Ossan's Oblige "オッサンズ・オブリージュ"

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

グローバル時代に強い歴史背景とは。【ネットワークがない国は弱い】

「グローバル化」を嫌う日本人が多いのは、歴史的に開かれた「国際ネットワークの乏しさ」に原因があると考えます。

グローバルに強い国は、海外進出の伝統を持ち、先人が積み上げたネットワークが生き続ける点で共通します。

それはアメリカ合衆国、中国、イスラム教徒の3勢力にもっとも顕著に観察することができます。


大航海時代の覇権ネットワークをベースに持つ欧米文明

現在、世界最強のアメリカは、大航海時代の覇者イギリスから覇権を継承した国です。

欧米の覇権は、大航海時代の成功によって裏付けられました。

この時代、アジアへ進出した西洋諸国は、国の違いはあれど、行動原理においては共通していました。

つまり武力(火器)によってアジアの弱小国を植民地とし、原住民の奴隷労働で生産した富の輸出によって、貿易利潤の最大化を図ったのです。

この植民地モデルは、16世紀初頭のポルトガルによるゴア占領、スペインによる新大陸の支配を機にアジアへ広がり、後発のオランダ、フランス、イギリス、ドイツといった国々にアジアへの道を開きます。

時代を経るにつれ、アジア定着を果たしたヨーロッパ諸国は、相互の主導権争いに発展し、これを抑えたイギリスが世界の海上覇権を達成します。

イギリスは、インド洋の中央に広がるインド亜大陸の支配、産業革命を誕生させるほどの圧倒的な工業力と海軍力を背景に、19世紀に覇権大国の座に躍り出ます。

インドをはじめ、アメリカ、アフリカ、中東、中国の沿岸地域を次々と支配下に治めたイギリスは、7つの海を支配し、世界貿易に独占的な影響力を行使していきます。


しかし、広げすぎた領土の維持コストが仇となり、20世紀初頭には、18世紀にイギリスから独立したアメリカ合衆国へ世界覇権が移っていくこととなります。

覇権交替の直接の契機となったのは、2つの世界大戦でした。

この戦いでアメリカは、対立軸のどちらにも与しないまま武器提供に徹し、双方が疲弊してきた終戦間際に参戦するという行動をとります。

第二次世界大戦が終わったとき、アメリカとイギリスは共に戦勝国のメンバーでした。

しかし戦時中の戦闘へのコミットには大きな差があり、武器提供により巨額の債権を手にしたアメリカと、総力戦で膨大な対米負債を膨らませたイギリスとで明暗が分かれます。

イギリスは、敗戦国ドイツからの賠償金を手にしましたが、自身が背負う対米負債が膨大であったため、せっかく手にした賠償金もアメリカへの債務返済に充てる羽目に陥ります。

さらに戦後は、イギリスのみならずヨーロッパ全体に疲弊の色が隠せなくなり、1950年代の植民地の独立ブームとして表面化します。

こうしてヨーロッパ諸国が手放した植民地の利権を回収したのが、第二次世界大戦のダメージが軽微だったアメリカです。

イギリスに代わって世界覇権の座を射止めたアメリカは、共産化防止の名の下に、世界各国の政府へ内政干渉していくことになります。


第二次産業革命も米国から生じました。

直接にはIT(Internet Technology)ですが、その発祥は米国国防省によって戦略的に開発された軍事ネットワーク(ARPANET)に遡ります。

これは従来の中央集権型のデータ管理の場合に、一極の壊滅がデータ全体の破損をもたらしてしまう問題に対処した技術でした。

データ管理を分散化し、さらにビット通信で接続することで、データ分散と相互接続が可能となります。

これにより、一部のデータが破損しても、別の管理場所にある情報を通してデータを復元できる新しいネットワークが誕生しました。

さらに世界に点在するサーバーと周辺の末端ユーザーを接続することで、インターネットという民間技術に転用されます。


この新技術が世界に浸透するまで時間はかかりませんでした。

イギリスから継承した覇権ネットワークを使って、各国政府への内政干渉が進展するに従い、経済領域へも影響力が行使されます。

米国の覇権戦略に基づくITの戦略的重要性とは、データの分散化と集約、相互接続による一体化です。

こうして世界中へIT技術が波及し、いまや先進国のインターネット普及率は82.6%(2017年)に達します。


そして近年、民間に開かれたインターネットの技術が独自の運動を始め、従来の中央管理的な管理システムを圧倒しつつあります。

中央システムの仲介を排除して、ユーザー同士が直接繋がる仕組みはP2Pと呼ばれています。

その勢いは、銀行や国家の存在意義に疑問符を投げかけ、民衆の自由を連想させます。

覇権大国のアメリカを介することなく、人々がP2Pで繋がることができるからです。

しかし、残念ながらそれは錯覚です。

IT分野の全世界収益のうち、米国のIT企業が占める割合は50%を超えます。(https://www.mizuho-ri.co.jp/publication/research/pdf/insight/jp171002.pdf)

