Ossan's Oblige "オッサンズ・オブリージュ"

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

日本の高齢者が老害と化すのは「生涯現役」思想が原因【老害国家の見分け方についても解説】

f:id:Illuminated29:20200319001916j:plain

1. 日本人が老害化しやすいのは労働資源の乏しさが原因【生涯現役思想】

2019年12月2日、群馬県の関越自動車道で、80才の男性が運転する自動車が下り車線を逆走し、前方から来た自動車と正面衝突する事故が起こりました。

https://sp.fnn.jp/posts/00428196CX/201912020032_CX_CX

衝突の結果、逆走車を運転していた男性(80)が死亡し、衝突された車にのっていた2名が重軽傷を負った模様です。
加害者の高齢男性は足に障害を持ちながらも、周囲からの免許返還の薦めを辞してまで運転にこだわっていたとのこと。

理由は、「周囲に迷惑をかけたくない」でした。

私は、この事件に老害を量産してしまう日本文化の因果を見た次第です。

日本は老害の「出る杭を打つ」で衰退するパターンを繰り返す

1939年、ソ連の間に起きたノモンハン事件の敗北の原因は、日本軍の兵器の近代化の遅れに求められます。

欧米の兵士が最先端の自動小銃を携帯する一方で、日本軍は旧式の単発銃の量産に腐心していました。
そのありさまは、ソ連の将校からも「30年前の日露戦争の時と変わらない」と評価されたほどです。
軍を指導した3名の指揮官にはソ連に内通する者もいたほどで、兵器の近代化に躊躇したことに加え、まさに老害の極みでした。

「技術革新を嫌う老害によって国際競争に敗れる」という日本のパターンは今に始まったことではなく、定型のパターンであることが伺えます。

中国は、意外と老害が少ない

日本の問題は、文化モデルの中国に原因が求められがちです。

しかし中国の老人に、技術革新を妨害する姿は見られません。
もちろん、儒教の年功序列ルールに従って年上への敬礼は絶対ですが、礼儀の大部分は作法に支えられます。
すなわち、形式上の上下関係で、精神の領域に及ぶことはありません。
礼儀作法を満たしさえすれば、老人に対する精神上の抵抗権が認められ、年下にも発言権が与えられるのです。

実際に現代の中国は、欧米で最先端の潮流が生まれると、いち早いコミットを試みます。
しかしながら、資本主義経済、IT化の導入を矢継ぎ早に達成し、電気自動車、自然エネルギー利用にも世界最速でコミットしつつある切り替えの早さは圧巻です。

同じ東アジアに属しながら、日中の間に改革に対する姿勢の違いがあることは、誰の目にも明らかです。
この違いを産み出しているのが、老人の態度だと考えます。

日本は老害の宝庫【出る杭は打て】

日本の改革嫌いは、老人の意見を反映した結果に他なりません。

改革は、新興技術の台頭と同時に起こる普遍現象です。
インターネットの誕生が手書き文章を旧態化させたように、効率性に優れる新技術は古い制度を淘汰します。

ところが、既得権益層はこの動きを歓迎しません。
技術革新とはイコール旧式の否定ですから、既得権益層にとっての改革は「食い扶持の喪失」を意味します。
したがって、上流の地位に固執する既得権益層は、改革の芽を摘もうと躍起になるのです。

もちろん、この傾向は、日本だけのものではなく世界共通です。
しかし、世界の国々は、長い歴史の中で次の教訓を知っています。

「老害(既得権益層)主義の容認は、国家の将来に影を落とす。」

あらゆる革命のテーマは、既得権益の克服でした。
既得権益層の圧政が臨界点に達した時、民衆は立ち上がり、権力と闘ってきたのです。

いっぽう、長年の幕藩体制に甘んじてきた日本には、権力に反発する文化背景を持ちません。
民衆の生活はお上に委ねられるも、西洋のような苛烈な搾取はなかったので形式上のwin-winが成立していたのです。

その後、幕藩体制の解体と共に西洋思想の流入がありましたが、お上に対する従属意識(封建思想)までは崩れませんでした。
分離すべき3権の癒着が、封建主義残存の象徴でしょう。

こうした封建意識は、統治者・国民の関係だけでなく、末端の社会関係にも適用され、高齢労働者は、既得権益層が国民に対してするように、若者世代の改革案を否定します。
変化をくじくことなくして、中年以降の雇用が安定しないためです。


老害を量産する「生涯現役思想」の根源は、日本に戦争捕虜がいなかったこと

「老人の老害化」は、高齢労働を美徳とする日本の「生涯現役」思想に由来します。

「生涯現役思想」は中国には無い発想らしく、働く高齢者の多さは中国人の目に奇異に映っているようです。

では、日本人特有の「生涯現役」思想は、どのような条件に導かれているのでしょうか?


