Ossan's Oblige "オッサンズ・オブリージュ"

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

ペナン島での記憶

記憶というのは、相当強烈なものでもない限りいつか消えていく。
さすがに1年前や2年前に起きたこと、出会った人たちのことを忘れることはないが、3年前にもなるともはや怪しい。
最近は写真技術の発達が著しいので、写真に頼るという方法はある。しかし、写真を見るだけでは、相手の顔や街の風景、ちょっとしたやり取りや出会い、別れなどの浅い記憶は引き出せても、その人や場所とどのように接したかという深い記憶まで引き出すことは難しい。

自分は、某国のスラムでスマホを盗まれ、それと同時に記録したはずの写真を失ってしまった。
このように写真という記憶媒体はちょっとしたことで失われる欠点もある。

あれから3年たち、すでに旅先で出会った人々や場所のことを思い出せなくなりつつある。
このまま放置すれば、思い出はすぐに私の頭から失われてしまうだろう。
忘れてしまったら、出会ったことも、訪れたことも、なかったことになってしまう。

だから、まだ記憶の残っているうちに、覚えていることを記していきたい。
誰の役にも立たないかもしれないが、記憶を外部化する作業が今の私には必要である。


ペナン島との出会い

海外に出ることが決まった時点において、ツイッターアカウントのフォローは、旅慣れした人や海外ビジネスに長けた人たちに集中していた。
意識したのでもなく、自然とそうなっていた。
海外の情報が溢れるタイムライン。異国のこと、日本では見られない外国の料理などを1つ1つを凝視して、まだ海外に馴染みのない私はたいへん興奮していた。

フォローしている人たちは、海外に事業を持つ経営者の方が多く、彼らは互いに交流し、ツイッターを情報交換の場として利用していた。

そんな彼らの会話の中にたくさん登場していたのがマレーシアのペナン島だ。

ペナン島といえば、日本人には馴染みの薄い島だが、「ペナン・マラッカ・シンガポール」と聞けば思い出す人も多いのではないだろうか。
ここは、イギリスの旧海峡植民地であり東インド会社の拠点として発展した島である。

聞くところ、このペナン島には特有の風情があり、それが多くの日本人を惹きつけるばかりか、ご飯も安く美味くしいのだとか。
最初は世界の数ある名所のひとつという認識で流していたのだが、彼らの会話に登場する回数があまりに多いので、次第に興味を持つようになっていた。

今思うと、それがマレーシア訪問を決めたきっかけだったように思う。
とはいえ、マレーシア人の彼女ができたわけでも、何か重大なアイデアを得たわけでもなく、ただ通り過ぎただけなのだけどね。

ペナン島入島

タイから飛行機に乗ってペナン島に向かう。
マレーシアは、インド、タイに続く3カ国目の国。

現地に着くと、まずは現地マネー、リンギットを確保するため、海外送金サービスのウエスタンユニオンに向かう。
予め日本から手続きを済ませておけば、海外の窓口で相性番号とパスポートを渡すだけで送金を受け取れる便利なサービスだ。
1851年設立の老舗で業界を牛耳っているのか、高額な手数料がかかる。

空港の外に出ると大きなデパートがあるので一回のフードコートを通り過ぎ、エスカレーターで2回に上がる。するとエレベーターから50mほど離れた先に、同社のよく目立つ黄色の看板があった。さっそく窓口まで向かう。窓口には、日本人とおぼしき初老の男性が座っていて、ガラスの向こうから払出しに対応してくれた。
とりあえず、旅の資金を確保したことに安堵し、空港エリアを後にする。

さっきのおじさんに限らずマレーシアの空港職員には、インド系やマレー系、中華系といった異人種が目立っていたが、都市部の状況も同じだった、
純粋なインド人っぽいのに本土女性ではありえない優しさを見せるインド系女性、老齢の方が目立つ中華系人、現地マレー人。
そうした人々が異なる文化の商品や料理を提供しているので、都市の空気はインドに負けず劣らずカオスだ。
よく言えば多様性に溢れている。


実際、マレーシア政府はグローバル主義を採用しているらしく、外国人の呼び込みに力を入れているらしい。
列島の南端には、すでに発展し尽くしたシンガポールがあるので、富裕層の第2・第3投資の受け皿になりたいのだろう。
ゆえに異文化融和を掲げて、調和したカオスを見せつけているわけだ。

ペナン島での生活

とはいえ、カオスであることに変わりはなく、カオスな都市は情報量が多いので疲れる。
おまけに私は窮屈なエコノミークラスでのボーディングで疲れ切っており、入国後はいつもそうなように、早くホテルに向かいたかった。