そして残りのIT企業の少なくない割合は、資本関係など巡りにめぐって、米系企業の影響下にあります。

つまり、人々の生活からアメリカの影が消えたように見えても、米国傘下のGoogle、Microsoft、Yahoo!、Amazon、Apple、Intel等が構築するITネットワークの中に、アメリカの覇権は維持されているのです。

ヨーロッパの先人が築いた植民地ネットワークは、現代文明を支えるITネットワークに姿を変え、米国大手企業の掌中にあります。


華僑承認と中国人街のネットワークを擁する中国文明

近年大きく成長した中国も、海外進出が盛んな歴史を持ちます。

時は14世紀の明時代。
前世紀のモンゴル支配から中国を取り戻した皇帝は、ある違和感を感じていました。

それは貿易が活発化しすぎていたことです。
というのも、13世紀~14世紀の中国は、ユーラシア大陸に広がったモンゴル帝国の一地方に過ぎませんでした。
モンゴル帝国の拡大事業によって、それまで異文明だった地域が統一的なの交通網で結ばれ、遠隔地貿易が大きく栄えた時代に当たります。

また海のルートでも、モンゴルと衝突したイスラム勢力の衰退を受けて、中国商人の活動が盛んになりつつありました。

元王朝を引き継いだ明王朝が貿易で潤うのは当然です。
しかし、これは皇帝にとって、必ずしも喜ばしいことではありません。
なぜなら商人層が力をつけると、皇帝の権威が脅かされかねないからです。


そこで、貿易の利益を独占しようと出したのが海禁政策です。
この海禁政策により、中国の貿易は国家の統制下に置かれ、民間の私貿易は禁止されました。


活躍の場を失った民間商人は、生き残りの策に迫られます。
朝貢貿易のために王朝におもねる者もいれば、「後期倭寇」となり密貿易に携わった者もいます。

中には、海外市場に活路を見出し、移民となる商人も現れました。
これが華僑の始まりです。

華僑の進出地は、主に近隣の東南アジアが選ばれました。

現地での軋轢は避けられないものの、その商才により現地に根付き、繁栄の礎を築きました。

特にタイ王国(旧名シャム)へは、明朝直々に援助を行い、インドシナにおけるクメール帝国の覇権に挑戦するアユタヤ王朝を支援しています。
その見返りに便宜を得ることに成功します。
(同様にマジャパヒト王国と戦っていたマラッカ王国への支援も行い、マレー半島のマラッカに礎を築くものの、これは1511年のポルトガルのマラッカ占領により撤退を余儀なくされます。)

遠隔地にあるため領土摩擦もなく、強大であった中国の勢力は、アユタヤ王家の強力な後ろ盾として歓迎され、入ってきた中国商人の活動を規制する法律もなかったので、すぐさま王朝内部に浸透し、貿易から行政権に至るまでの王朝運営を掌握していきます。
18世紀に興ったトンブリー朝、チャクリ朝の時代になると、立て続けに華人系の創始者が続き、中国移民の受け入れが奨励されました。



こうした華僑の子孫たちは、今日の東南アジア(ASEAN)経済を牛耳る勢いです。

2011年には東南アジアの華僑から、アジアの統合を主導する地域統合「東アジア地域包括的経済連携(RCEP)」が提唱されました。


この地域統合の提唱者主体となっていますが東南アジア(ASEAN)ですが、ASEAN経済を牛耳っているのは華僑です。

そうである以上、中国の中華思想を支持する地域統合になると見なすべきでしょう。

メンバーに名を連ねる中国、ASEAN10ヵ国をはじめ、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、インドが属する、東アジア、東南アジア、オセアニア、南アジアへ中華思想が拡大する恐れがあります。

華僑ネットワーク以外にも、世界中に点在する中国人街が抱えています。

その大半は、アヘン戦争後に奴隷として輸出された苦力や亡命者が礎となりました。

現地住民との対立は避けれずも現地でのプレゼンスを高め、年々拡大を続けています。

今日なお成長を続ける中国人街は、現地へ進出してきた本国中国人を受け入れ、進出の窓口としての役割を果たしているようです。

このように、中国の拡大政策の土台にも、先人が積み上げてきたネットワークが働いているのです。


<h2>イスラム教をキーに世界的広がりを持つムスリム文明イスラム国家もまた、宗教を共通のキーとして、国境を超えた連携を図ろうとしています。

アラビア半島に成立したイスラム共同体は、軍事遠征によって四方へ広がり、海路では交易を通してアフリカ、東南アジア、中国にも広がりました。
イスラム教を国教に採用したことのある国は、中東のみならず、東南アジアやアフリカ、中央アジア、東欧に点在します。
近年は低賃金労働者としてアメリカやヨーロッパへも流入し、現地で多産の傾向を見せています。
世界各地に新設されるモスクの群れは、かつて奴隷として欧米にやってきた中国移民による中国人街を連想させます。
さらにインターネットの枠組みを利用して、各地でゲリラ的なテロ行為を働き、こうした動きが欧米から脅威とみなされるほど世界へ浸透しつつあります。




以上は、彼らの先人が築いたネットワークが生き続けている証左に他なりません。


では、我々の所属する日本文明圏のこれまでの歩みはどのようなものだったのでしょうか?

次項へ続きます。