2011年に、「BRICs」は「BRICS」に変わりました。
複数形のsからSへの変更です。
この名称変更に伴い、新しく新興国の一員に加わったのが、アフリカの「南アフリカ共和国」です。
(BRIC「S」のSは、South Africaの頭文字)
南アは、豊かな鉱山資源を擁し、アフリカでは最大の工業力を持つ国です。
近年は、アパルトヘイトも撤廃し、新たな体制のもとで市場化を進めるこの国に、投資家からの注目が集まっているのでしょう。
しかしながら、南アフリカ共和国の人口は、5591万人に過ぎません。
人口は、市場にとって大事な数値です。
なぜなら、消費者の数を意味するからです。
新興国の中で一番人口の少ないロシアでも1.4億人の人口を持っています。
ブラジルは2億人、インドと中国は13億人です。
こうした国々と比べると、人口5691万人に過ぎない南アが新興国の名を冠することは、素朴な違和感を覚えてしまいます。
工業生産力や歴史においても、ロシア、インド、中国、ブラジルに比べると、南アフリカは乏しい印象があります。
新しく新興国に加えるなら、人口2.6億人のインドネシア、1.9億人のパキスタン、1.3億人のメキシコ、9,600万人のベトナム、8,000万人のトルコなど有望な候補国はたくさんあります。
それにも関わらず、人口5691万に過ぎない南アがBRICSに加入できた背景はいったい何でしょうか?
今回は、南アフリカ共和国のBRICS加入の理由について考えてみたいと思います。
1 南アフリカ共和国のスペック
一般に「新興国」は、広い国土面積、大きな人口規模、豊富な資源を持つ国が選ばれます。
有望市場として見込まれるのに、必要な条件といえるでしょう。
南アフリカ共和国の場合は、世界の白金の70%以上の生産を持ち、資源埋蔵量は非常に豊富です。
しかし、国土面積は121万9,090km2(世界第24位)、人口は5691万人(2016年 : 世界第24位)といまいちパッとしません。
さらに治安、衛生問題にも課題が多く、殺人発生率は世界8位、HIV感染率は世界第4位(17.90%)です。
歴史的にも1994年に廃止されるまでアパルトヘイト(民族分離政策)が続いていました。
民族構成や宗教も雑多です。
人口のうち、黒人系が79.4%、白人系が9.2%、混血が8.8%、アジア系が2.6%です。
宗教は、プロテスタントが36.6%、カトリックが7.1%、ムスリムが1.5%、その他キリスト教が36%と入り乱れています。
こうした社会条件のバラツキは、同じBRICSのインドにも見られるものですが、
インドには、南アにはない13億人の人口と、世界的なIT、航空宇宙分野での実績があります。
2 南アフリカ共和国の歴史
南アフリカ共和国は、ケープ植民地に起源を持つ国です。
大航海時代の初期、1488年にポルトガルの探検家バルトロメウ・ディアスが、ヨーロッパ人として初めてアフリカ最南端の喜望峰に到達すると、
1652年には、海運の要衝を押さえようとオランダ東インド会社が入植を開始。ケープ植民地が作られます。
18世紀になると、イギリスがアフリカ進出を開始。産業革命を迎えて製品の大量生産が可能になると、商業圏の拡大を目指して進出を加速させます。
ナポレオン戦争でケープ植民地の本国オランダ(ネーデルランド連邦共和国)が占領されると、その隙をついてイギリスがケープ植民地を占領します。
さらにアフリカ南部からダイアモンド、金鉱床が見つかると、ケープ植民地への併合を狙って、侵略を展開しました。
こうした中で、セシルローズやローデシアといった名前が歴史に登場していきます。
こうして1910年には、アフリカ南部の植民地を集合させて、南アフリカ連邦が成立します。
この南アフリカ連邦で行われたのがアパルトヘイト政策です。
これは、白人を黒人に優越させる人種差別思想に基づき、社会的差別を制度化する考えでした。
本人の実力とは無関係に、人種により社会的立場が決定されたのです。つまり、白人には高級職種が、白人以外には低級労働が無条件に与えられました。
1948年には、国民党が政権を握ります。この政党の支持基盤は、黒人の独立を恐れる貧しい白人層でした。
この頃、アフリカ連邦はすでに大英帝国の自治国から主権国家に格上げされており、独自の法律、軍事の施行が可能でした。
このことがアパルトヘイトに拍車をかけます。
結局、国民党は、1994年にネルソン・マンデラ率いるアフリカ民族会議に敗れるまで、南アの政権を握ることになりました。
1961年にはイギリスから人種主義政策に対する批判を受け、イギリス連邦を脱退。
このときに、「南アフリカ共和国」が成立し、立憲君主制から共和制に移行します。
21世紀に入っても、白人と黒人の格差は解消されたといえない状況にあります。
しかし、政府によるIT技術者の育成など教育プログラムもあり、状況は改善に向かっています。
3 南アフリカ共和国の自由貿易政策