人ごとに毎回異なる宗教、海湾都市の湿った熱気、そうした初めの環境ば刺激的だが疲れる。この疲労感から逃れようと、
まずはホテル街を目指した。

マレーシアは州の集合によって構成されていて、多くの州にはスルタンがいてイスラム教を信奉している。
そんなマレーシアの州でも、ここマラッカ州はスルタンのいない、数少ない土地だ。
人々の人種は、マレー系、インド系、中華系と様々で、中国建築の寺院があるかと思えば、少し歩くとモスクがあたったり、横目にはイギリス統治時代の要塞が見えたりする。たいへん不統一だ。
個人的には多民族主義は苦手なのだが、人種や宗教に関わらず共通していたのはみな親切だったこと。インドと同じカオスでも、インドのカオスにはない良心のような雰囲気で街は包まれていた。

安宿は、ジョージタウンというヨーロッパのコロニアル様式なエリアの周りに集中していた。
貸出自転車を営む小売店やコンビニ、ホテル、バーの林立状況、また英国風の名前から見るに、ここは外国人街なのだろう。
安宿の一泊の価格は記憶によると2000円くらい。エアコン、WIFIつき。
歩いてホテルを探す途中、数々の屋台やローカルの飲食店を目にした。見たところツイッターの先輩方のアップしていた料理と同じ雰囲気なので、この店にいけば目的の料理が得られるはずだ!
夜にホテルで目が覚めたら食べに行こうと、歩きながら計画を練る。


初日に泊まったのは、ジョージタウンのはずれにある中華系の宿で、中心地から外れて閑静であるとはいえ、周囲にはカフェもコンビニもあって便利なロケーションだ。
ホテルの外では宿泊者とみられる白人の老人が、庭のテーブルから道路を眺めており、にこやかな笑顔と目があったので軽く挨拶を交わす。

部屋はコンパクトな作りだったが、エアコン、WIFI完備で、アメニティも質素だが充実。しかも清潔。作業用のデスクも置いてあり、2000円ほどの値段にしては至れり尽くせりの環境だった。
とりあえず寝た。


起きた後は、ペナン島に散らばる異文化の食をできるだけ多く食してやろうと、ジョージタウンをさまよった。ここにいれる時間は長くないのだ。
中華系のお店での本格肉まん、ヌードル、チャーハン、スープ、これらは記憶が薄れつつあるように美味しかったが特筆するようなものは感じなかった。
イスラム系の店は肉が多く使われた料理が多く、濃い味が際立っていた。
インド系の小学生4年生くらいの少女がじゃれついてくるという、インド本土なら父親に殺されかねない場面に遭遇。色々褒めてきたのでチップ狙いだったのかもしれない。
殺気を感じたので振り向くと父親が鬼の形相でこちらを睨んでいたなあ。

多様性あふれる街はつかれるが、刺激的であることは確かだ。

露天で買った民族衣装は、海峡都市の熱気に対応したつくりで通気性がよく、日本の夏を乗り切る上でかなり重宝した。
ジョージタウンの大広場からイスラム系のマーケットがある道を反対に進むと、右手に野外に広がったフードコートと左手にホテルとバーが並ぶエリアに続く。付近のバーには、日本語の看板を掲げたカラオケ店もある。さらにまっすぐ進むと辺り500m2くらいがコンクリートで舗装されたジョージタウンとは若干雰囲気の異なるエリアに着く。特に何もなかったが、記憶に残っているのはどうしてだろう。
雨上がりの道を歩いた記憶がある。

そのような日々を毎日異なるホテルを拠点に繰り返し、街に慣れて別れが寂しくなってきた頃に、次の都市に向かうバスに乗り込んだ。


結局最終日までペナン島には、評判ほどの魅力は感じなかったのだが、それは都市に若さとエネルギーを感じなかったことが大きい。
ペナン島では、物価の安い経済環境に似つかわしく、英語、中国語と主要言語が学べる環境が揃っているので、若者が流出する構造にあるのかもしれない。また、排ガスが強く呼吸を苦しく感じたのも理由になるだろうか。
インドほどではないんだけどね。



カオスなペナン島の将来

宗教は集団の統合の手段である。だとすれば、ひとつの国に異なる宗教が並存しているうちは完全な統一は果たせない。
21世紀の現在は宗教の多様性も盛んだ。しかし、国境もなくなり、人種が複雑に混合していくであろう数世紀先の未来に、宗教が今日ような状態でまだ残っているのだろうか。
もちろん10年や20年先に突然、キリスト教やイスラム教がなくなるわけではない。しかし宗教すら時代とともに形をかえていくのだから、300年、1000年の長い時間をかけて、各宗教は似たような形になり、やがて統合されていく方向に向かうのではないか。ペナン島のカオスの中を歩いて、そのようなことを考えた。