぽう年金は、古い時代に定められた支給額の基準があるので、インフレを織り込めません。
株式は、時代ごとに生じるインフレ対策としても、年金にはない優れた効力を発揮してくれるのです。
3. 格差の恐怖から逃れるため
冷戦の終結は平等を否定し、資本主義を純化する方向に働きました。
つまり社会主義の否定によって、社会主義革命の不安を払拭した企業の利潤追求行為が肯定されるようになったのです。
格差は人類の間に起こる当然の結果と見なされます。
極端な金持ちと極端な貧者が量産され、両者を分ける格差が当然のものとみなされます。
これをイメージするには、格差を是認するインドのカースト制度が適しているでしょう。
カースト制度には、個人を隔てる4階級に加え、最下層の階級が用意されています。
資本主義はお金の量で人間の価値を評価するシステムなので、お金の量に応じて、各自に階級が割り当てられます。
インドのカースト制度における最下層民はダリッドですが、「アンタッチャブル(不可触民)」という名称が示すとおり、触ることも忌避されるほど人間扱いされていません。
社会の最下層の仕事を割り当てられ、現地で糞尿処理のような仕事に従事しているボロボロの服を着た人々です。
資本主義に生きる人々は、カーストほど極端でなくとも、それぞれの位に応じた階級を割り当てられます。
収入や資産が低くなると、望むと望まぬに関係なく、低カーストを割り当てられます。
個人が望まぬとも、社会からそのように見られるのです。
そうした時、最下層階級を割り当てられるリスクが、老人ほど高まるのは、前のインフレの項で説明したとおりです。
つまり、お金のない最下層民としての扱いを回避するためにも、現役時代から株式投資を積み重ねて、老後の安定につなげておかなければならないのです。
4. 圧倒的に成長でき、人間的実力が上がる
株式はお金を投じるだけで安定収入が得られる仕組みです。
しかし、投じる銘柄を厳選しなければ容易にお金を失います。
ただ参入すればよいのではなく、どこにお金を投じればリターンが見込めるかという判断力を問われるのです。
株式投資に参入した瞬間、判断力を培うための絶え間ない学習が始まります。
学習意欲が低い人でも、身銭を切ったお金の将来を占いたいという欲求から学習行動に舵を切るようになります。
とはいえ、この種類の学習は主体性を伴います。
学校における命令でやる勉強とは違って、自己利益に直結する問題なので必ずアドレナリンが出るレベルで学習が進みます。
その間の充実感は高いものがあります。
また学習を行う度に、以前より成長している自分に驚くはずです。
資産管理の責任が生じるので、嫌でもマネジメント能力や税に関する知識が身につきます。
経済のいろは、国の傾向といった知識を求める過程で経済学や心理学、ときには外国語さえ身に付くかもしれません。
そうした成長の蓄積が、人生の差となって現れます。
株式投資は、自己成長のきっかけという面でも多大なメリットを与えてくれます。
国家→企業に重要性がシフトした現在に始めない手はありません。
積み重ねが勝負の決めてであるなら、できるだけ早く始めるに越したことはありません。
5. 株式投資を始めるリスク
株式の本分は配当収入を狙った長期投資。
という基本はわかっていても、自分のお金を投じたとなると、日々の値動きが気になって仕方なくなるものです。
そうしたザワザワ感は確実にあなたから集中力を奪うことになるでしょう。
特に大暴落に巻き込まれたときなどは、強い憂鬱感に襲われ、本業に手がつかなくなることも珍しくありません。
本業に人生を捧げるレベルでコミットしたいという方には、デメリットに感じることも大きいかもしれません。
しかしながら、暴落時の憂鬱感というデメリットは認めつつもも、株式投資は人生単位で確実に大きな見返りを与えてくれます。
・年金に代わる老後の安定収入
・インフレ対策
・成長のきっかけ
こうした効果は、年金制度にはないものです。
「始めたほうがいいかも?」という意識が少しでもある人は、いつか始める可能性が高いです。
経験に左右される分野ので、どうせいつか始めるなら、今始めてしまいましょう。
東南アジア5ヶ国の富裕層Top10が華僑だらけな件について
鈴木傾城さんの記事で「インドネシア経済の90%は華僑が掌握している」との内容を目にしました。
それは本当でしょうか?
その事実性を検証するために、2017年のフォーブス資料を参考に検証を行います。
フォーブス記載の最富裕層の顔ぶれを見ることで、インドネシア経済を動かす主体を判別できるでしょう。
さらに、東南アジアの主要国の状況と比べることで、東南アジア地域全体の傾向に関しても仮説を立ててみたいと思います。
※過大推計とならないように、"出自不明"の人物は「中華系人材」の枠から外しています。
インドネシアの比率は76.7%(2017)
インドネシアの富裕層上位10名
最富裕層10名の資産合計(558.億ドル)のうち、華僑人材の資産額は428億ドルです。
これは割合にして76.7%であり、最富裕層上位10名のうち8割近くが華僑系人材の手に掌握されていることになります。
Indonesia’s 50 Richest
順位 | 名前 | 資産額 | 業種 | 民族 |
---|---|---|---|---|
1 | R.Budi & Michael Hartono | 17.1B | Djarum | 中国系インドネシア人 |
2 | Susilo Wonowidjojo | 7.1B | tobacco | 中国系インドネシア人 |
3 | Anthoni Salim | 5.7B | diversified | 中国系インドネシア人 |
4 | Eka Tjita Widjaja | 5.6B | palm oil | 中国系インドネシア人 |
5 | Sri Prakash Logia | 5B | polyester | インド系インドネシア人 |
6 | hairul Tanjung | 4.9B | diversified | インドネシア人 |
7 | Boenjamin Setiawan | 3.3B | pharma | 中国系インドネシア人 |
8 | Tahir | 3.1B | diversified | 記載なし |
9 | Murdaya Poo | 2.1B | diversified | 中国系インドネシア人 |
10 | Mochtar Riady | 1.9B | diversified | 中国系インドネシア人 |
合計資産額(B : 10億ドル) | 華僑資産 | 合計資産 : 華僑比率 | |
---|---|---|---|
インドネシア | 55,8(B) | 42.8(B) | 76.7(%) |
「インドネシア経済の90%が華僑人材の支配下」というのは、調査を末端の市民にまで掘り下げて行わないと答えは出せません。
もちろん、インドネシア人の大半は現地系の人々ですから、「経済資本の9割が華僑に所有されている」ことは有り得ないと思います。
しかし、資本の配分に決定権を持つ財閥系企業の枠組みでは、半ば華僑独占に近い状態が成立しているのかもしれません。
インドネシアは、過去に華僑弾圧を繰り返してきました。
また最近ではインドネシア国軍司令官が「中国人をサメの餌に」と発言して問題になりました。
こうした事件も、高すぎる華僑依存度に対する警戒から来ているのでしょう。
それ以外の国でも華僑人材が支配的
調査で明らかになったインドネシアの傾向は、東南アジア主要国の中で例外的なのでしょうか?他の国々の調査結果と比較してみたいと思います。
シンガポールの富裕層上位10名
順位 | 名前 | 資産額 | 業種 | 民族 |
---|---|---|---|---|
1 | Pobert & Philip Ng | 9.4B | real estate | 中国系シンガポール人 |
2 | Eduardo Severin | 9.3B | アメリカ系シンガポール人 | |
3 | Goh Cheng Liang | 7.8B | paints | 中国系シンガポール人 |
4 | Kwek Leng Beng | 7.1B | real estate | 中国系シンガポール人 |
5 | Khoo family | 6.3B | Maybank | 中国系シンガポール人 |
6 | Wee Cho Yaw | 5.8B | banking | 中国系シンガポール人 |
7 | ,Kwee family | 5.3B | Real Estate | インドネシア系シンガポール人 |
8 | Kuok Khoo Hong | 2.7B | palm oil | 中国系シンガポール人 |
9 | Raj Kumar & Kishin RK | 2.6B | real estate | 記載なし |
10 | Sam Goi | 2.2B | frozen foods | 中国系シンガポール人 |
資産合計(B : 10億ドル) | 華僑資産 | 合計資産 : 華僑比率 | |
---|---|---|---|
シンガポール | 58.5(B) | 41.6(B) | 71.1(%) |
最富裕層上位10名の資産合計(585億ドル)のうち、華僑人材の資本は416億ドル。
これは割合にして71.1%。
第2位にランクインするアメリカ系シンガポール人のエドゥアルド・サベリン氏(Facebookの設立者のひとり)が例証する通り、シンガポールは代表的な租税回避国の1つです。
そのため華僑以外の富豪も集まるので、調査した東南アジア5カ国の中では最も低い華僑寡占率となっています。
フィリピンの富裕層上位10名
Philippines’s 50 Richest
順位 | 名前 | 資産額 | 業種 | 民族 |
---|---|---|---|---|
1 | Hennry Sy | 18B | Investments Corporation | 中国系フィリピン人 |
2 | John Gokonawel Jr. | 5.5G | Surmit | 中国系フィリピン人 |
3 | Enrique Razon Jr. | 4.3B | International Container Terminal Services | 中国系フィリピン人 |
4 | Lucio Tan | 4.2B | LT Group | 中国系フィリピン人 |
5 | Jaime Zobel de Ayala | 3.7B | Ayala Corp | スペイン系フィリピン人 |
6 | David Consunii | 3.68B | Construction | 中国系フィリピン人 |
7 | George Ty | 3.6B | banking | 中国系フィリピン人 |
8 | Tony Tan Caking | 3.4B | Jolibee | 中国系フィリピン人 |
9 | Andrew Tan | 2.5B | Alliance Global | 中国系フィリピン人 |
10 | Ramon Ang | 2.3B | San Miguel | スペイン系? |
資産合計(B : 10億ドル) | 華僑資産 | 合計資産 : 華僑比率 | |
---|---|---|---|
フィリピン | 51.18(B) | 40.88(B) | 79.87% |
最富裕層上位10名の資産合計(511.8億ドル)のうち華僑人材の資産は408.8億ドルです。
これは割合にして79.9%であり、経済に占める影響力の高さを伺わせます。
フィリピン人御用達のSMモールもジョリビーも華人経営です。
マレーシアの富裕層上位10名
Malaysia’s 50 Richest順位 | 名前 | 資産額 | 業種 | 民族 |
---|---|---|---|---|
1 | Robert Kuok | 11.4B | palm oil, shipping property | 中国系マレーシア人 |
2 | Quek Leng Chan | 6.8B | banking, property | 中国系マレーシア人 |
3 | Ananda Krishna | 6.5B | telecoms, media, oil-services | 中国系マレーシア人 |
4 | Hong Piow Teh | 4.75B | banking | 中国系フィリピン人 |
5 | Lee Shin Cheng | 4.7B | palm oil, property | 中国系マレーシア人 |
6 | Lim Koh Thay | 4.45B | casinos | 中国系マレーシア人 |
7 | Yeoh Tiong Lay | 2.1B | construction, property, power | 中国系マレーシア人 |
8 | Lau Cho Kun | 2.08B | palm oil, property | 中国系マレーシア人 |
9 | Tiong Hiew King | 2B | timber, media | 中国系マレーシア人 |
10 | Syed Mokhtar AlBukhary | 1.8B | engineering, energy, construction | イエメン系マレーシア人 |
資産合計(B : 10億ドル) | 華僑資産 | 合計資産 : 華僑比率 | |
---|---|---|---|
マレーシア | 46.58(B) | 38.28(B) | 82.1% |
最富裕層上位10名の資産合計(465.8億ドル)のうち、華僑人材の資産は382.8億ドルです。
82.1%の占有率は、域内でも最大の部類です。
華僑系人材が離れていく形でシンガポールと分離した国ですが、富の大半は未だ華僑人材によって掌握されていることが伺えます。
タイの富裕層上位10名
順位 | 名前 | 資産額 | 業種 | 民族 |
---|---|---|---|---|
1 | Brothers Chearavanont | 21.5B | food | 中国系タイ人 |
2 | Charoen Sirivadhanabhakdi | 15.4B | drinks, real estate | 中国系タイ人 |
3 | Chirathivant family | 15.3B | retail | 中国系タイ人 |
4 | Chalerm Yoovidhya | 12.5B | drinks | 中国系タイ人 |
5 | ,Vichai Srivaddhanaprabha | 4.7B | duty-free | タイ系? |
6 | Krit Ratanarak | 3.9B | media, real estate | タイ人 |
7 | George Ty | 3.8B | insurance, beverages | 中国系タイ人 |
8 | Prasert Prasarttong-Osoth | 2.6B | hospitals | 記載なし |
9 | ,Santi Bhirombhakdi | 2.3B | bear | 記載なし |
10 | Aloke Logia | 1.75B | petrochemicals | 中国系タイ人 |
資産合計(B : 10億ドル) | 華僑資産 | 合計資産 : 華僑比率 | |
---|---|---|---|
タイ | 83.75(B) | 70.25(B) | 83.9(%) |
最富裕層上位10名の資産合計(837.5億ドル)のうち、華僑人材の資本は702.5億ドルです。
これは割合にして83.9%であり、調査した主要5カ国では、華人に最大の占有率を持たれている国といえます。
ちなみに、最富裕層のBrothers Chearavanont氏(華僑系)の資産額は、同年の日本の孫正義氏の資産額(204億ドル)を上回る215億ドルを示しています。
さらに、第2位のCharoen Sirivadhanabhakdi氏(華僑系)の資産額154億ドルをみても、中進国のはずのタイがすでに日本の富裕層を追い上げつつある状況が読み取れます。
東南アジア主要国に占める華僑人材のプレゼンテージは圧倒的
調査した東南アジア5カ国の全てで、富裕層上位10名の資産合計の少なくとも70%以上が華僑人材の手に握られていることがわかりました。
もちろん最上位10名の資産合計は、経済活動全体には過半数も占めません。
しかしこの階層は、資本関係により現地経済を支配下に置き、お金の流れに支配権を持っている人々です。
だとしたら、最富裕層に華僑人材が並ぶインドネシア、マレーシア、フィリピン、タイの経済は、華人の主導下にあるといっても過言ではありません。
香港やマカオ、台湾といった、中国に近いアジア各国の華人比率の高さは語るまでもありません。
だとしたら、アジアの経済活動は、華僑の支配下に降りつつある、と見ても間違いではないのではないでしょうか?