南アフリカ共和国が締結する自由貿易協定には、「南部アフリカ関税共同体(SACU)」と「南部アフリカ開発共同体(SADC)」の2つがあります。
「南部アフリカ関税共同体(SACU)」は、アフリカ南端の5カ国による関税同盟です。
「世界初の関税同盟」ともいわれており、発効は1910年。1世紀以上に渡る長い歴史を持ちます。
「南部アフリカ開発共同体(SADC)」は、アフリカに作られた7つの地域ブロックの1つです。
「南部」という名称がそのことを示しています。
アフリカには、各地に7つの地域ブロックが作られていますが、最終的には1つの「アフリカ経済共同体」への統合が行われる予定です。
・西アフリカ諸国経済共同体
・中部アフリカ諸国経済共同体
・東アフリカ共同体
・アラブ・マグレブ連合
・東南部アフリカ市場共同体
・サヘル・サハラ諸国国家共同体
・南部アフリカ開発共同体(SADC)」
これら各ブロック内で自由貿易圏・関税同盟化を進め、次第にブロック同士の統合を進めます。
最終的には、EUのように、これら7ブロックを統合し、それを以てアフリカ大陸の統合を完成させる計画となっています。
「南部アフリカ開発共同体(SADC)」の加盟国は、タンザニア,ザンビア,ボツワナ,モザンビーク,アンゴラ,ジンバブエ,レソト,スワジランド,マラウイ,ナミビア,南アフリカ,モーリシャス,コンゴ民主共和国,マダガスカル,セーシェル,コモロの16カ国です。
このような中、
南アフリカ共和国の貿易協定は、すでに1国としてではなく、南アフリカ共和国が所属する関税同盟を媒介とした締結が多くなっています。
二国間締結は、日本、インドとの間に結ばれる程度で、それらは自由貿易を目的としたものではありません。
現在、南アフリカ共和国の所属する関税同盟は、以下のような域外貿易協定を結んでいます。
1 環インド洋連合[IORA]
1995年に南アのネルソン・マンデラ大統領によって提起された国際組織です。
加盟国はインド洋の21カ国に広がっており、対話パートナーには、米国、中国、日本、ドイツなど7ヵ国が含まれています。
結成の目的は、貿易、投資の活性化がメインですが、活動は多岐に渡っており
加盟国の国際協力の促進、漁獲量の調整、災害リスクのマネージメントなど、政策分野にまで及んでいます。
この組織は、貿易協定ではないので、南アフリカ共和国も国として参加しています。
2 COMESA-EAC-SADC
2015年に結ばれた協定です。
アフリカ大陸全体の統合に向けたステップとして、7つのブロックのうち3つを統合させることを目的としています。
加盟ブロックは、「東アフリカ共同体(EAC)」、「東南部アフリカ市場共同体(COMESA)」、「南部アフリカ関税同盟(SADC)」の3つです。
アフリカ大陸をほぼ縦断しており、南はケープタウン、北はカイロまで広がります。これはかつてイギリスがとろうとしたアフリカ縦断政策を連想させます。
域内人口は、6億人に迫ります。
3 南部アフリカ開発共同体(SADC)-EU 経済連携協定(EPA)
2016年にSADCとEUの間にEPAが署名されています。
これまでSADCとEUの間には、貿易開発協定(TDCA)が結ばれていました。
しかし、2016年のEPAの締結を機にTDCAは解消され、新たな協定の段階に移行しています。
また、SADC-EU間の貿易の約7割を南アフリカ共和国一国が占めており、輸出の約3割はプラチナ、貴金属などの資源となっています。
4 欧州自由貿易連合
ヨーロッパの4カ国で構成されるEFTA(スイス、リヒテンシュタイン、アイスランド、ノルウェー)と南アフリカ共和国の間に2008年に発足した自由貿易協定。
5 SACU-メルコスール特恵貿易協定
南米地域(アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラ)とSACUの間に2016年に発効された自由貿易協定。
6 アメリカ合衆国との貿易協定
アメリカ合衆国とは、AGOA(アフリカ成長機会法)、TIDCAの2種類の協定を結んでいます。
AGOA(アフリカ成長機会法)は、アフリカ諸国の産業育成のために、アメリカの国内法で制定された法律です。
対象諸国で生産された製品のうち、一定の基準を満たす製品は、無関税で米国に輸出することができます。
もう一方のTIDCAは、貿易、投資、開発協力の分野の相互協力促進のために、SACUとの間に2008年締結されています。
7 SACU-インド特恵貿易協定[交渉中]
特恵貿易協定(PTA)は、経済統合の試みの中では、最も緩やかな形態だとされています。
自由貿易圏にありがちな関税撤廃ではなく、税率低減と目標が緩やかなものであることから、経済統合の初段階にいることが分かります。
交渉中の協定であることからも、アフリカとインドの自由貿易は、現時点でまだ進んでいないようです。
4 アフリカ統合のこれまでとこれから
アフリカでもEU型の地域統合が進行しています。
第二次世界大戦後、それまで西洋諸国の植民地にあったアフリカは、次々と独立を果たします。