それは、労働資源の乏しさに他なりません。

やや逸れますが、戦争は戦勝国と敗戦国を分け、敗戦国の領民を奴隷化します。
広大なユーラシア大陸では領土紛争が頻発し、その度に勝敗が分かれました。
戦勝国は、敗戦国の捕虜を奴隷として獲得し、自国の労働市場を潤してきたのです。

西洋の王宮、エジプトのピラミッド、インドのタージマハル、カンボジアのアンコールワットなどは、かつての帝国の栄華を今日に伝えるモニュメントです。

一方、専門技術を要さない肉体労働は「奴隷の仕事」として軽視され、悪徳として差別されることになりました。
つまり「階級」の発生です。


いっぽう海で大陸と隔てられた日本には、大陸では避けられない領土紛争が起こりませんでした。
もちろん、半島を攻めた時代も確認できますが、国力が高まった数世紀に1度のイベントに過ぎません。

戦争が起きなければ、戦争捕虜も生じません。
奴隷を認めない社会では、労働は自分達の手で行う神聖な行為です。(国内統一にいそしんだ古代には、日本にも奴隷がいた)

神聖な行為であるなら、職種は問題でなく、神事として一生懸命に取り組まなければなりません。
その真剣さが、日本の職人文化を生み、高性能な日本製品や、様々な分野で一流の成果を出す高度人材の量産を可能にしたのです。

しかしながら、「戦争捕虜がいない」条件は、労働力不足の種です。
労働を自民族の範疇で行うしかない以上、国民の総動員が絶対であり、老人も例外ではありません。
日本の老人が強迫観念にも近い「生涯現役」に取り憑かれるのは、戦争捕虜が存在しない「労働資源の乏しさ」に依拠するのです。

日本と好対照なのが中国です。

中国は高齢者に労働を強いる文化を持ちません。
40〜50歳には現役を退き、家庭で孫の世話するのが一般的なようです。
子供の教育係を高齢者が担うので、現役世代は家事に追われることなく、仕事に注力できます。

このような中国の歴史は、領土拡大の歴史でした。

北方の騎馬遊牧民、南方におけるチベット、西方のオアシス勢力といった陣営に取り囲まれる中で、矛を交え、時には敗れながらも、19世紀に植民地化するまでかろうじて強国の地位を保ちました。
その過程で獲得したあまたの戦争捕虜を中国本土に移住させ、雑役に割り当ててきたのです。

つまり中国は、戦争によって労働資源を調達できた点で日本と異なります。

自国の外部から労働資源を調達できるので、労働市場の供給率も高く、自国の高齢者に強いる必要はありません。
そのため、高齢者の余生は安定し、次世代の教育係として、社会の行く末を見守るような心境で老後を迎えることができるのです。

もちろん、田舎に行けば街で威張り散らす老害風の人もいるでしょう。
しかし、老害主義が労働分野に波及していないことは、彼らの技術革新の速さを見れば明らかです。

中国の労働者は40歳〜50歳で現役を退くので、現場の指揮者の交替とともに技術の刷新が可能になります。

いっぽう高齢労働を良しとする日本は、島国のために労働資源の獲得が難しい歴史を刻んできました。
労働資源が少ないので、不足分を自国の老人で補う必要に迫られたのです。


人材不足が続く限り、日本の老害主義は絶えない

「生涯現役」を旗印に、高齢者を組織に残せば、彼らは自動的に老害化します。
自らの立場を守る必要に迫られるからです。

少子高齢化が加速する中、日本政府は年金支給年齢の65歳引き上げを施行しました。
これは日本人に65歳までの労働を義務付けたようなものです。

働く高齢者の割合が高くなれば、老害化の勢いはさらに加速していくでしょう。

日本人の老害化を阻止するには、年金財源の確保および少子高齢化の克服しかありません。
それらに現実味が無い以上、日本人の老害化は悪化こそすれ、改善は期待できないでしょう。


2. 国家の老害レベルは、歴史的な国力を紐解けばだいたい分かる

老害傾向が高い日本人は、歴史的に大戦争を経験しませんでした。
そのため労働資源の獲得機会に乏しく、労働需要を全年齢層で満たしてきた文明圏です。

もちろん、近代には太平洋戦争、さらに遡れば慶長・文永の役で外国人技術者を部落に押し込んだような形跡もあります。

しかしそれは、長い歴史の中に現れた例外的なパターンにすぎません。

日本のような戦勝経験が少ない国、あるいは戦争に敗れて属国と化した国は、国内の労働資源が枯渇します。
そうした国々は、不足する労働者を、戦力外であるはずの高齢者で補填しなければなりません。