経済のパイの枠組みでは現地マネーが有力だとしても、ロビー活動を通して政治的移民政策が踏み切られた場合、数世代を経て現地民が華人と同化・交代していく恐れは十分にあるでしょう。
まとめ
今回調査した「東南アジア主要5カ国と華人経済の関係」についてまとめると、・タイ : 華人比率83.9%
・マレーシア : 華人比率82.1%
・フィリピン : 華人比率79.9%
・インドネシア : 華人比率76.7%
・シンガポール : 華人比率71.1%
です。
フォーブス2017記載の「東南アジアの富裕層上位10名」で調査した結果、東南アジア主要では、経済活動に占める華僑人材の支配比率が高まりつつあることが確認できました。
それは、調査の動機となったインドネシアだけでなく、シンガポール、フィリピン、マレーシア、タイにおいても結果は同様です。
これらの国々には、将来的な「中国化」の恐れがあります。
金の現物取引をオススメする理由
最近の株式市場を見ていて思ったことを、シェアさせていただきます。
結論から言うと、これから金の価値が値上がりする可能性が高いと見ています。
理由は以下の通りです。
現在の世界情勢について
1、株式のバブル状態
アメリカのダウ平均株価が暴騰しています。
2008年のサブプライムショックを受けて2009年3月6日には一時6626円をつけた株価は、2017年9月6日現在21807円まで高騰しています。
これは伸び率にして、329.1%。これは2001年に911同時多発テロが起きてから2007年のサブプライムショックまでの伸び率179.5%を凌駕する数値です。
暴騰の背景にあるのは、リーマンショック後に行われた投資銀行への資金注入、それに伴う金融緩和が大きいといえるでしょう。
信用創造によってダブついた金が株式市場に流れたのです。
日本でも、2012年に就任した安倍首相の金融緩和の結果、2012年12月7日に9527円をつけていた日経平均株価は、2015年8月7日には価20724円にまで達しています。
これは伸び率にして217.5%を記録します。
GDP世界1位と3位の国に起きた株価の暴騰によって、世界に株バブルと呼ぶにふさわしい状況が出現しています。
しかし、バブルで作られた相場は、必ずいつか崩壊します。
80年代日本のバブル景気やアジア通貨危機がそうだったように、実体経済と乖離して進行した相場は、必ず反発の売りの殺到によって崩れ去ります。
したがって、現在の株バブルもそう遠くないうちに弾けることが必至なのです。
そうである以上、私たちがすべきは1つ。
バブル崩壊より先に資産を適切な場所へ移転させておくことに他なりません。
では、どうするべきなのでしょうか?
2、バブルが弾けるタイミング
いつか必ず弾けるバブル。
その真っ只中にある私たちは、そのタイミングを予測し、「その時」に備えねばなりません。
バブル崩壊は、相場の急落によって富を失った人々をよそ目に、必ず別のアセットクラスを活気づけ、新たな富者を生み出します。
その時に笑うのは、バブル崩壊後の未来に対して、予め予測を立て資産を移動させていた投資家に他なりません
富はいつも先行投資者のもとに集まります。
バブル崩壊が起きてからでは遅いのです。バブル崩壊の発動によって投資家が一目散に逃げ出し始める時点で、すでに資産移転を完了させなければなりません。
では、現在進行中のバブルはいつ弾けるのでしょうか?
私はここ2~3年間の期間に起きると見ています。
理由を説明します。
3、トランプ大統領の政策の影響
自国民救済の意思を込めて「アメリカ・ファースト」を叫ぶトランプ大統領ですが、
私は彼の政策は自国民を救うどころか経済不振に突き落とす逆効果になると見ています。
言い換えれば、彼の政策がバブル崩壊の発端になると考えます。
先日、2017年8月29日早朝に北朝鮮によって発射されたミサイルが日本列島の上空を通過した事件では、米中の対立が露骨に表れました。
問題の発端となった北朝鮮はエネルギーをはじめ、食料、武器などの供給を中国に依存する中国陣営の国です。
両者は、国境を接するばかりか冷戦時代の共産主義陣営として手を握り合ってきました。
一方、国土侵略を受けた日本は、言うまでもなくアメリカ陣営の国です。
両者の関係は、戦後から続き、日本の輸出の約20%、またアメリカにとっても日本は輸出の6%を占めるなど重要な同盟国となっています。
アメリカに取っては、その重要な同盟国の領土が敵対国に与する北朝鮮によって侵害を受けたのですから、報復は避けられないとみるべきです。
現在、米中間には貿易摩擦が存在し、トランプ大統領は、「中国からの輸入品に35~45%の関税をかける」と対立する姿勢をとっています。
当然ながら、北朝鮮は報復を覚悟せねばならないでしょう。
実際に、トランプ大統領は、北朝鮮に対する石油輸出の制限するなど経済制裁の行使を決定しています。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASGT06H0O_W7A900C1MM0000/(日本経済新聞 17/09/06)
これに対し、現在は北朝鮮を使ってアメリカ陣営を挑発している中国ですが、終局的には米国との衝突は避けられないでしょう。
とくにトランプ大統領は、保護主義を掲げ自由貿易に反対の立場なのですから、いずれ中国との貿易も冷え込んでいくはずです。
もし中国との貿易が停止され、雇用関係も2国で分離されていくのなら、結果的に米中のどちらが栄えようと、株式市場のバブルは避けられないでしょう。
なぜなら自由貿易の停止は、企業活動にとってマイナスに他ならないためです。
株式の価値は企業業績に対応しています。これと乖離した相場はバブル相場として短期に崩壊します。
トランプ大統領率いる米国は、安い労働力という新自由主義のメリットを廃止し、自国民優先の方針に向かうのですから、
当然米国民を雇うための高い人件費は、米国企業の業績を圧迫するでしょう。
人件費の高騰により、米国企業の設備投資、製品開発、その他の企業能力が抑制されるのですから、間違いなく米国企業の企業業績は下がります。
法人税を下げる方針を実行に移ししても、政府歳入の減少は、米国の基幹産業である軍事企業の衰退をもたらすわけです。
軍事企業は雇用創造のベースとしての側面もあるため、このセグメントの弱体化は、雇用減少につながります。
このようにトランプ大統領の行き当たりばったりの発言を実行に移せば、米国企業は衰退に向かうしかないのです。
そしてトランプ大統領は愚直に政策を実行に移しつつあります。
先ほども述べた通り、企業業績を超えて進行する相場はバブルに他なりません。
今ですらその兆候があるのに、企業業績という株価の基礎が衰退すれば、必ず株式市場には我れ先にと売りが殺到するはずです。
つまり、トランプ大統領の理想を追求する限り、バブル崩壊は避けられません。
米国のバブルが弾ければ、これまでもそうだったように、日本の株式市場も巻き込まれます。
4、有望な投資先は金。ただし条件がある。
では、米国発のバブル崩壊を見越して、私たちはどのアセットクラスに資産を移すべきなのでしょうか?
タイトルの通り、私は金市場だと考えております。
とはいえ、金はすでに高騰に一段落ついており、これ以上の加熱は考えにくいかもしれません。
しかし2012年のアベノミクス実施前は、マネーサプライの増えていない違う時代です。
2009年の米国金融緩和以前ともなると全く別の時代といえます。
もはや過去のデータはあてになりません。
理由を説明します。
以下のグラフは、金市場の出来高の推移を示したものです。
グラフによると、金の出来高(取引が行われた数)は、世界情勢の不安材料が大きい時期に上昇しています。
2001年には、約979万だった出来高は、同時多発テロが起きた翌年の2002年になると、約2050万件と2倍以上に拡大します。
2004年のイラク戦争の時期になると鈍化していますが、これはこの時期の株高も同時進行したために、資本流入の流れが分散されていた可能性が高いです。
そして2011年の東日本大震災の発生、また中東の混乱が顕著になると、前年までほぼ横ばいで推移していた出来高が再び上昇します。
その後は低下傾向に転じ、2014年には1000万件を割り、800万周辺で推移しています。
金の出来高は、世界情勢の混乱時に上昇しやすく、安定期に下降しやすいといえるでしょう。
つまり1000万件を下回る現状は、安定期です。
しかし、これは現状の世界情勢に対応した数値ではありません。
世界は、米中対立やイスラムのテロ、移民問題など、不安材料で溢れています。
つまり、これから金の出来高が現実の動きを反映し始めるに伴い、
株式市場のバブルを活気づけていた資金が、一斉に金相場に流れる可能性が高いのです。
先述の通り、トランプ大統領が理想を追求するほど、米国企業は人件費の高騰に圧迫され、衰退を余儀なくされるでしょう。
企業業績の圧迫は、株式相場を適正値まで下降させ、望むと望まぬに関係なく、人々をバブルの夢から冷ますことになるでしょう。
そして株式市場から流出した金は、金を含む現物相場へと流入し、金融緩和で刷られたバブルマネーを吸収した金市場はさらなる膨張へと邁進していくはずです。
繰り返しますが、いつも先行投資者のもとに富が集約されます。
今すぐ、とはいわずとも相場を追いつつ機会を伺って、ここぞという時に攻勢をかけれるよう準備しておくべきです。
(ただし現在は高騰気味なので、資金注入は下降時を狙うべきであることは言うまでもありません。)
【高反発球】プロ野球のボールの反発率で景気調整?【ホームランが多い年は好景気?】
次のような記事を目にしたことがあります。
記事の中で紹介されていたのは、メジャーリーグの事例でした。
しかし、近年の日本プロ野球を振り返っても、思い当たる節がなくもありません。
1 日本プロ野球の打撃成績と日本経済の相関
例えば2013年以降、「統一球」が用いられた2011年~2012年から一転、打撃好調な選手が多く見えたのは気のせいでしょうか?
2013年
・中田翔選手の好調(打率3割)
2013年
・山田哲人選手、柳田悠岐選手、筒香嘉智選手の台頭
2013年以降
奇しくも、この時期はアベノミクスの施行期間と重なっています。
思えば、政府が強引にでも景気を上向かせなければならなかった世界金融危機(2007年)以降の時期、例年には珍しい打高が発揮されたことも事実です。
2008年
・村田修一選手の46本塁打
2008年
・アレックス・ラミレス選手の49本塁打
2010年
・西岡剛選手の打率.348
2010年
当然、成績を左右するのは、選手の実力です。
しかしながら、「飛ばない」統一球が導入された2011年に、球界がかつてない打低投高に見舞われたのは事実です。
例年に渡り3割30本をクリアしてきた小笠原道弘選手が5本塁打に終わり、栄華に終止符が打たれたのも2011年でした。
小笠原選手以外にも、多くの選手が不振にあえいでいます。
この年の教訓は、「野手成績は、ボールの反発度から多分に影響を受ける」という客観的事実です。
もし、ボールによって選手の成績をある程度コントロールできるのであれば、超法規的な措置によって、何らかの操作が実施されないとも言い切れません。
これについて、データはどのような見解を示しているのでしょうか?
プロ野球の成績と経済状況には、何らかの相関関係が確認できるのでしょうか?
2000年から2016年までの本塁打数の動向
次のグラフは、年度ごとの球界全体の本塁打数の推移です。
年代ごとの本塁打数の傾向
2013年以降、新しいスター選手の台頭が球界を賑わせ、プロ野球人気を活気づけています。2015年の山田哲人選手(38本塁打)のように、突然のブレイクを果たした若手選手も少なくありません。
それでも、2013〜2016年の数字は、2000年〜2004年のホームランの量産具合には遠く及びません。
2000年に1571本だった本塁打数は、2004年に期間中ピークの2010本に到達。
年間2010本塁打は、1球団のオーダー平均で見た場合、1打者平均-約19本塁打のペースです。
この数字は、いかに2004年が「飛ぶボール」であったかを物語っています。
その後の本塁打数は、2004年の2010本をピークに2006年の1453本まで減少した後、2010年の1605本まで緩やかな右肩上がりの回復基調をつけます。
しかし統一球(違反球)が導入されたことをきっかけに、2011年、2012年と本塁打数が激減。
2011年、2012年と1,000本塁打を下回るシーズンが続き、2012年には881本まで暴落。
1球団のオーダー平均で見ると、2012年は1打者平均-約8本塁打。
これは2004年の半分以下です。
2013年〜2016年は、「違反球」への反省から球質の改善が行われ、単年1,200〜1,400本塁打の間で安定的に推移します。
2000年~2016年までの動向をまとめます。
2005〜2010年1453〜1747本。高反発の調整期
2011〜2012年1000本以下。統一球の導入による低反発化
2013〜2016年1217〜1361本。低反発化後の安定期
さて、この動向に日本経済との相関が認められるのでしょうか?