特にその動きが激しかったのが、「アフリカの年」とも呼ばれた1960年代です。
この60年代、1963年には早くもアフリカ統一を目指す「アフリカ統一機構」が成立します。
同じ1960年代にはEUの前身となるEC(欧州諸共同体)が成立していることからも、
アフリカの統一の構想が欧州統合と同時並行で進んでいたことが分かります。
アフリカ統一機構は、モロッコ以外の全アフリカ諸国が加盟するなど、アフリカ諸国に受け入れられていきますが、
相互不干渉の原則が大きなボトルネックになっていました。
アフリカ諸国で紛争、クーデター、経済危機などが起きても、介入が禁止されたのでは、有効な対処が取れません。
そこで提起されたのが、1991年のアブジャ条約です。
この条約では、2028年までに「全アフリカ諸国によるアフリカ経済共同体の創設」と「共通通貨"アフロ"の導入」を実現することが目標として掲げられます。
アフリカの統一を目指して、より強い権限を持った組織の創設が合意されました。
2002年には「アフリカ連合(AU)」が設立され、以降、アフリカ統合の推進主体となります。
現在アフリカ諸国には、最終的な統合を前提に7つの地域ブロックが作られています。
すなわち、西アフリカ諸国経済共同体、中部アフリカ諸国経済共同体、東アフリカ共同体、アラブ・マグレブ連合、東南部アフリカ市場共同体、サヘル・サハラ諸国国家共同体、南部アフリカ開発共同体です。
これらの各ブロック内では、まず自由貿易、関税同盟化、人・モノの移動の自由化、経済政策の調整・統一化が順次され、一つのブロックに統合されます。
さらに完成したブロック同士は融合され、最終的には一つの「アフリカ合衆国」に統合することが目指されています。
計画では、各ブロックの統合と統一通貨の導入が2019年。
アフリカ大陸全体での共通市場の創設が2023年とされています。
地域統合の最終段階の目印となるのが、共通通貨の導入です。
共通通貨「アフロ」の導入とアフリカ経済共同体(AEC)の発足によるアフリカ統一の試みは、2028年の完成を目標にしています。
5 南アフリカ共和国がBRICSに選ばれた理由(私見)
南アフリカ共和国という国を考える際も、アフリカの地域統合を前提にする必要があります。
アフリカが地域統合に成功した場合、域内人口は約11.9億人(2016年推計)、GDP約5兆ドル(2016年推計)に及ぶ共同体が出現します。
この共同体の設計は「合衆国化」の構想に基づきます。
つまり、現存するアフリカの国家、あるいはブロックは、アメリカにおける州のような立場に格下げすることが予測されます。
それぞれが独自の主権を持ちながらも、1つの「アフリカ合衆国」に所属する形態になるのです。
そうなると、各州をまとめる首都が必要になります。
おそらく、この南アが「アフリカ合衆国」の首都になるだろうというのが、私の考えです。
いえ、首都というより、最大の州といった方が良いでしょう。
アメリカ合衆国では、政治と経済の中心は分離されています。これは、日本が陥っているような首都一極化を防ぐための施策だとされています。
アメリカで最大のGDPを持つ州はカリフォルニア州、政治の中心であるワシントン州はGDPでは15位周辺に過ぎません。
それと同じように、アフリカ連合の本部はエチオピアに置かれていますが、このエチオピアは工業化の進展が遅れた農業国です。
一方、南アは、アフリカでは数少ない工業国です。
工業力、GDPもアフリカ最大です。(ランキングによっては、南アを第3位としているものがあるが、これは1、2位のナイジェリア、エジプトを高インフレが襲っているため)
さらに、南アのヨハネスブルクは、「アフリカ最大の金融センター」とも評されており、アフリカ最大の証券取引所JSEが所在しています。
南アフリカ経済の中心地であるため、テレビ局や新聞社、出版社も多く、文化の中心ともなっているそうです。
そもそも、南アは西洋人の作り上げたケープ植民地を起源に持ちます。
ケープタウンにはあの喜望峰があり、東西文明の交接点を象徴しています。南アは、歴史的に文明のゲートウェイの役割を果たしてきたのです。
その歴史背景に違わず南アが今日でも域外との貿易協定に積極的なのは、すでに見てきた通りです。
南アが所属する「南部アフリカ開発共同体(SADC)」は、EUをはじめ、インド、南米、アメリカなどに貿易の手を伸ばしています。
また、アフリカへの投資には中国も積極的なので、中華マネーも期待できるでしょう。
現在の世界経済において、自由貿易が勝負の鍵を握ります。
そのような中で、アフリカ最大の経済と金融、そして文明の結節点としての歴史的脈絡を持つ南アが、「アフリカ合衆国」最大の都市に選ばれたのではないでしょうか。
南アフリカ共和国のBRICS加入の背景には、来るべき「アフリカ合衆国」の構想があるのだと私は見ています。
つまり、南アフリカ共和国は、アメリカ合衆国におけるカリフォルニア州のような存在になることを期待されているのでしょう。