Ossan's Oblige "オッサンズ・オブリージュ"

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

日本の男尊女卑の起源は江戸時代にある【かわいいや大和撫子は美の領域にまで昇華された差別思想】

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日本には平等を重視する伝統があるのに、どうして女性を下に見る傾向があるのか?
男女差別傾向の起源について考えた結果、江戸時代に作られた平等政策に行き着きました。


男性にとって、女性は欠かかすことのできない存在です。

人間の3大欲求は、食欲、睡眠欲、そして性欲であり、欠乏の極地には死が待っています。
だから人間は、飢餓に陥らないように努力し競争し、限られた資源にありつこうとします。

しかし、資源の数は限られているので、全員が資源にありつけるわけではありません。

例外なのは睡眠欲で、場所さえあれば、誰でも満たすことができる欲求です。

すべてを失ったようなインドの最下層民ですら、路上で睡眠を耽っています。

しかし、食欲と性欲に関しては、その限りではありません。

食べ物は無尽蔵に存在するわけではないので、人類全体が飽食を貪るわけにはいきません。
性欲も女性の合意がなければ犯罪として裁かれます。

こうした欲求を満たすための供給は、社会の構成員が抱える需要よりも少ない量しか提供されないのです。
したがって、椅子取りゲームが行われ、闘いに破れあぶれる人が出てきます。

つまり、食欲と性欲を巡る闘いは、人々の間に格差を生じせしめます。

特に性欲の場合、男性は常に女性に対して劣勢です。

なぜなら、生物的に出産という重い負担が割り振られている分、恋愛の主導権は女性に与えられることになるからです。

男性は、常に求愛し、女性に選ばれなければ、資源からあぶれた負け犬の烙印を押されます。


実際、自由恋愛が主流の今の日本でも、若者の恋愛離れが社会問題となっています。

芸能メディアの浸透とともに異性に求める水準も高くなり、小泉改革を機に年収の二極化も進みました。
女性の需要を満たせる水準を下回り、女性資源を得損ることができない男が続出している証左です。

それでも、暴動や革命現象が起きないのは、食べ物が社会にあふれているからでしょう。

日本で仕事をすれば、世界上位レベルのお金が手に入ります。

物価も安いので、飢餓状態に陥ることはまずありません。

性欲の不満も、食欲で補うこともできますし、なんならお金を払って一時的に満たすこともできるので飢餓には至りません。


いっぽう日本と違って最貧国の国々(格差が大きい)には、一触即発を予感させるような重々しい雰囲気が社会に漂っています。

そういった国に多い若者たちは、仕事を頑張っても満足なお金が手に入らないので、欲求すら満足に解消することができないでいるのです。

こうした国は、政変や自然災害が起こると、人々がスーパーマーケットを襲撃します。

治安の悪い自国が乱れても、食料配布などの保護が受けられないという確信があるため、飢餓状態に陥らないように自衛のための武力行使に走らざるを得ないのです。


それでも、産業の発達が著しい今はまだましでしょう。

世界が貧しかった20世紀のころは、庶民の欲求不満は、暴動や共産主義革命に容易に転化しました。

それ以前の時代ならば、さらに科学の進歩が弱かったため、食糧供給を巡る状態はし烈を極めました。

この時代の歴史書を紐解くと、「えげつない行為」が頻発していたことを伝えています。


もちろん仏教国でおとなしい、平等的な日本であっても、人々は長引く欲求不満状態に黙ってはいませんでした。

たとえば、太平の時代といわれた江戸時代でも、小規模暴動がおきた例は探せばあちこちに転がっています。

その中で大規模でもよく知られている「大塩平八郎の乱」では、平八郎率いる反乱軍が、打ち続く飢饉に対する無策の政府に怒りの声を上げました。

食料分配が政策的になされないなら、暴力でもぎ取ってやろうという論理です。

貴族階級の裕福な暮らしを横目に、窮乏に耐え続けるのは我慢の限界。

社会主義革命や貧困国に起こる暴動が、小規模ながら発生したのは、当時の日本に社会の成員の欲求を十分に満たせるだけの国力に欠けていたからです。

とはいえ、江戸時代の日本は後世の人々に「太平の時代」と称されるほど、平穏な時代を過ごしていたようです。

なにせ3世紀という長期の間、数えられるほどしか暴動が起きないという世界史に希な時代を実現したのです。

その背後には、暴動回避のための、何らかの政策が存在したのではないでしょうか?