2000年から2016年までの日本経済の推移
次のグラフは、世界経済のネタ帳掲載の「日本の経済成長率の推移」です。まずは、日本経済を振り返ってみましょう。
日本の2000年代は、ITバブルで始まりました。アメリカ発の新しい技術の登場によって、次々と新興産業が勃興し、投資を呼び込みバブル景気を形成します。
さらに2001年にはアメリカで同時多発テロが起こり、中東への軍事侵攻が実現。
2002年以降のアメリカの景気回復をベースに、サブプライムバブルが水面下で進行し、のち2007年に破綻を迎えるバブル景気を形成します。
この影響を受けて、日本も好景気に沸きます。
ところが、2007年にサブプライムローン問題が発生。
米国は金融危機に突入し、この流れの中で起きた2008年のリーマンブラザーズの経営破綻がきっかけとなり、リーマンショックが発生。
日本も連鎖的な金融不安に巻き込まれ、不況に突入します。
世界の首脳が金融緩和を実施していく中、日本の民主党は金融緩和を避けたため不況が長期化します。
さらに2011年には東北地方で東日本大震災が発生。
都市の壊滅と、原子力発電所の崩壊から不安心理が高まり、日経株価は暴落。
長年の不況に続く震災の打撃が、「傾きかけの日本にとどめを刺した」かのように見えました。
ところが、政権交替が実現し、安倍新政権が発足。
首相は世界に向かって大幅な金融緩和を伴う「アベノミクス」による不況脱出プランを掲げます。
これが受け入れられ、世界から投資が殺到。
震災の被害は大きかったものの、堅実な内需経済を基盤とする日本経済は、今のところ通貨毀損を起こすことなく持ち直すことに成功しています。
まとめます。
2007年〜2012年世界金融危機と民主党のデフレ政策。景気後退期
2013年〜2016年アベノミクス。景気回復期
日本のプロ野球の打撃成績と経済の傾向を分析してみます
2000~2016年期の日本経済の動向を見ると、2007~2012年の不況期間を例外として、概ね好調に推移してきたことが分かります。
一方、ホームラン数の推移は、2001年〜2004年にかけての急増期、2011年と2012年の激減期に特徴的な動きが確認できます。
もし、プロ野球が「プロ野球の打撃成績が社会情勢に適したムードを演出するために調整を受ける」という仮説が成り立つなら、ホームラン数が特異的な動き方をした2つの時期について社会情勢を確認する必要があります。
2001年〜2004年にかけての急増期
小泉政権の発足期間と一致
2011年と2012年の激減期
2011年の東日本大震災から2013年の「アベノミクス」の発効時期までと一致
「金融規制緩和」、「派遣法改正」など、急進改革によって日本の政治制度を大きく様変わりさせた小泉内閣は、2001年〜2006年まで日本の内閣を握った政権です。
この期間は、ホームラン数における「2001年〜2004年にかけての急増期」と重なっており、2001年のタフィ・ローズ、2002年のアレックス・カブレラ選手が立て続けにシーズン55本塁打を達成し、マスメディアを賑わせていた時期です。
また、「2011年と2012年の激減期」は、東日本大震災と原子力発電所の崩壊によって、破滅的な世論が蔓延っていた時期と重なっています。
当時の政権は、民主党でしたが、悲観的なムードの形成に一役買っていたことは間違い無いでしょう。
その翌年、安倍新政権による「アベノミクス」による株価暴騰を迎えると、悲観的な世論は打破されることになります。
アベノミクスの施行時期と重なる2013年~2016年の間は、プロ野球の本塁打数も回復し、概ね安定的に推移しています。(ただし、2010年以前に比べると少ない)
この時期は、大谷翔平選手の大ブレークや山田哲人選手、柳田悠岐選手のトリプルスリーなど、プロ野球にとって明るい話題でもちきりとなり、社会に対して明るいイメージを与えました。
こじつけに過ぎないが、それっぽい動きが確認できたことは事実
こうした印象は、データを無理やり結びつけた印象であり、「こじつけ」に過ぎません。しかし、本塁打数が特異的な動きをした時期には、国内情勢的にも変異が認められたことは事実です。
2 米メジャーリーグのケース
日本の野球だけでは論拠に乏しいので、メジャーリーグのケースを見てみます。アメリカはデータ重視社会なので、専用のウェブページがあり、データを調べることは難しくありませんでした。
トランプが政権についた2017年の動向について
結論から言うと、トランプ大統領が登場した2017年、明らかな高反発球化の動きが確認できます。
この大統領は、「アメリカファースト」を掲げ、アメリカ経済の復活を公約に政権の座に上り詰めた人物でした。
明るい社会ムードを必要とする大統領といえるでしょう。
データは、明らかに打高化の傾向を示しています。
(https://www.baseball-reference.com/leagues/MLB/bat.shtml)
このHRという指標は、1試合あたりの平均本塁打数です。
1800年代まで遡れる同データベースの中で、2017年は、史上最高の平均本塁打数を記録したシーズンであったことが確認できます。
第2位の2000年でも、「1.17」と、1.2台に差し掛かるシーズンはこれまで1度もなかったのに、2017年は「1.27」と1.2台後半を突破してくるほどの増加傾向であったことを示しています。
実際の選手成績を見ても、ジャンカルロ・スタントン選手のシーズン59本塁打(前年までの最高本塁打数は37本)、2年目のアーロン・ジャッジ選手のシーズン52本塁打による台頭など例証は難しくありません。
日本の田中将大選手も地元メディアのインタビューにおいて「例年よりボールが飛ぶ気がする」といった内容の証言を語っています。
そして、この2017年という年は、経済政策を重視するトランプ大統領が登場した年と同年です。
筆者個人としては、プロ野球の「打高誘導陰謀論」に同意
これまで、データをみつつ日本とアメリカの野球の打撃傾向を政治と結びつけて分析してきました。もちろん、打者の実力、成長、あるいは全体的な投手のコンディションなど、ホームラン数を決定する要因をボールの反発率だけに求めるのは難しい気もします。
解釈は個人に委ねられるでしょう。
とはいえ、調査の中で見えてきた、ホームラン数の変動が激しい時期と、国内情勢の激動期の奇妙な一致は、非常に印象深い経験でした。
アメリカの2017年における、トランプ大統領の登場と、1試合あたりの平均本塁打数の急増の一致を見ても、個人的には「少なくとも関係はあり」という結論に至っています。
ボールの反発率と経済動向の関係、信じるも信じないもあなた次第です。
ジャカルタの記憶
インドネシア人の民度やばくね
日本のネットには、インドに対する悪口が溢れている。
曰く、汚い、暴力的、詐欺的など。
確かに北インドにはそれが当てはまるのだろう。しかし少なくとも南インドの人々は平和的で穏健的だし、詐欺も嫌だと示せば止めてくれる。
むしろ、ネットにあるインド悪玉論のほとんどはインドネシア人に当てはまる特徴だと思う。
インフラ崩壊、詐欺の横行、表情の邪悪さ。
インドネシアと言えば、パプアニューギニアと隣接する地域があるが、ここではいまだ魔女狩りが横行している。
島によっては国境を接しており、同じ島の中に国境で2つに隔てられている状態だ。
つまり民族的には同祖なのであり、インドネシア人中にパプアニューギニア人的な特徴が認められることものがいることは疑いはない。
インドの風習サティは、未亡人に旦那の後追いをさせる風習だった。パプアニューギニアの魔女狩りに比べればだいぶ穏健的だったが国際世論からの批判を受けて消滅した。
魔女狩りでは、「魔女的」な特徴の断定と思い込みから魔女認定された女性に対して、想像を絶する暴力が行使される。最終的には生きたまま焼かれる。
こんな野蛮な風習が、なぜ放置されたまま温存されるのか意味がわからない。
私がパプアニューギニア周辺に近づかないことに決めている決定的な要因である。
インドネシア人といっても多民族国家で人も様々なのだが、究極的に言えばパプアニューギニア的な粗暴な人と、穏やかで親切な人の2パターンに分かれていたと思う。
とくに都市区画ごとに人のタイプはよりけりで、クタのどうしようもない連中がいると思えば、クタのでっかい電光掲示板から数百メートル進んだ先には穏やかで親切な人々の集落が存在している。数百メートル離れただけでこんなに違うのかと驚いたものだ。
東南アジア随一の自然破壊
街には民間人のポイ捨てで魚の住めなくなったドブ川が流れ、その周囲にバラック同然の住居が林立している。
自然の豊かな土地にあって木々や河川の占める空間が大きいのだけど、誰も拾わないゴミが溜まりに溜まって豊かな自然を埋め尽くしてた。
インドの都市でも思ったことだが、自然を大事にできない連中というのは、いつかしっぺ返しを食らうだろう。
とくに河川と森林は歴史的に都市生活の中心であり、市民生活に不可欠な飲用水と燃料の薪を提供してきた。
世界の有名都市が、人種や宗教圏を超えて川の周辺に栄えたことを思えば、河川の重要性は一目瞭然である。
テムズ川のロンドン、ナイル川のエジプト、ドナウ川のウィーン、利根川の江戸などなど。
河川の豊かな都市は豊富な水源によって森林も開けていく。
にもかかわらずインドネシア(ジャカルタ)の街並みを見ると、まるでゴミ箱に捨てるかのように、市民は河川にゴミを投げ捨て、汚染することに抵抗がない。
河川の汚染著しい街にあって、生活用水が使い物にならないことは明らかだし、彼らの飲用水も対外依存が進んでいるのだろう。
今はまだ無視できるかもしれないが、水質の汚染が森林の削減〜山の崩壊として目の前にきっと現れるから今に見てろと言いたい。
しかしこれは、インドにもインドネシアにもフィリピンにも共通する問題点だった。
豊かな自然の助けを受けて生きてきた東南アジア人が、自然を粗末に扱うことが理解できない。
インドを見ても、自分はけっこう真剣に、BRICKsの一角としてのインドの発展は、土地の荒廃で頭打ちになると思っている。
今の所、インドには安いミネラルウォーターが流通し、市民の水需要は満たされているが、外的援助の手厚さが逆にインド人から自然破壊を見直すきっかけを奪っているように思える。
方向転換することもなしにこのままインド人が自然破壊に突き進めば、過大人口の消費活動によって、やがて森林の浄化作用が失われていくだろう。
そうなると、山の地面が保水能力を失ってぬかるみ、土砂崩れが頻発し、街がよどみ、元々の不衛生が災いして象の糞などを媒介に疫病が蔓延していくだろう。
彼らの躊躇ない自然破壊を見ていて自滅はそう遠くないもののように見えた。
かつて日本も発展の過程で公害を引き起こしたが、インドに比べると人口規模も小さく、何よりすぐに是正に取り組んだことが即座の問題解決につながった。
インドは、自分たちが人口13億の消費活動という異次元の世界線に突入しているにもかかわらず、自然の限界能力に無自覚で、滅びようとしている。(ように見えた)
インドネシアはインドほどの人口規模はない。しかし、2億6000万の人口は十分に大人口国の部類であり、向かっている方向性はインドと同じだと思う。
盛んなローカル店が面白い
これはインドネシアだけでなく、インドでもタイでもフィリピンでもマレーシアでもそうだったし韓国も同様だった。見方によっては日本も同じだろう。
では一体何かと言うと、ローカルのお店が残っているのである。
路上にはローカル向けのお店があちこちに点在していて、24時間通して必ずどこかが開いている。
それは都市景観の一部であり、扱う品の不統一さ、雑多さが都市の多様性を代表していて面白い。
インドネシア、君も世界経済に飲み込まれていくんだね。
しかし、日本に起きたことはこれから後進国に起こることだ。
日本は世界初の新興国だったと言える。「産業革命による生産技術の進展」のことを近代化といい、後進国は近代化によって先進国の仲間入りを果たすためだ。
したがって、世界初の新興国日本に起きたことは、後進国がこれから通過する未来だといえる。
日本の商店街は1990年代の大店法の改正によって、大企業との競争を強いられ廃業するか減収を余儀なくされるか、あるいは傘下に取り込まれていった。
それまで地域の商店街に分散していた売り上げも、少数の大企業に集約され、人々は下請けや従業員として大企業の下部構造に組み込まれていった。
そして、その企業グループを投資家である欧米資本が上から支配するという、世界的な業界の階級に組み込まれたのである。
この日本がたどったトレンドに、いずれは後進国も乗って行くことになるだろう。
ローカルの売り上げが盛んな地域も、いずれは日本の商店街同様に居場所を奪われ、下請けや従業員として大企業に組み込まれていくだろう。
そしてローカルマネーの集約を果たした大企業の膨張が起こるのである。
まだそんな気配はまだあまり感じられない牧歌的な時代のインドネシアを訪れることができたのは、よかったのではないかと思う。
旅の教訓その2
1 必ず記録を残すこと
写真、手書きのメモ、手段は問わないので出会った人、目にした都市の様子、お店の雰囲気などは記録に残すこと。
一切記録を残さないまま旅をして3年も経つと、思い出せない記憶が出てくる。忘れてしまったら、そこに存在しなかったこと、出会わなかったことと同じになる。
写真はふとしたことで焼失する恐れがあるし、情報量が少なく、どういう経緯で出会うに至ったかという情報まで保存しきれない。やはり詳細に残せるのは文字。
私たちが歴史を知ることができるのも当時の歴史家が起きたことを文字で残してくれたからだ。やはり手書きのメモをお勧めしたい。
異国の地を回っていると、メモ帳一冊では収まらないほどの経験に出会うはずだ。それらを忘れてしまうのはもったいない。そして書き留めないと失われていくということだけは繰り返したい。
旅をきっかけにブログを始めるのもよいと思う。
2、荷物の軽量化を忘れずに
重すぎる荷物は、旅の妨げになる。
特にバッグにいれがちなのが本だけど、日本語環境から離れると意外と日本語感覚も薄れるもので、読むつもりで入れた本もたいてい読まないまま帰国することになる。