組織に居続ける高齢者は、若者の改革を嫌う老害と化し、それが国家規模で表現されることで老害国家となって、技術革新の停滞を迎えます。

一方、歴史的に大帝国を築いた国は、戦争に勝ちまくった国なので、領土のあちこちから奴隷を徴募できます。
そのため、戦力外の老人は次世代の育成係などに割り当てられ、現場からは退くのです。
こうした社会では、高齢者の老害化は防止されます。
労働現場も現役世代が中心となるので、技術革新も停滞しません。


地域覇権を握った国々では、老人は保護されやすい

ユーラシア大陸全域の支配に成功した勢力は存在しませんが、地域覇権を達成した国は、あちこちに存在します。

今日の欧米、中国、インド、トルコ、タイ王国などは、地域覇権を成し遂げた国の後継国といえるでしょう。
これらの国々は、異民族を武力支配することで豊富な労働資源を獲得できたため、高齢労働の必要は生じませんでした。
今日の後継国においても、「生涯現役」や「年功序列」を採用する国々は、ほぼありません。

インドやトルコの労働環境を伝える日本メディアは多くありませんが、実力主義で貫徹していることは確かなようです。

例外としてタイ王国だけは年功序列傾向が高いですが、これは英仏の緩衝地帯として王制が温存された関係も大きいでしょう。
しかしながら、ラオス、カンボジアからの戦争捕虜の流入は旺盛であり、自国の老人に高齢労働を強いる文明圏でないことは確かです。
現地の老人も、現場にしがみつくことなく、朗らかな笑顔で将来世代を見守っています。

また欧米や中国の老人が、自由を享受しやすい環境を与えてられていることは言うまでもありません。


老害国家かどうかは、老人保護の原則が守られているかで分かる。豊かな国ほど老害率は下がる。

高齢者の労働が社会にマイナスであることは、普遍事実のはずです。

もちろん登用に値する有能な高齢者もいるでしょうが一握りであり、大多数は老化によって全盛期の力を発揮できません。
本人にも苦痛でしょうし、生産への打撃や、不満が過激な暴力デモに発展する恐れもあります。

そのため、欧米では福祉制度が生まれ、中国では高齢者の隠遁の伝統が形成されたのです。

このように、歴史的に権勢を誇った国ほど老害率は低いことが伺えます。

このことは科学の対象ではないですが、強国ほど老害率が低いという事実は、逆に労働資源を奪われてきた弱小国の国情がよく示しているように思われます。


老害率の高い国では、老人絡みの問題が多い。

韓国といえば、歴史ドラマを通して強国としての国史を視聴者に刷り込んでいますが、実際は中国の属国だった国です。

自治の代償として、宗主国中国に対する、貢物、労働者の献上が義務付けられました。
つまり、韓国は中国に労働資源を吸収されてきた弱小地域だったのです。

2013年の時点で、65歳以上の労働参加率は44.4%と高い数値を示す韓国では、近代化を果たした今でも高齢者の老害化が収まらない様子です。
彼らは隙あらばと若者を威圧し、立場の上下を分からせようと粗探しに必死です。

日本の生涯現役思想は、まだ生産性がありました。
しかし、韓国では不毛な儒教道徳が未だに幅を効かせているのです。

また戦争が少なく戦争捕虜の流入が僅かだった日本でも、人材不足は慢性的です。
2013年の時点で、65歳以上の労働参加率は39.7%と、韓国より低いながらも高い数値を誇っています。

高齢者への負担も大きく年功序列思想の土壌もあるため、老害率は高いと言わざるを得ません。

冒頭の逆走車を運転していた高齢ドライバーは、足に障害があるにも関わらず、周囲からの免許返還の薦めを辞退していました。
理由は「周囲に迷惑がかかるから」です。

この考えは、周囲がみんな労働に追われて忙しいため、車を出すために迷惑をかけてはいけないという常識的な判断に基づいてます。

しかし、本来80歳の高齢者は周囲から保護を受けて当然です。

これが阻害されたということは、日本の老人保護の弱さが浮き彫りになった事件といえるのではないでしょうか。

これに対して、欧米、中国、インド、トルコ、タイといった地域の老人は、一般に高齢以降の労働義務を負いません。(貧困層は別)
現場からも離れているため謙虚で、すでに衰えた身の丈を弁えています。

日本にいたらまず避けられない、老人の「出る杭を打つ」、「不快でわざとらしい咳込み」、「明らかに意図的な妨害行為」といった行動は、人生の邪魔です。
移民の増加にともない不安定性が増大するなかで、貧困から自暴自棄に陥り、冒頭の暴走運転のような事故を起こす高齢者はこれからも後を絶たないでしょう。
もし万が一巻き込まれれば、あなたも道連れです。
仮に命を落としたり、生産性が落ちても、相手は責任を取ってくれません。

高齢者が起こしがちな問題とフリーでいたいなら、いっそのこと豊かな国々へ海外移住をするのも一つの選択肢なのかもしれません。