日本人は、平等を実現するために女性の我慢を強いた

いつの時代に起こる暴動や革命も、背後にあるのは開きすぎた格差です。

少数の貴族階級が資源の大半を独占し、残りの僅かな資源を大多数の人民が奪い合うという構造が限界に行き詰まったとき、窮乏した人民は武器を持って立ち上がりました。

為政者にとって、革命はもっとも恐怖すべきシナリオの1つであり、未然に回避策を打たなければなりません。

回避策は、国や地域ごとにさまざまです。

大陸の国では、弱い国を武力占領し、劫掠を実践させる、敵国の人民を強制移住させて、最下層階級に据えるといったガス抜きの方法が実践されてきました。

あるいは、国民を宗教や民族で分断し、互いに争わせることで不満の矛先を自分たち以外に向けさせるという手法も用いられました。

島国日本の場合、敵国がいないので、他国の軍事占領は選択肢から外れます。

したがって、為政者の課題は、民の不満そのものに向き合い、暴力を生みだす欲求不満を解消させることでした。

3大欲求のうち、飢餓に陥りやすく危険なのは、食欲と性欲です。

このうち、食欲は、生産力に限りのある時代ゆえ、平等的に充足させることは不可能です。

しかし、性欲の場合は、なんとかなりそうです。
男女のつがいを作れば、好きなだけ耽ることができるからです。

問題は、受け入れる側の女性の抵抗感です。

女性は、優れた子孫を残す本能が男性に増して強いため、すべての男性を受け入れる挙動は示しません。

それを破るとすれば、何らかの社会的強制が必要です。

つまり、自然状態において恋愛の主導権を握るはずの女性に対して、社会的な抑圧、差別を科し、制度的に男性側の優位を確立させたのではないでしょうか?

男性優位の状態ができれば、つがいの成約率が向上し、欲求不満状態を打破することが期待できます。

欲求には、1つの欲求を満たしている間、他の欲求不満は忘れられるという特徴があるので、全ての欲求を満たさなくとも、1つを徹底的に充足させてやれば、他の欲求の不足はごまかすことができます。

こうした女性への強制、男性優位の文化基盤といった条件は、家制度やお見合い制度として社会の表舞台に登場していくこととなります。

実際、鎌倉時代には貴族の間でしか行われていなかったお見合い婚が、民衆に開放されたのは江戸時代からです。

語り継がれる夜這いなどの大らかな性風習も、制度的に流布されたことが考えられます。

自然流行によるものであっても、弾圧されなかったのは、統治者の利益に適う(ガス抜きができる)現象だったからでしょう。

このように、食糧供給の貧しい時代に265年もの間、(平八郎など少数の例外を除き)暴動や革命と無縁でいられたのは、性的大らかさが大いに寄与していたことが考えられます。


とはいえ種の構造として、常に男性に対して優位なはずの女性に性配分の平等を訴えるには、女性の抑圧が必要です。

これが、「男性が女性を下の存在としてコントロール下に置こうとする、またそれが正しい」と考える男尊女卑の始まりだったのではないでしょうか?

夫の欲求におとなしく従い、召使のように仕える女性のことを、日本人は「大和撫子」として賞賛してきました。

あるいは、そうした女性の前兆である「一歩下がる女性」は「かわいい」という日本的美の象徴として称えられます。

男性に対する従順性は美の領域にまで昇華され、社会的平等の実現と暴動回避の策として、日本文明の進展に貢献してきたのです。