旅の途中で邪魔になることもしばしばなので、どうしても必要なもの以外は、最初からバッグに入れないのが一番。
どうしても必要な本があるのなら、Kindleの中に入れてしまおう。そうすれば多数の書籍が一つが端末内に収まるので万事解決だ。
kindle unlimetedを使えば様々な書籍が月額980円で読み放題なので、海外で疑問が湧いた時など、図書館代わりに使うことができる。
自分は、洗濯用のバケツとラップトップ、あと服やアメニティなど細かいものを収納する袋だけバッグに入れて背負っている。
バックパッカースタイルだ。足りないものがあれば、現地で買えばいい。
3・できるだけ多くの人と話す
新たな出会いは刺激がある一方で苦痛も伴う。
それは日本人同士でも起こるから、外国人同士だとなおさらよく起こる。
でも、辛いのは話しかける前だけで、会話の最中や後には、えもしれぬ満足感に満ちていることが多いと思う。
人間を高めるのはコミュニケーションだから、海外に出るならこの機会を積極的に利用したいものだ。堂々と交流を持とう。異文化の中で人間力を鍛えよう。
外国人はあけっぴろで、コンビニの外でお互いに食べている物を交換するところから会話が始まったりする。
外に出たのなら異文化に浸ってみたいところである。5年後、10年後に旅を振り返った時の満足感が絶対に違う。
(※女性の場合は注意が必要)
4、物乞いは働かせるべきではないか
物乞いに喜捨する人、しない人、それぞれだと思う。
貧困児童だから可哀想という理由で援助する人もいれば、バックにいる犯罪組織に憤って援助しない人もいる。
しかし、どちらの考えにも欠点があるのではないか。
物乞いの求めにそのままお金を渡す人は、無条件に富を与えることで結果的にその子供をコジキにしている。
バックの犯罪組織のために援助を与えない人は、子供が本当に飢えていた場合の可能性を無視している。
では、どうしたらいいのか。自分はこうしている。
お金は、成果に応じて与えれば良いのである。
バックがいるといないとに関わらず、労働の成果に対しては、誰だって正当な配分を受ける権利がある。
それが資本主義であり、現代のルールだ。
その場で肩もみなどの労働を指示して、履行した子供には施しを与えればいい。
無視すれば放置して去ればいい。
結果は、その子供の行動次第である。
こうすれば子供の背景関係なくフェアだし「富の源泉は労働」という資本主義の基本を教える効果もあるはず。
結局、喜捨に対する考えは人それぞれなのだけど、自分は条件として労働を課すようにしている。
まあ忙しい時はスルーしちゃうわけだけどね。
これからの世界を分ける3つの勢力
今回の記事は、東南アジアのビーチでボケーと空を見ながら考えるようなことなので、誰の役にも立たないと思います。
私は、世界は大きく3つの対立に分かれると見ています。
成長著しいBricks諸国だけでも4カ国存在するため、一見多極化が進行しているように見えます。
しかし、突き詰めると世界の勢力は3つに限られるのではないでしょうか。
それは、アメリカのコーポラティズム(新自由主義)、イスラム諸国の原理主義、中国の中華思想です。
これらの共通点は、歴史的背景に裏打ちされた拡大主義を持つことです。
アメリカはそもそもがヨーロッパ諸国の拡大政策によって作られた国です。南北戦争が終わると、戦争により領土と資源の拡大を始め、征服地では特有のコーポラティズムが進みました。日本含め、南米、アジアなどアメリカのコーポラティズムに包摂された国々は世界各地に存在します。
また世界中から人材を集積し、科学文明の中心にいます。
インターネットインフラの寡占、基軸通貨権の保持、世界最強の軍事力など見ても、その影響力は絶大であり、現代の最大勢力といえるでしょう。
イスラム諸国は、宗派によって穏健なものから強硬なものまで様々ですが、原理主義の拡大で持ちきりのISは強硬派です。
イスラム原理主義が理想とするサラセン時代は国境がありませんでした。
イスラム原理主義は、世界中のイスラム教徒にサラセン時代への復帰をよびかけ、国境を否定します。
世界人口に占める宗教人口の割合も16億人を突破するイスラムは、すでに世界的な広がりを持っているといえます。
ここに拡大主義と歴史背景が確認できます。
一見拝金主義はどの国家にも共通しているように見えて、中国ほどの拡大主義と歴史的背景を持つ国はいません。
他にはアメリカくらいです。
アメリカの支配層は信用制度(連邦準備制度=紙幣の大量発行)で格差を作り出し、世界中の貧民を奴隷化するなど拝金主義な面が強いです。この信用制度の起源も12世紀の中国に行き着きます。現在の中国もシャドーバンクで富を膨張させ、持たざる農民を奴隷化しているのは周知の通り。
また中国のマネーに対するこだわりは中華思想と結びつき、移民排出国として世界中に移民を排出してきました。東南アジアの国には華僑によって経済中枢が握られている国が1つや2つではありません。
また本土人口だけで13億人を超え、周辺国にも華僑が点在しています。中華思想も世界的な広がりを持つ思想といえるでしょう。
なおBricksの一角であるロシアもアメリカに対する挑戦を唱えています。近世にも南下政策を繰り返したロシアですが、西アジアへの南下政策の大部分は失敗に終わっています。共産主義を採用した後も冷戦でアメリカに敗北しました。
そして現在は、アメリカには原油価格下落の反撃を受け、経済破綻の危機にまで追い詰められているようです。資源国家の限界でしょう。
(ロシアの軍事力はアメリカ以上とかいう人がいるけど、まずない。 Bricksの給与水準では人材が集まらず科学研究すら進まない。そもそもロシアの優秀人材は豊かな給与水準を求めてアメリカに流出するというのに、知識層抜きの状態でどうやってアメリカと闘うのか。また民間技術のほとんどは軍事転用。軍事が優れているならロシアから優れたイノベーションが出てきてもいいはず。そういう話はまったく聞かない。)
拡大主義を掲げようにも、象徴的な思想もなく、歴史的裏付けも弱いため支持を得にくい。ロシアは世界的な広がりを持ちにくい地域といえるでしょう。
同じくインドもブラジルも被征服地が起源であり、拡大主義を進めようにも、広がりを持ちにくい点で共通しています。
内乱が相次ぐアフリカや南米地域は統合すらままならず、拡大主義など望めようもありません。
世界はアメリカ圏、イスラム圏、中華圏の3つに分割され、残りの国々はこれら3国に従う形になるでしょう。
インドなどは中立主義を守りそうですが、鎖国の限界点を超えた後で上記のいずれかに包摂されるものと思われます。
楽しかったマラッカの記憶
クアラルンプールからマラッカへの移動には、バスを使った。
バスの内装は快適で、エアコン付き、座椅子の質もグッド。
座椅子同士の間には十分な間隔があって、日本の高速バスみたいな窮屈さは一切ない。
これで1000円超なのだから日本のバス会社も見習ってほしい。
ここマラッカは、イギリスの海峡植民地として発展した都市である。
1511年、ポルトガル人はマレー半島に拠点を作った。
いわゆる「ペナン・マラッカ・シンガポール」の一角だが、ペナン島ほどイギリス色は強くなく街も発展していないように感じた。
料理もペナン島とは若干異なっていたように感じる。
この違いは、やはり都市の基盤を築いたのがポルトガル人であることに由来するのだろう。
マラッカは、大航海時代初期の息吹を伝える街である。
港湾都市の富に目をつけられ、マラッカは侵略が相次いだ歴史を持つ。
日本の戦国時代にやってきたフランシスコ・ザビエルもマラッカで布教を行っており、セントポール教会の前にいくとフランシスコザビエル像があり、日本で見られる禿げ頭の絵とはまた違った彼を見ることができる。
ポルトガル、オランダ、イギリスと推移した占領時代が、1957年のマラヤ連邦の成立を持って終了すると、かつての宗主国が遺した建造物は歴史遺産としてみなされるようになった。
代表的なものに、セントポール教会(ポールはパウロ[Paul]の英語読み)、オランダ由来の赤煉瓦の建築物が残るオランダ広場、ポルトガルの残したサンティアゴ要塞、セントポール教会、イギリスの残したコーンウォリス要塞などがある。
マレーシアで日本人に人気高い都市はペナンだそうだが、自分はこのマラッカにセカンドホームのような親しみを感じている。
静かで、歴史が豊富で、ご飯が美味しく、親日的なこの都市になぜ注目が集まらないのか、未だによく分からない。
ちなみに、このマラッカ州にもスルタンはいない。ただ、2016年に中国政府の開発計画を受け入れたそうで、今後軍港都市化する恐れがあるようだ。
これまで、海上交通の要衝にあるマラッカは超大国の侵略に晒されてきた。これからもマラッカの地政学的重要性はかわらない。超大国はここを抑えようと努力を払うだろう。
マラッカがこの先どの道を進むかは未知数である。
ドミトリーのフロントを務めていた23歳位のマレー系女性の思い出
バスが到着したセントラル・バスターミナルは、駅地下のショッピングモールのような佇まいが内部にあって綺麗とはいえず、
規模も小さく混雑していたため、あまりいい思い出がない。
バスターミナル周辺も閑散としており、10km近く歩いてやっと開けたエリアにたどり着いた。
バスターミナル付近の田舎道を抜けて、ようやく栄えた場所が見えてきたかと思うと、遠くに大きなAEONのモールが見えた。
当然、ここを目指す。
モールまでたどり着くと、中流層と見える人々の群れが出入りを繰り返す様子が目に入った。
中に入ると日本のAEONとそっくりだ。デパートの中を歩くと、日本のAEONと99%同じ仕様であることが分かった。
商品だけでなく品出しの仕方まで日本仕様で、食品売り場に出されている品もどうしたことか配列まで日本のイオンとほぼ同じだった。
ゲームセンターでは、現地人向けに改造された日本の遊具目当てに集まる子供と母親たちの賑わいが確認された。
彼女の働くドミトリーはこの付近にある。
彼女の名前もドミトリーの名前ももう記憶にはない。
だけど、彼女の働くドミトリーの隣には、中華料理とイスラム料理の両方を扱うマレーシアらしい料理店があり、
付近にはハングルの看板を堂々と掲げた焼肉店あったことは記憶している。
それはさておき、無謀にもバスターミナルからさまよい、酷い疲労の中にいた私を受け入れてくれたのは、このドミトリーだった。
値段はとても安かった。
ドミトリーなので宿泊場所の個人スペースは小さいが、料金の安さは魅力的だったし、出会いの場でもある。
ドミトリーに入るとフロントには、中国系マレー人らしい女性が立っていた。
年齢は23歳くらい。TシャツにGパンという格好で、サイズはピッタリ。ピッタリジーンズは、体型を強調する。
人によってはマイナスに作用するのだが、彼女の場合は生まれ持った美しいシルエットが強調されてファッションモデル顔負けの美しさを演出していた。
1つ2つの募集では無理でも10,20,100と頑張ればきっと彼女を使ってくれる先進国のファッション雑誌は見つかると思う。能力はあるのだから、彼女のような女性に機会を与えてやりたいと心から思う。
さて、私が入ってきた時、彼女は驚いたような顔をしていた。
そして私が1泊泊まりたい旨を伝えると彼女はパスポートの提出を求めるので、彼女の求めに従う。
料金を支払うと、彼女がホテルの案内をしてくれた。
ロビーを奥に抜けて通路に入る。
通路の先ではドミトリーの部屋が男性用と女性用に分かれていて、さらに進むと奥にシャワー室とトイレがあるらしい。
建物は外からは鉄筋かコンクリート式に見えたが、中は木造の造りになっていた。
部屋に入ると、日本のセブンイレブンくらいの大きさの部屋に12個くらいの2段ベッドが並んでいて、私は手前から2列目通路側のベッドを割り当てられた。
到着したのは15時ごろだったが私以外に客はいない。小さな蛍光灯ほどの電気がついた薄暗い部屋に2人だけの状況。
私に割り当てられたベットの位置まできて、ベット周りの充電器やシャワーの使い方などを聞く。
しかしなぜか説明が長い。そればかりか、私から彼女とベットが一直線に重なって見えるようなロケーションに入ろうとする。私が性犯罪者だったらどうするのだろう。
などと思いつつも、私は汗でベトベトだったし、彼女もon dutyなわけで性的な誘惑という線は考えないようにした。
インド女性から恋愛対象外の目線を向けられて自信喪失真っ最中での出会いだったので、自分が海外女性の恋愛対象に入ることが信じられなかったのである。
タイでは堕落した空気が嫌で、自分から距離を置いていた。
しかし翌日、彼女の変化を確認して私は確信する。
翌朝、当時勉強していたプログラミングの理論を整理しようと、ロビーの壁にあるデスクまでMac Book Airと参考書を持って向かった。
美しい彼女のことを意識していなかったわけでもないが、個人スペースの小さな部屋を嫌ってのことである。
あの後、深夜に1人の客が来ていたらしが、日中にチェックアウトする予定だったので、とくに声をかけることもなく気まずい空気が発生していた。
ロビーに出ると、彼女が昨日と同じ場所でフロントを務めていた。
ロビーにはインド系のマレー女性がいて彼女と話をしていたが、私は学習に集中したかったので意図的に視線に入れないようにした。
参考書を開き、実際にプログラムを作らないと定着しないような知識を、必死にノートにまとめていた。無駄な努力を払っていたような気がする。
そんな最中に、何度も視線を感じる。さっきのマレー女性はもういなくなっていたので、方向からしても、視線が彼女のものであることは明らかだった。
とはいえ、彼女からの好意を想定するのは自分にとって認知不協和だったし、今すべきことはそれではない。
早く一人前になりたいと強く思っていた。女を探すのはそれからでよいと。
そして、チェックアウトの定刻まで近づいてきたので彼女に一度も視線を向けることなく、ロビーを後にした。
何度か自分の視線に入ろうとする様子が感じ取れたが、あえて視線から外していた。
部屋に戻り、荷物をまとめ、忘れ物の確認をし、予定を確認し、準備が万全であることを確かめてから部屋を出る。
そしてチェックアウトのためロビーに向かうと、やはり彼女がいた。
会うのは今日2度目だが、顔を見るのは初めてだ。
彼女の顔はどんなだっけ?
相手のことを好きになったり気になっていたりすると、人はその人の顔を忘れる心理傾向があるという。
また会うためだとか。
そして顔を上げて彼女の顔を見ると、なんか白い!
まるでMLBの選手が通算500号ホームランを打って同輩から顔にケーキをぶちこまれた時のように、罰ゲームで小麦粉をかぶった人のように、彼女の顔はファンデーションで真っ白に覆われていた。
白人に侵略された土地では白色至上主義が流行るというが、やりすぎだよってレベル。
日本だとお化け屋敷でみるようなメイク。
日本でも、女性が異性に興味を持つと、翌日からメイクや髪型、ファッションが変わることがある。
これもそれなのだろうか。
彼女から目線を外し淡々とチェックアウトする旨を伝える。
彼女はアピールに気づこうとしない私に、半分怒りを顕にしていた。
とはいえ、私も悪党ではない。彼女の好意がたとえ国籍取得目的の歪な目的であっても、その行動はインドで受けた心の傷を癒すには十分だった。
事前に感謝を伝える準備くらいしていた。
そのまま無表情で彼女の手続きを待ち、承諾を受け、踵を返して出口に向かう直前で彼女に手紙を渡した。
そのまま振り返りもせず出口を抜けて次のホテルに向かうのだが、手紙を渡す瞬間に見えた彼女は、驚き半分、感動半分といった様子で、会えてよかったと心から思った。
I’ve come to like Malacca more that had raised you.
Good bye!
あなたを育てたマラッカが好きになりました。
楽しい時間をありがとう。
またどこかで。
実際はもう少し違っていた気がするが、自分を癒してくれた彼女に何か返したいと強く思った。
好意レベルでは不十分で、彼女が欲しいのはバッサリいうと金なのかもしれない。それなら自分でなくても良い。
マラッカは重要都市。これからも多くのエグゼクティブが世界中からやってくるはずだ。
そんな時に、私との経験が彼女がうまく振る舞うための助けになるなら幸いだ。今でも彼女の幸せを心から祈っている。
料理がめちゃくちゃ安くてうまい
世界一リーズナブルな飯屋はどこか?人それぞれだが、俺はマラッカだと答えたい。
マラッカの中華系料理店には、日本の天下一品とほぼ同じような味のラーメンを200円程度で提供してくれる店がある。
量は、天下一品の並ほどで、スープも天下一品ほど熟成されていない。しかし200円で食べられるラーメンであそこまでの完成度に達しているものはそうないと思う。
インドネシアにもおいしい100円ヌードルがあったが、日本基準でみると両方ありえないコスパだ。
インドネシアの100円ラーメンも「コスパ最高」の部類なのだが、いかんせん屋台で衛生面の不安があることがマイナス点だ。
カオマンガイという米の上にタレのかかった鶏肉の切り身が置かれた伝統料理も、同じくらいの値段で食べることができる。
これらを2つ同時に食べると満足感が強すぎて、お勉強はできなくなるだろう。骨抜きにされる味だ。
それでも500円しないという恐怖。依存症が進むことは間違いない。
その他にも肉骨茶などの美味しいお店と出会うことができた。
インド系のお店は、日本人の好みとは少しちがう味。
でもまあ異文化の味ということで楽しませてもらった。
マッサージ師を父に持つインドネシア人留学生にエロマッサージを学ぶ
マラッカ市街には、市内を一望できるマラッカタワーというものがある。空に向かって高く伸びたポールの周りを円状のキャビンが囲み、回転しつつ高度を上げていく仕組みだ。
乗客はこの最長110mまで登るキャビンから市内を展望する。
一見、遊園地にある乗り物が市内に置かれているように見えるが、上昇速度はゆっくりなのでジェットコースターのようなものではない。
自分も利用したが、古い歴史建造物が点在するマラッカの街並みの上空からの眺めに、一定の感動があったことは確かだ。
特に、オランダ式の赤い家々が並んだエリアの眺めは最高だった。
このマラッカタワーでは、どの場所に何があるか俯瞰できるため、まだ来て間もない旅人は、タワーの上空から目的地を決めるのもよいかもしれない
さて、俺にエロマッサージを教えてくれたインドネシア人の男は、ここで事務のアルバイトをしていた。
マラッカタワーの利用を終えて、もうじき就業時間に差し掛かろうという時、外で休んでいると、彼がやってきた。
服装は制服で一目で従業員とわかる格好。自分に出会うと一度事務室に戻り、また戻ってくる。戻ってきた彼の手には、油で炒めたようなコーンの入った紙コップが握られていた。自分に食えという。
インドなら睡眠強盗を疑うところだが、見るからに従業員という服装の彼に猜疑心は沸かなかった。顔つきにも悪意はない。
むしろ顔つきと真っ直ぐに伸びた姿勢からは、実直な人間の印象を受けた。
とはいえ、彼の行いは不自然で何らかの意図があることは明らかだった。見知らぬ人間にタダで飯をやる奴はいない。
そんな違和感を感じながらも、当時は危機管理が弱く、財布の手持ちも少なく、パスポートも泊まっていた部屋の中にあることを確認して、彼の誘導に乗ることにした。
第一面白そうだし、旅の孤独を癒すいい機会だった。
ちょうど仕事終わりのタイミングということで、帰宅の手配を終わらせてくるといって事務室に向かう彼を外で待つ。
出てきた彼は、自分がいなくなっていないことを確認して安心した様子だった。
こいつには絶対に何か狙いがある。
通りを外れ、近くの川のほとりに座り込み話を始める。
彼は、近所の大学の留学生で、日本人も通う近くの大学で学んでいるらしい。
父親はマッサージ師で、ジャカルタの隅っこで小さなマッサージ店を営んでいるとのこと。顔にどこか西洋系の面持ちがあったので尋ねるとフランスとのクォーターだと答える。
何を話したか覚えていないが、彼の自己開示が激しかったのは覚えている。それに頷く。
突然、マッサージしてやろうか?と彼。プロマッサージ師の息子の技術に興味を持ち、応える自分。
彼のマッサージは上手だった。肩こりはなかったが、局部をピンポイントで狙えているのがわかる。
また慣れないはずの東洋人の身体構造にも一瞬で対応するのだから流石プロの息子というところか。
軽いマッサージを終えると感想を聞かれたので肯定する旨を伝えた。
すると、もっとマッサージしてやろうか?と聞いてくる。
せっかくなので、そっちがよければお願いと答えた。
じゃあ移動しようと彼。
彼が指定したのは近くに置かれていた収納コンテナ。
マッサージを行う場所が個室なのはわかる。しかし、コンテナの中の狭いスペースで男二人がマッサージというのは、さすがに違和感全開だった。
とはいえ、会話を通して悪人ではないと分かっていたので、鍵をかけないという前提でとりあえずOKを出した。
鍵もかけていないのだから、いざとなればどうにかできる自信はあったし、睡眠強盗に遭っても貴重品はホテルにあるため被害は小さい。
本当はここでクスリを警戒しなければならなかったのだが、まだウブな僕はそこまでの危機管理ができなかった。
彼の全身マッサージは最高だった。指の筋力も強く、タイマッサージの姉ちゃんでは出せないパワーがある。
体全身の筋肉がほぐれ、血流がよくなるのが分かった。
彼の父親から学んだのであろうマッサージを一通り終えると、彼の手が自分の股間スレスレの場所にまで入り込む。
もちろん、その辺にツボがあるのは承知の上だ。
しかし、箇所が箇所だし、俺たちは男同士。また1日の汚れを落としていないのでそこは汚い。
というか、マッサージの途中から気づいていたが、この男、力が強い。
体格は自分より小さいが、もしこの男があっちの人で襲われた時、果たして自分は抑えられるだろうか?
そう考えると、初めてのアッ−!!!を奪われる恐怖が浮かび、冷や汗が流れるのを感じた。
当然大きめの声を上げて抗議するが、彼は落ち着いた様子でマッサージの一環だと返す。
たしかに指圧に性的なものは感じなかったし、ツボを押されて一定の気持ち良さがあったのも確か。
ちなみにこの時点で互いに上半身は裸である。マッサージのためらしい。
しかし、そう言いながらも彼の手は自分のお稲荷様を包み始めており、彼の言うマッサージがノーマルのものでないことを悟った。
しかし彼の手つきは淡々としていて、性的な興奮を伴わせている気配はない。
すでに自分のヤシの木と2つの実を取り出して5分ほどの指圧を終えた彼の指は、今度は何と後ろに向かって伸びようとしていた。
(ちなみに、ヤシの木を指圧しながら、ツボを教えてくれた。何のツボなのかは分からないが、竿の中央からやや上部、竿の根元から65%ほどの位置にツボがあるのだそうだ。左右の親指で交互にそこを押す。)
こればかりは、ありえないので、ノーと強めに言うが、彼は聞こうとしない。
パンツの上からとはいえ、そのまま尻の穴周辺を刺激された俺は屈辱感を感じていた。
すると、全工程を終えたらしく、彼はフーと息をついた。
この男なにがしたいのか?
まず、マッサージ料金の高額請求を危惧したが、詐欺的だし、財布の中に高額請求に応えられるような金額は入っていないため、被害は避けれると思った。
プロマッサージ師を目指していて東洋人の経験が積みたいという線も考えたが、何か別のものを志望していると言っていた記憶がある。
そんなことを考えていると、彼が切り出した。
今度はお前が俺をマッサージしてくれ。
そこは、むろんオッケーなのだが、今通ったールートを辿れというのは無理だ。
とりあえずお返しは必要なので、彼の体を指圧することは認める。
自分の指圧に比べて不十分な私の指圧に彼は不満そうだった。素人だから仕方ないのに、それが気にくわないということは、おそらくただでマッサージを受けることが目的だったのだろう。
案の定、彼は、竿と玉、そしてケツのマッサージを求めてきたが、そこは全力で断った。
必要としていた下半身マッサージを受けることができずに、彼はひどく残念そうだったが、とくに強要されることもなかった。
彼に対して感謝したらいいのか、怒ったらいいのかよくわからなかった。
とりあえずすべきなのはここを出ることだ。服を着て収納コンテナの外に出た。
彼はなんともなさそうにケロっとしているが、自分はかなり気まずかった。
一言二言交わして別れてから後、二度と彼と会うことはなかった。
彼は今も、マラッカタワーの客を連れ出して、自分のケツをマッサージするように促しているかもしれない。
セカンドホームのように思っています
その他にもマラッカは、シングルのいい部屋なのに800円くらいで貸し出しているバスターミナル付近のホテルオーナー、落とし穴同然にボッコリ空いてる路上のコンクリート、ジャパニーズ?と笑顔で話しかけてくれるおばさんたち、
ホテル滞在中に一番いい部屋を用意してくれたり、本場のマサラティーを煎れてくれたりとよくしてくれたインド系のホテルオーナー(元医者)、などなど忘れられない思い出を与えてくれました。
セカンドホームのように思っています。ありがとう。
ペナン島での記憶
記憶というのは、相当強烈なものでもない限りいつか消えていく。
さすがに1年前や2年前に起きたこと、出会った人たちのことを忘れることはないが、3年前にもなるともはや怪しい。
最近は写真技術の発達が著しいので、写真に頼るという方法はある。しかし、写真を見るだけでは、相手の顔や街の風景、ちょっとしたやり取りや出会い、別れなどの浅い記憶は引き出せても、その人や場所とどのように接したかという深い記憶まで引き出すことは難しい。
自分は、某国のスラムでスマホを盗まれ、それと同時に記録したはずの写真を失ってしまった。
このように写真という記憶媒体はちょっとしたことで失われる欠点もある。
あれから3年たち、すでに旅先で出会った人々や場所のことを思い出せなくなりつつある。
このまま放置すれば、思い出はすぐに私の頭から失われてしまうだろう。
忘れてしまったら、出会ったことも、訪れたことも、なかったことになってしまう。
だから、まだ記憶の残っているうちに、覚えていることを記していきたい。
誰の役にも立たないかもしれないが、記憶を外部化する作業が今の私には必要である。
ペナン島との出会い
海外に出ることが決まった時点において、ツイッターアカウントのフォローは、旅慣れした人や海外ビジネスに長けた人たちに集中していた。意識したのでもなく、自然とそうなっていた。
海外の情報が溢れるタイムライン。異国のこと、日本では見られない外国の料理などを1つ1つを凝視して、まだ海外に馴染みのない私はたいへん興奮していた。
フォローしている人たちは、海外に事業を持つ経営者の方が多く、彼らは互いに交流し、ツイッターを情報交換の場として利用していた。
そんな彼らの会話の中にたくさん登場していたのがマレーシアのペナン島だ。
ペナン島といえば、日本人には馴染みの薄い島だが、「ペナン・マラッカ・シンガポール」と聞けば思い出す人も多いのではないだろうか。
ここは、イギリスの旧海峡植民地であり東インド会社の拠点として発展した島である。
聞くところ、このペナン島には特有の風情があり、それが多くの日本人を惹きつけるばかりか、ご飯も安く美味くしいのだとか。
最初は世界の数ある名所のひとつという認識で流していたのだが、彼らの会話に登場する回数があまりに多いので、次第に興味を持つようになっていた。
今思うと、それがマレーシア訪問を決めたきっかけだったように思う。
とはいえ、マレーシア人の彼女ができたわけでも、何か重大なアイデアを得たわけでもなく、ただ通り過ぎただけなのだけどね。
ペナン島入島
タイから飛行機に乗ってペナン島に向かう。マレーシアは、インド、タイに続く3カ国目の国。
現地に着くと、まずは現地マネー、リンギットを確保するため、海外送金サービスのウエスタンユニオンに向かう。
予め日本から手続きを済ませておけば、海外の窓口で相性番号とパスポートを渡すだけで送金を受け取れる便利なサービスだ。
1851年設立の老舗で業界を牛耳っているのか、高額な手数料がかかる。
空港の外に出ると大きなデパートがあるので一回のフードコートを通り過ぎ、エスカレーターで2回に上がる。するとエレベーターから50mほど離れた先に、同社のよく目立つ黄色の看板があった。さっそく窓口まで向かう。窓口には、日本人とおぼしき初老の男性が座っていて、ガラスの向こうから払出しに対応してくれた。
とりあえず、旅の資金を確保したことに安堵し、空港エリアを後にする。
さっきのおじさんに限らずマレーシアの空港職員には、インド系やマレー系、中華系といった異人種が目立っていたが、都市部の状況も同じだった、
純粋なインド人っぽいのに本土女性ではありえない優しさを見せるインド系女性、老齢の方が目立つ中華系人、現地マレー人。
そうした人々が異なる文化の商品や料理を提供しているので、都市の空気はインドに負けず劣らずカオスだ。
よく言えば多様性に溢れている。
実際、マレーシア政府はグローバル主義を採用しているらしく、外国人の呼び込みに力を入れているらしい。
列島の南端には、すでに発展し尽くしたシンガポールがあるので、富裕層の第2・第3投資の受け皿になりたいのだろう。
ゆえに異文化融和を掲げて、調和したカオスを見せつけているわけだ。
ペナン島での生活
とはいえ、カオスであることに変わりはなく、カオスな都市は情報量が多いので疲れる。おまけに私は窮屈なエコノミークラスでのボーディングで疲れ切っており、入国後はいつもそうなように、早くホテルに向かいたかった。
人ごとに毎回異なる宗教、海湾都市の湿った熱気、そうした初めの環境ば刺激的だが疲れる。この疲労感から逃れようと、
まずはホテル街を目指した。
マレーシアは州の集合によって構成されていて、多くの州にはスルタンがいてイスラム教を信奉している。
そんなマレーシアの州でも、ここマラッカ州はスルタンのいない、数少ない土地だ。
人々の人種は、マレー系、インド系、中華系と様々で、中国建築の寺院があるかと思えば、少し歩くとモスクがあたったり、横目にはイギリス統治時代の要塞が見えたりする。たいへん不統一だ。
個人的には多民族主義は苦手なのだが、人種や宗教に関わらず共通していたのはみな親切だったこと。インドと同じカオスでも、インドのカオスにはない良心のような雰囲気で街は包まれていた。
安宿は、ジョージタウンというヨーロッパのコロニアル様式なエリアの周りに集中していた。
貸出自転車を営む小売店やコンビニ、ホテル、バーの林立状況、また英国風の名前から見るに、ここは外国人街なのだろう。
安宿の一泊の価格は記憶によると2000円くらい。エアコン、WIFIつき。
歩いてホテルを探す途中、数々の屋台やローカルの飲食店を目にした。見たところツイッターの先輩方のアップしていた料理と同じ雰囲気なので、この店にいけば目的の料理が得られるはずだ!
夜にホテルで目が覚めたら食べに行こうと、歩きながら計画を練る。
初日に泊まったのは、ジョージタウンのはずれにある中華系の宿で、中心地から外れて閑静であるとはいえ、周囲にはカフェもコンビニもあって便利なロケーションだ。
ホテルの外では宿泊者とみられる白人の老人が、庭のテーブルから道路を眺めており、にこやかな笑顔と目があったので軽く挨拶を交わす。
部屋はコンパクトな作りだったが、エアコン、WIFI完備で、アメニティも質素だが充実。しかも清潔。作業用のデスクも置いてあり、2000円ほどの値段にしては至れり尽くせりの環境だった。
とりあえず寝た。
起きた後は、ペナン島に散らばる異文化の食をできるだけ多く食してやろうと、ジョージタウンをさまよった。ここにいれる時間は長くないのだ。
中華系のお店での本格肉まん、ヌードル、チャーハン、スープ、これらは記憶が薄れつつあるように美味しかったが特筆するようなものは感じなかった。
イスラム系の店は肉が多く使われた料理が多く、濃い味が際立っていた。
インド系の小学生4年生くらいの少女がじゃれついてくるという、インド本土なら父親に殺されかねない場面に遭遇。色々褒めてきたのでチップ狙いだったのかもしれない。
殺気を感じたので振り向くと父親が鬼の形相でこちらを睨んでいたなあ。
多様性あふれる街はつかれるが、刺激的であることは確かだ。
露天で買った民族衣装は、海峡都市の熱気に対応したつくりで通気性がよく、日本の夏を乗り切る上でかなり重宝した。
ジョージタウンの大広場からイスラム系のマーケットがある道を反対に進むと、右手に野外に広がったフードコートと左手にホテルとバーが並ぶエリアに続く。付近のバーには、日本語の看板を掲げたカラオケ店もある。さらにまっすぐ進むと辺り500m2くらいがコンクリートで舗装されたジョージタウンとは若干雰囲気の異なるエリアに着く。特に何もなかったが、記憶に残っているのはどうしてだろう。
雨上がりの道を歩いた記憶がある。
そのような日々を毎日異なるホテルを拠点に繰り返し、街に慣れて別れが寂しくなってきた頃に、次の都市に向かうバスに乗り込んだ。
結局最終日までペナン島には、評判ほどの魅力は感じなかったのだが、それは都市に若さとエネルギーを感じなかったことが大きい。
ペナン島では、物価の安い経済環境に似つかわしく、英語、中国語と主要言語が学べる環境が揃っているので、若者が流出する構造にあるのかもしれない。また、排ガスが強く呼吸を苦しく感じたのも理由になるだろうか。
インドほどではないんだけどね。
カオスなペナン島の将来
宗教は集団の統合の手段である。だとすれば、ひとつの国に異なる宗教が並存しているうちは完全な統一は果たせない。
21世紀の現在は宗教の多様性も盛んだ。しかし、国境もなくなり、人種が複雑に混合していくであろう数世紀先の未来に、宗教が今日ような状態でまだ残っているのだろうか。
もちろん10年や20年先に突然、キリスト教やイスラム教がなくなるわけではない。しかし宗教すら時代とともに形をかえていくのだから、300年、1000年の長い時間をかけて、各宗教は似たような形になり、やがて統合されていく方向に向かうのではないか。ペナン島のカオスの中を歩いて、そのようなことを考えた。
日本の男尊女卑の起源は江戸時代にある【かわいいや大和撫子は美の領域にまで昇華された差別思想】
日本には平等を重視する伝統があるのに、どうして女性を下に見る傾向があるのか?
男女差別傾向の起源について考えた結果、江戸時代に作られた平等政策に行き着きました。
男性にとって、女性は欠かかすことのできない存在です。
人間の3大欲求は、食欲、睡眠欲、そして性欲であり、欠乏の極地には死が待っています。
だから人間は、飢餓に陥らないように努力し競争し、限られた資源にありつこうとします。
しかし、資源の数は限られているので、全員が資源にありつけるわけではありません。
例外なのは睡眠欲で、場所さえあれば、誰でも満たすことができる欲求です。
すべてを失ったようなインドの最下層民ですら、路上で睡眠を耽っています。
しかし、食欲と性欲に関しては、その限りではありません。
食べ物は無尽蔵に存在するわけではないので、人類全体が飽食を貪るわけにはいきません。
性欲も女性の合意がなければ犯罪として裁かれます。
こうした欲求を満たすための供給は、社会の構成員が抱える需要よりも少ない量しか提供されないのです。
したがって、椅子取りゲームが行われ、闘いに破れあぶれる人が出てきます。
つまり、食欲と性欲を巡る闘いは、人々の間に格差を生じせしめます。
特に性欲の場合、男性は常に女性に対して劣勢です。
なぜなら、生物的に出産という重い負担が割り振られている分、恋愛の主導権は女性に与えられることになるからです。
男性は、常に求愛し、女性に選ばれなければ、資源からあぶれた負け犬の烙印を押されます。
実際、自由恋愛が主流の今の日本でも、若者の恋愛離れが社会問題となっています。
芸能メディアの浸透とともに異性に求める水準も高くなり、小泉改革を機に年収の二極化も進みました。
女性の需要を満たせる水準を下回り、女性資源を得損ることができない男が続出している証左です。
それでも、暴動や革命現象が起きないのは、食べ物が社会にあふれているからでしょう。
日本で仕事をすれば、世界上位レベルのお金が手に入ります。
物価も安いので、飢餓状態に陥ることはまずありません。
性欲の不満も、食欲で補うこともできますし、なんならお金を払って一時的に満たすこともできるので飢餓には至りません。
いっぽう日本と違って最貧国の国々(格差が大きい)には、一触即発を予感させるような重々しい雰囲気が社会に漂っています。
そういった国に多い若者たちは、仕事を頑張っても満足なお金が手に入らないので、欲求すら満足に解消することができないでいるのです。
こうした国は、政変や自然災害が起こると、人々がスーパーマーケットを襲撃します。
治安の悪い自国が乱れても、食料配布などの保護が受けられないという確信があるため、飢餓状態に陥らないように自衛のための武力行使に走らざるを得ないのです。
それでも、産業の発達が著しい今はまだましでしょう。
世界が貧しかった20世紀のころは、庶民の欲求不満は、暴動や共産主義革命に容易に転化しました。
それ以前の時代ならば、さらに科学の進歩が弱かったため、食糧供給を巡る状態はし烈を極めました。
この時代の歴史書を紐解くと、「えげつない行為」が頻発していたことを伝えています。
もちろん仏教国でおとなしい、平等的な日本であっても、人々は長引く欲求不満状態に黙ってはいませんでした。
たとえば、太平の時代といわれた江戸時代でも、小規模暴動がおきた例は探せばあちこちに転がっています。
その中で大規模でもよく知られている「大塩平八郎の乱」では、平八郎率いる反乱軍が、打ち続く飢饉に対する無策の政府に怒りの声を上げました。
食料分配が政策的になされないなら、暴力でもぎ取ってやろうという論理です。
貴族階級の裕福な暮らしを横目に、窮乏に耐え続けるのは我慢の限界。
社会主義革命や貧困国に起こる暴動が、小規模ながら発生したのは、当時の日本に社会の成員の欲求を十分に満たせるだけの国力に欠けていたからです。
とはいえ、江戸時代の日本は後世の人々に「太平の時代」と称されるほど、平穏な時代を過ごしていたようです。
なにせ3世紀という長期の間、数えられるほどしか暴動が起きないという世界史に希な時代を実現したのです。
その背後には、暴動回避のための、何らかの政策が存在したのではないでしょうか?
日本人は、平等を実現するために女性の我慢を強いた
いつの時代に起こる暴動や革命も、背後にあるのは開きすぎた格差です。
少数の貴族階級が資源の大半を独占し、残りの僅かな資源を大多数の人民が奪い合うという構造が限界に行き詰まったとき、窮乏した人民は武器を持って立ち上がりました。
為政者にとって、革命はもっとも恐怖すべきシナリオの1つであり、未然に回避策を打たなければなりません。
回避策は、国や地域ごとにさまざまです。
大陸の国では、弱い国を武力占領し、劫掠を実践させる、敵国の人民を強制移住させて、最下層階級に据えるといったガス抜きの方法が実践されてきました。
あるいは、国民を宗教や民族で分断し、互いに争わせることで不満の矛先を自分たち以外に向けさせるという手法も用いられました。
島国日本の場合、敵国がいないので、他国の軍事占領は選択肢から外れます。
したがって、為政者の課題は、民の不満そのものに向き合い、暴力を生みだす欲求不満を解消させることでした。
3大欲求のうち、飢餓に陥りやすく危険なのは、食欲と性欲です。
このうち、食欲は、生産力に限りのある時代ゆえ、平等的に充足させることは不可能です。
しかし、性欲の場合は、なんとかなりそうです。
男女のつがいを作れば、好きなだけ耽ることができるからです。
問題は、受け入れる側の女性の抵抗感です。
女性は、優れた子孫を残す本能が男性に増して強いため、すべての男性を受け入れる挙動は示しません。
それを破るとすれば、何らかの社会的強制が必要です。
つまり、自然状態において恋愛の主導権を握るはずの女性に対して、社会的な抑圧、差別を科し、制度的に男性側の優位を確立させたのではないでしょうか?
男性優位の状態ができれば、つがいの成約率が向上し、欲求不満状態を打破することが期待できます。
欲求には、1つの欲求を満たしている間、他の欲求不満は忘れられるという特徴があるので、全ての欲求を満たさなくとも、1つを徹底的に充足させてやれば、他の欲求の不足はごまかすことができます。
こうした女性への強制、男性優位の文化基盤といった条件は、家制度やお見合い制度として社会の表舞台に登場していくこととなります。
実際、鎌倉時代には貴族の間でしか行われていなかったお見合い婚が、民衆に開放されたのは江戸時代からです。
語り継がれる夜這いなどの大らかな性風習も、制度的に流布されたことが考えられます。
自然流行によるものであっても、弾圧されなかったのは、統治者の利益に適う(ガス抜きができる)現象だったからでしょう。
このように、食糧供給の貧しい時代に265年もの間、(平八郎など少数の例外を除き)暴動や革命と無縁でいられたのは、性的大らかさが大いに寄与していたことが考えられます。
とはいえ種の構造として、常に男性に対して優位なはずの女性に性配分の平等を訴えるには、女性の抑圧が必要です。
これが、「男性が女性を下の存在としてコントロール下に置こうとする、またそれが正しい」と考える男尊女卑の始まりだったのではないでしょうか?
夫の欲求におとなしく従い、召使のように仕える女性のことを、日本人は「大和撫子」として賞賛してきました。
あるいは、そうした女性の前兆である「一歩下がる女性」は「かわいい」という日本的美の象徴として称えられます。
男性に対する従順性は美の領域にまで昇華され、社会的平等の実現と暴動回避の策として、日本文明の進展に貢献してきたのです。
外国人観光客には空港で検疫を!
アメリカ映画でよくある「今あなたたちに危険が迫っています」というセリフがふさわしいのではないだろうか。
梅毒の感染が増えている。
梅毒の症状は、約10年かけて4段階の症状を辿って進行し、最終的には死に至る。先天性での発症も起こる。
とはいえ現在の発達した医学では、有効な治療法が確立されており、症状の3段階以降には進行しにくいとされる。
しかし恐ろしいのは、梅毒感染がHIVの感染率が高めることである。梅毒によって作られた炎症や潰瘍がHIVウイルスの侵入経路になるためだそうだ。
つまり梅毒は、それ自体は治療方法が確立されているが、治療方法の未確立なHIVの2次感染を引き起こす恐れがある危険な性感染症だ。
治療できるからといって安心してはいけない。
したがって、いますぐ梅毒感染の拡大に歯止めをかけて、HIVの蔓延を防がなければならない。
もし国内にHIVが蔓延すれば、国家運営のすべてにマイナスに作用することは明らかである。
国家イメージの毀損、企業の経営悪化、少子化の加速、人材流出の加速、訪日外国人の減少、死亡率の増加は避けられないだろう。
では、近年の梅毒感染者の増加はどのような背景の下で起きているのだろうか?
次のグラフは、BuzzFeedNEWSの記事『梅毒が大流行、42年ぶりの感染拡大 20代女性で急増、厚労省は「危機的な状況」』(https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/baidoku-kyuzo?utm_term=.fd8rob0RP#.kkO6pBeL2)
から引用した1972年以降の梅毒感染者の推移を示すグラフである。
このグラフを見ると、日本の梅毒感染は1972年から2010年頃まで下降の傾向にあり、1972年には5500件近くあった感染報告は、1990年代には1000件以下にまで減少。以降2010年までほぼ横ばいで推移してきたことがわかる。
ところが2010年以降、突然、梅毒感染報告の増加率が激しくなっており、2016年には1970年代と同じ4000件代まで復帰している。
一体なぜだろうか。
BuzzFeed Newsの記事によると、厚労省結核感染症課の担当者は、同サイトの取材に対し「原因はわからないが、危機的な流行だ」と答えているという。
しかし、梅毒感染者の急増は2010年以降、とくに2012年以降顕著である。
この急増には、必ず理由が存在するはずであり、蔓延から6年以上経つ現在に至っても原因が特定されていないのはおかしいのではないか。
1990年代から2010年までの20年間にかけて、1000件以下で推移していた数値が、2010年以降のたった6年間で4倍以上に膨らんだのである。
これは「日本人の性が乱れた」という説明だけでは説明しきれない。日本人の性は、インターネットの開放後、AV産業の興隆とともに乱れる傾向にあった。
しかし、梅毒感染者が急増するような事態には繋がっていない。
断言しよう、急増した梅毒感染は外から持ち込まれたものだ。それも、2012年以降の安倍政権による外国人観光客の呼び込みがもたらした結果である。
安倍政権の方針によって急増した中国人観光客たちの母国では、梅毒が蔓延しているのである。
梅毒感染者の急増の開始年は、2012年と安倍政権の発足と一致しているし、日本に訪れた中国人観光客の「爆買い」には性風俗店でのサービスが含まれていることも事実だ。もはや疑う余地はない。そんなことは誰でも予測出来ると思うのだが、国家の保健を司る機関が、仮設すら出さずに「原因は分かりません」としらばっくれることに私は理解が及ばない。
日本に梅毒とHIVを蔓延させる意図でもあるのだろうか。それとも口封じでもされているのだろうか?
厚労省は国民に原因分析に努める代わりに、真剣さのかけらもないポスターを作ってヘラヘラしているようだ。
セーラムーンと梅毒に何の関係があるの。
これまで梅毒感染の傾向が低かった日本人よりも先に啓蒙と検査を実施すべき対象がいるだろう。
ぞれはさておき、梅毒感染のルートが中国由来だと分かれば、まずは対策を打たねばならない。
政府統計などによると、1950年代の日本には最大12万の患者がいたそうだが、当時はHIVという病が存在しなかった。
HIVのない時代なら、いくら感染が広まっても治療を施せば治る。
しかしHIVに対する有効な治療法が確率していない以上、HIVをもたらす梅毒は根絶を指さなければならない。
梅毒の感染を放置することは、HIVの蔓延を放置することに等しい。
ではどうしたらいいか。
梅毒は治療法の確立された病なので、早期発見できれば治療できる。
その意味では、梅毒検査をよびかける厚労省は正しい。
しかし足りないのは、感染源の遮断である。
梅毒の蔓延国からの訪日客が増えているのに、なぜこの層を疑わないのか。
彼らは空港から入ってくるのだから、空港で訪日中国人全員に検疫を施せばいい。黒なら即入国拒否だ。
彼らは、梅毒の蔓延地帯からやってくるのだから、感染を疑われるなら検査するの普通だだろう。
このような施策をとらないと、いずれHIVの増加報告も聞こえ始めるだろう。
厚生労働省エイズ動向委員会によると、2015年のHIVの新規報告件数は1006件。
2008年の1126件をピークとして、年間1000件水準でほぼ横ばいに推移しているらしい。
まだHIVの蔓延は起きていないということだ。(未報告なだけかもしれないが)
今すぐ梅毒感染に歯止めをかければ、HIVの蔓延は防げるかもしれない。
いますぐに空港に検疫を設置するべきです。
金取引の利益にかかる税金は2種類。保有年数によっても異なる。
税金は、あらゆる取引で留意しなければならない問題です。
結論からいうと、金は特定の条件を満たせば、税負担を大きく減らすことのできる投資家に優しい資産だといえます。
本記事が、これから金投資を始めるか悩んでいる人の判断の助けになれば幸いです。
1. 金取引の利益に課される税金について
ここでは、金取引に関わる税金の種類、またそれぞれの種類に応じた税率について説明します。
金取引の利益に課される税率は大きく2種類
金取引の利益に対して課される税金は2種類あります。・総合課税
・分離課税
総合課税は、給与所得と合算して所得税として税率が決まります。
分離課税は、一律20.315%です。
金取引の税率は、取引の形態によって決まる
金取引の利益に2種類の税率のどちらが課されるかは、取引の形態によって変わります。
・金現物を売買→総合課税(譲渡所得となり給与所得等と合算した所得税)
・証券会社の口座などを通して売買→分離課税
金現物を扱う場合の利益は、譲渡所得と見なされます。
この場合、最終的な税額は、給与所得、不動産などの譲渡所得といった所得と合算されて求められ、所得水準に応じた累進課税の適用を受けることになります。
一方、証券会社の口座を通してなされた取引の利益は、金融取引による利益とみなされ、分離課税の適用を受けます。
この場合、税計算は、証券会社に源泉徴収の義務として課されます。
したがって、取引の主体が確定申告をする必要はありません。
取引の後、証券会社の口座に税金分(20.315%)が差し引かれた数値が反映されます。
2. 譲渡所得の場合、金の所有年数によって所得額の計算が変わる
金現物を売買する場合、生じた利益は譲渡所得として扱われます。
この場合、譲渡所得の金額は、金現物の保有期間(5年)を基準に変化します。
保有年数が5年を超える場合、所得額に1/2の節税メリットを受けることができます。
保有年数が5年に満たない場合、この節税メリットを享受することはできません。
とはいえ、利益から差し引ける特別控除50万円の枠は、保有年数に関係なく受け取ることができます。
○ 金の保有期間が5年以内の場合
譲渡所得 = 金の売却代金-(取得額+売却手数料+特別控除50万円)
○ 金の保有期間が5年以上の場合
譲渡所得 = 金の売却代金-(取得額+売却手数料+特別控除50万円)×1/2
金の保有年数が5年を超えている場合、年数に関係なく適用できる特別控除50万円に加えて、譲渡所得の算定に1/2のボーナスがつきます。
1,000万円の利益を500万円に縮小できれば、手取りの金額は大きく変わってきます。
なお、同じ譲渡所得でも、営利目的で取引された所得は、事業所得とみなされます。
その場合は、税額の算定方法も変わってくるので注意してください。
3. 金取引の税金をシミュレーションしてみましょう
実際にシミュレーションしてみましょう。
ケース1 金現物を扱う場合
金現物を扱うケースを想定します。1g3000円で購入した金現物1kg(300万円)を5年後に1g5000円の時点(500万円)で売却した場合、最終的な課税額はいくらになるのでしょうか?
まず、計算に必要な条件を整理します。
・ 取引の形態 : 現物取引 → 譲渡所得
・ 保有年数 : 5年 → 所得に1/2ボーナス
・ 最終利益 : 198万円3800円(売却代金500万円-{取得額300万円+手数料16,200円)
・特別控除 : 50万円
(田中貴金属工業株式会社の取引手数料の早見表)
※1kgの金現物でも500gバーを2回に分けて売却すれば手数料0で済みます
計算します。
最終利益198.38万円 - 特別控除50万円 = 148.38万円
さらに、保有年数5年超の1/2ボーナスを受けて、最終的な譲渡所得益74.19万円が算定されます。
[500万 - (300万 + 1.62万) -特別控除50万円] * 1/2 = 74.19万円
このケースの場合、金現物の取引なので、所得は総合所得に合算されます。
その他、給与所得などの所得とあわせて所得が決定し、所得の水準に応じた税率が適用されます。
(所得税の累進課税)
最終的な所得税の計算は、個人の状況によって異なるので、詳しくは省略します。
・最低税率 → 所得195万円以下の5%
・最高税率 → 所得4,000万円超の45%
譲渡所得は、他の所得と合算されるため、純粋に金へ課される税額を割り出すことはできません。
ここでは便宜的に金以外の所得を無視して計算します。
・所得税率5%の場合の手取り ・・税金3.71万円
→ 手取り196.29万円
・所得税率45%の場合の手取り・・税金33.39万円
→ 手取り166.61万円
あくまで便宜的な計算ですが、同じ200万円の利益に対する税額に30万円の開きが出ることが分かります。
現物取引は、その他の所得の合計額の大きさに左右されることが分かります。
また保有年数が5年以下であれば、所得の1/2ボーナスを得ることができず、さらに税負担が重くなることにも留意が必要です。
ケース2 金の信用取引を行う場合
証券会社を通してインターネット上の口座で金の信用取引を行う場合を考えます。
金は現物を扱わなければいけないわけではありません。
証券会社により金価格と連動して動く銘柄が用意されており、一般の株式と同様に売買することでオンライン上でトレードすることができます。
1g3000円の時に購入した1kg分の金ETF(300万円)を5年後に1g5000円の時点(500万円)で売却した場合、最終的な課税額はいくらになるのでしょうか?
基本的な条件は以下の通りです。
・ 取引の形態 : 金融取引 → 分離所得
・ 保有年数 : 5年 → 関係なし
・ 最終利益 : 200万円(売却代金500万円-{取得額300万円+手数料0円)
・特別控除 : なし
取引の形態は、金融取引です。
したがって、保有年数の長さは問われず譲渡所得のような特別控除もありません。
手数料は0で取引できる証券口座を選ぶとして0円。
このような条件下では、最終所得200万円に対する分離課税20.315%を差し引いて残った金額が手取りとして計算されます。
税金 → 200万円 × 0.2315 = 40.63万円
手取り → 200万円 - 40.63万円 = 159.37万円
金融取引のため保有年数ボーナス(5年以上)や特別控除が適用されないことが、譲渡益の場合に比べて、手取りを小さなものにしています。
オンライン上で簡単に安全に決済できる反面、税制のメリットを受けられないまま一律に20.315%が差し引かれることになります。
所得の合計4000万円超の富裕者階級にとっては、手取りの金額は多く残せる一方、庶民にとっては税制メリットのない不利な投資形態といえるでしょう。
4. 金取引に関わる税金のまとめ
金の現物を扱う取引では、保有期間5年超の節税ボーナス(利益1/2)、特別控除(50万円)といった税制メリットが用意され、その他の所得との合算で累進課税により課税額が変わります。
一方、証券会社を通した金融取引の場合、利益を縮小する税制優遇はなく分離課税として一律20.315%が課されます。
どちらがメリットが大きいかは、個人の状況によって変わります。
所得が4000万円を超えるほど大きい人は、分離課税を使える証券取引が有利でしょう。
それ以外の所得の人は、現物を所有して5年後に売却すれば特別控除50万円と利益1/2の優遇措置を受けることができ、最も手取りを大きくできます。
この辺りは所得に応じて人それぞれですし、また金の現物は盗難リスクもあり保管が難しいといった事情もありますので、個々人の判断に委ねられます。
本記事が参考になれば幸いです。
インドのマイソールで南京虫と出会った日の記録
記憶というものは写真や文章で記録しないと次々と失われていくようです。
まだ20代の私にもそれは起きていて、数年前に滞在したインドなのに思い出せないことが結構あります。
せっかく残しておいた写真たちは思い出の詰まったスマホごと某国のスラム街で盗まれてしまいました。
だから完全に記憶が失われる前に記しておきたいと思います。
私の南京虫の話が誰かの役に立つかは分かりません。
しかしながら、記憶喪失を防ぐという個人的な目的において必要なのです。
情報提供にも留意しつつ、南京虫と出会ったインド・マイソールでの出来事について記します。
インドの古都マイソールは、別名「インドのシリコンバレー」バンガロールと同じカルナータカ州に属する都市。
バンガロールから約150kmの距離にあります。
ここへのアクセスは鉄道、バス、タクシーなどありますが、一番安上がりなのがバスでしょう。
マイソールは、マイソール王国が栄えた都市で昔ながらの建築物が多く残っているとのこと。
インド留学の開始まで1ヶ月ほどを残していた私は、昔ながらのインドを見るべくマイソールに向かいました。この都市で南京虫地獄に放り込まれることになります。
バンガロールのブリゲードロードを下り坂の方向に抜けると大きな交差点があるので、そこでリキシャを拾い、バスターミナルへ向かいます。
ほとんどの場合、外国人にとってリキシャマンは詐欺師と同義なのですが、詐欺を防ぐ方法は、現地人と同行することです。
現地の友人と一緒に乗り込むか、あるいは現地人に交渉を代行してもらえば、適正価格で運行してくれます。
昔のことなので、バスターミナルの様子は覚えていません。ただ周囲に漂う真っ黒なバスの排ガスは、白い服を着た人なら数時間で灰色に変色してしまうのではないか、と思わざるをえないほど酷かったです。おまけに地面のアスファルトからの熱気もあり、1時間とい続けることはできません。
多くの現地女性がハンカチで口を覆い、排ガスの吸引を避けているのを目にしました。
バンガロールからマイソールへは、約5時間程度(曖昧)。
乗り合いの安バスですが、隣り合わせた現地の方々が話しかけてくれ、たくさんの笑顔をくれました。
インドの車道には、一定区間ごとに段差が設置されていて、道路の端から端まで伸びているため、車はこれを避けることができません。
そして段差が高い。段差にぶつかる度に車体が大きく揺れ、バス内で睡眠をとろうとする試みは、必ず妨害されます。
これはおそらく一向に速度制限を守ろうとしない現地民を抑えるための措置なのでしょう。
しかし、やり方が強引すぎて、外国人には辛いものがあります。
しかし、インドのリキシャが、客そっちのけで突然、隣のリキシャとレースを始めたりするカオスのことを思えば、まあ納得できます。
自己中が横行するインドでは、致し方ない行政措置なのでしょう。
(しかし、劣化した車体だと故障しかねないくらいの衝撃が走るので、逆に事故を引き起こしそうな気もする)
なお、このタイプの道路はフィリピンにも見られました。
正午頃に出発してマイソールに到着すると、外はもう暗くなっていました。
マイソールは、14世紀から19世紀までマイソール王国の首都が置かれていた都市で、歴代の王朝が文化保護に努めたため、文化が大きく栄えました。
歴史ごとにヒンドゥー、ムスリム、イギリスとバックグラウンドが変わったため、街の雰囲気はこれらが混在しています。
郵便や銀行などの西洋由来の施設はイギリス式、またお城の建築もイギリス的なのですが、どことなくムスリム的な雰囲気も混じっており、城のてっぺんにはイスラム様式のドームが置かれてます。ミナレットはなかったように記憶していますが、雰囲気的にはイスタンブルが近いかもしれません。そんな城の外にある庭の周囲を悠々と像が歩いている光景。
しかしイギリスの影響が及んだ地域なだけあって、格差は激しいようでした。
いったん城のある中心街から離れると、そこには悪臭のする貧困地域が広がっています。
とはいえ、見た目はみすぼらしくとも明るく快活な人が多く、バンガロールのいたるところにいるような詐欺師に遭遇することはありませんでした。
さすが多くの文化が交わった都市だけあり、外国人に対しても寛容で、仲良くなると住民は街の案内をしてくれ、ガイド料も請求されませんでした。
さて、前置きが長くなりましたが、
それまで南京虫の存在なんて考えもしなかった私が南京虫の襲撃を受けたのは、そんな王都マイソールの安宿です。
当時の写真はもう手元になく、場所の特定はできないのですが、西洋建築の郵便局や警察、銀行といった施設が集中した交差点から東西南北4方向に伸びた道を郵便局側から進むと、大通りの左右にローカルの店舗が並んでいます。その大通りから右手に一本外れると辺りにはローカル向けの食料品店などが多く並んだエリアに入ります。その中には安宿も多いです。
このエリアの安宿で南京虫に襲撃されたのです。
ホテルは太陽の当たらない薄暗い場所の一画にあり、エントランスからロビーに入るとムスリム風の無口そうな男性がフロントを務めていました。
案内にある一泊200ルピーの文字を見ると、インドに来た実感が湧いてきます。
200ルピーといえば当時のレートで約400円、1ヶ月滞在でも12000円で収まる額。さすがに信じられず、フロント男性に本当かと聞くと、本当だと返すので、何も疑わずに部屋に向かいました。
だいたい4泊くらいしたと記憶していますが、1600円程で済むはずのこの部屋が15万ルピー(当時のレートで約30万円)規模の出費を強いることになります。
安宿に安かれ良かれと飛びついた私ですが、これが想像もしない事態を招くことになります。
部屋に入った私は、かねてより「沈没」というものに憧れていたので、すぐさまベットに飛び込み、Mac Book Airを取り出しネットサーフィンを始めました。
周囲にいるのは見知らぬインド人なので、私を監視したり止めたりするものは誰もいない。そして物価は、日本の1/3ほどという環境。
どこか罪悪感を感じながらも、まるで自分が貴族階級になったような気分で、沈没の雰囲気にどっぷり浸かります。
途中、カメムシのような米粒ほどの大きさの四角形の虫がベットの上を通り過ぎましたが、私に気づいて必死に逃げる姿がかわいそうに思えて放置しました。
しばらくすると小腹がすいてきたので、
部屋の脇にある古ぼけたドレッサーの上のメニューをとり、横のボロボロの電話でフロントまで連絡を取ります。
メニューの料理はスープで120ルピー程度。
フランチャイズ店と提携しているらしく、決して安くありません。
とはいえ日本の物価からすると普通なので、美味しそうに見えた料理を3点ほど選び、フロントに伝えます。
30分ほど待つとノックの音が聞こえたのでドアを開けると、料理の入った青いビニール袋をさげたホテルクラークが立っていました。
ビニールを受け取ってチップを渡すと、クラークはサンキューと返した後に一言二言何か喋って出て行きます。
期待しながらビニールから料理を取り出すと、熱いスープはすぐに溶けそうな薄い透明のビニール袋に包まれており、チャーハンは白色のカップの中に敷き詰められていました。カップの作りは悪くないですが、急いで作ったのかカップの取っ手のまわりに脂が漏れ出していてベタついています。
スープはけっこうな熱さだったので、おそらくビニールが溶けてスープにダイオキシン的な成分が溶け込んでいたはずです。
東南アジアあるあるです。
そんなインドクオリティに首をかしげながらも、せっかくなので全部平らげます。
なんというか、手作り感がやばい。俺でも作れる感全開です。
とはいえ、結構な量のローカルフードを口にして一定の満足感を得た私は、徐々に瞼が重くなり、インドに慣れつつある満足感と共に意識を失いました。
何時間たったか分かりませんが、違和感とともに目を覚まします。
体に違和感があるので、その部位を触ると腫れている。
それはどうやら胴体のあちこちに起きているらしく、服を脱いで体を確かめると、あちこちに赤い発疹ができています。
不衛生なインドにあって、発疹ができたということはウイルス感染の可能性しか思い浮かびません。
とりあえず最初は風土病だと思ったので、とりあえず新しい料理を頼んで、自然治癒力を高めることに専念しました。
免疫力を活性させようと肉と野菜の入った料理をふんだんに注文し、たいらげて、また寝る努力をします。
目覚めると、さらに赤い発疹が増えている。
また同じことを繰り返し、また発疹が増えている。
この宿に宿泊して2日目にして胴体と足回りは赤い発疹で覆われていました。
さらに、この頃になると初期にできた発疹が激しい痒みを発し始め、普段はもちろん、ご飯を食べていても、人と話をしていても、道を歩いていても、患部を掻かずに入られないほどの痒み。よく見ると発疹にはNARUTOの写輪眼のような綺麗な三角形の斑点が残っていて、疫病にしてはおかしな痕だと違和感を感じたことを覚えています。
しかし当時は打つ手も見当たらず、風邪のように放っておけば治るだろうと楽観していましたが、徐々に「俺は異国の地で風土病で死ぬのか」という不安が頭をもたげてきました。
ベットを行き来するカメムシ状の虫は、どこか「可愛い」雰囲気があったので、通り過ぎる虫の数が増えても、ひたすら放置していました。
とはいえ、初めて見たときよりも体の色が赤っぽく、膨らみを帯びていることに気づきます。
まさか?と思い、すまないと思いながらも試しに一匹潰してみると、赤い鮮血が飛び散りました。それも結構な量です。
モスキート(蚊)を潰した時、予想以上に血を吸われていたことが分かってイラッとすることは誰もが経験あると思います。あの瞬間も手に血痕が広がりますが、南京虫を潰した時の血の量と衝撃は、その5倍はあったでしょう。
とはいえ、この虫に怒りを感じると同時に、発疹の原因が分かったスッキリ感、また疫病でないと気づいた安心感なども同時に去来し、当時の心情がとても複雑だったことは確かです。
もしかすると死の恐怖を乗り越えた安心感が一番強かったかもしれません。
虫を排除すれば更なる発心は避けられる。
そうと分かったら掃討作戦に入るだけです。
結構な数の虫がベット状にいたので、真顔で一匹ずつ潰していきます。
セルジュニアのように大慌てで逃げる個体もいましたが、サイコパス的な眼差しで処刑。
体にできた発疹には大きなものから小さなものまであり、成虫以前の小さな虫でも血を吸うことを示していました。
だから、目に見える成虫を全滅させたからといって、安心はできません。
とりあえず今日は我慢して、明日一番にこの部屋を出ることを決意します。
小汚ない部屋から離れればもう虫はいないのだから、血を吸われることはない。
このような楽観はすぐに裏切られることになります。
翌日、鋭い眼光で睨みをきかせながらホテルマンに鍵を返し、無言でホテルを後にしました。
ホテルマンは後ろめたそうだったので確信犯だったのでしょう。
安宿の恐怖が理解できたので、これからは害虫のリスクを嫌って一泊1000ルピー以上のホテルに宿泊することに決めます。
また、宿を出ると同時に、古いのか整備されていないのかよく分からないマイソールに対する苛立ちが湧いてきたので、観光をやめてバンガロールまで戻り、留学の開始に備えることに決めました。バスに乗って再びバンガロールに向かいます。
ちなみに、200ルピーの部屋に泊まったのはあの1回きりで、それ以降は1000ルピー程度の宿を使うようにしました。
しかし、そこはインドクオリティ発動。
1000ルピーを越える価格帯の宿でも南京虫が出る宿にたくさんで会いました。
さて、200ルピー宿の反動でバンガロールのちょっと高めの宿をとった私は、そこで3泊しました。
南京虫が確実にいない空間で過ごしたかったのです。
蚊のいない空間で蚊に食われることはないように、南京虫のいない空間で南京虫に噛まれることはない。
マイソールという危険地帯を離れ、かつ価格帯の高いホテルにいるのだから、自分はもう安全です。
しかし、2泊目に目が覚めると、前日に噛み跡がなかった箇所に新しく赤い発疹ができています。
混乱した私は、インターネットの助けを借りることにしました。
ホテルのWIFIは繋がらなかったので、ホテルから出て、通信サービス会社の赤色の看板を掲げた店に向かい、通信容量切れのSIMカードに容量をチャージします。(フィリピンではロードという)
調査の結果、あの害虫は南京虫、別名トコジラミと呼ばれる吸血性の害虫で不衛生な環境に生息するとのこと。
また、自身は移動能力を持たないので、宿主とした人間や動物の機動力を利用して、生存権を拡大していくことも分かりました。
また人の荷物に産卵し、その子供同士が近親交配することで爆発的に繁殖することもあるのだとか。
ここで荷物への付着に気づいた私ですが、当時は荷物を買い換える勇気も金銭的な余裕もなかったので、とりあえず洗えるものは全部洗い、捨てて問題ないものは全部捨てて、様子を見ることにしました。
その後、金銭的な目処がついてから荷物を全部捨てて、新しいものと交換するなどの処置を何度か行いました。
しかし駆除に成功したように見えた後、別のホテルでまた貰うの繰り返しで、堂々巡りの様相を呈していきます。
インドに潜む南京虫の危険性については、もっと焦点が当てられてもよいし、
何より高度外国人の呼び込みに必死なインド政府の方針にとってマイナスどころか、人材流出のリスクにもつながりかねないでしょう。
モディ首相には対策を急いでいただきたいところです。
少なくとも、私はもうインドには行きません。南京虫に遭遇したバリ島も避けたいです。
インドの安宿に憧れている旅人気質の方の参考になると嬉しいです。行くこと自体は止めませんが、覚悟と対策をお忘れのないように。