日本の東京都(2,188 km²)とほぼ同面積のホーチミン(2,061 km²)。
人口は、東京都よりも約500万人ほど低い数字になっています。
ホーチミン | 東京都 | |
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人口 | 863.7万人 | 1385.7万人 |
面積 | 2,061 km² | 2,188 km² |
ホーチミンは、ベトナム経済の中心地です。
これは、政治の中心地ハノイと好対照です。
2015年統計のGDPでは、ホーチミンの約957兆ドン(約4兆6200億円)に対し、ハノイは約382兆ドン(約1兆8400億円)に過ぎません。
一方ハノイには、ベトナム共産党本部を始め、立法府など行政の中心組織が立地しています。
これは、政治の中心地はハノイ、経済の中心地はホーチミンということを裏付けています。
入国まで
日本の観光ビザでのノービザ滞在は15日が期限。さらにベトナムの入管ルールとして、30日以内にベトナムへ入国した旅行者は、再入国できません。
プノンペンからバスでの陸路入国だったので、道中の出入国管理で手続きを済ませます。
バスが出入国管理の外に止まると、降りてバスの添乗員にパスポートを手渡し、建物の中で入国管理を済ませます。
建物の中に入ると、内部では、カンボジア国内から集まったバスの乗員があちこちに列を作り、検査の順番を待っていました。
20分経った頃、バスの添乗員から奥に進むよう促されるので、そのまま進みます。
奥には厳しい眼光をちらつかせながらデスクの後ろの椅子に腰をかけて身構えている検査官が待っていました。
・・とはいえ、管理そのものは非常に雑。
パスポートを手渡し、「出国期限を過ぎていないか、顔写真はあっているか」といった簡単な検査を受けるだけ。
荷物検査もなく、正直言って危険物の持ち込みもごまかせるのでは?と不安になるレベル。
そんなゆるい審査を済ませ、バスに揺られていると、既に辺りは暗く、夕刻のホーチミンに到着していました。
ホーチミンの物価
平均月収・約5万円のホーチミン。
これはホーチミンがベトナム屈指の大都市である通り、給与水準としてはベトナム最高です。
といいつつも、ハノイと物価は変わらない印象を受けました。
(10,000ドン=48円、4月26日)
商品名 | 価格(ドン:VND) | 日本円換算(円) |
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安宿 | 25万~35万 (VND/泊) | 1,200円~1,680(円) |
水(1L) | 1.1万(VND) | 53(円) |
缶ビール | 1.3万(VND) | 62(円) |
スパゲッティ (ファミマ) | 2.7万(VND) | 130(円) |
弁当(ファミマ) | 3.2万(VND) | 154(円) |
寿司小(ファミマ) | 3万(VND) | 144(円) |
安ホテルのクオリティ
ホーチミンの安宿も、ハノイ同様、高いコストパフォーマンスを発揮していました。一泊の相場は、1泊30万ドン(1,450円)。
設備的にも、温水、冷蔵庫などが概ね完備。Wifiの安定度も及第点。
コスパの点では問題ないと思います。
ただし、高確率で蟻が湧いたり、大量のゴキブリと遭遇することになるでしょう。
エリアによっては、ネズミが部屋に侵入してくるホテルもあります。
詳しくは↓に書きました。
www.ossanns-oblige.com
ホーチミンの食べ物
屋台、レストランなどの飲食店が充実しており、料理のクオリティも悪くありません。同価格帯でのクオリティは、首都ハノイよりも上に感じました。
隣国のカンボジアに比べると物価は上がりますが、衛生レベルの違いを考えると、当然の物価差といえるでしょう。
日本の感覚からすれば低価格で、質の良い料理を楽しむことができます。
日系レストランやコンビニの進出率も高いので、カンボジアで苦労した「衛生的な食の供給」には、まず困りません。
多様な先進国投資を受けてきたホーチミン(サイゴン)料理のテイストは、ほぼ先進国と同じと言っても間違いありません。
✔︎ アメリカ(ベトナム戦争時代の拠点)
✔︎ 日本(ベトナム戦争終結後の日系企業の投資)
北ベトナムのハノイは、伝統的なフォー中心の食文化だった一方、ホーチミンの食文化は多様化・国際化しており、様々な食を楽しむことができます。
北ベトナムのハノイでは、伝統的なフォー中心の食文化といった印象を受けました。
しかし、ホーチミンの食文化は多様化しており、様々な食を楽しむことができます。
街の風景
メコンデルタの外洋付近に位置するホーチミン(サイゴン)は、外国との接触に長い蓄積があります。最初の接触は16世紀のポルトガル航海士。
当時争っていた北の鄭氏との戦いのため、ポルトガル技術士の援助の下、青銅製の鉄砲の自給に成功しています。
続いてフランスと接触し、18世紀の西山党の乱の鎮圧、ベトナム統一も、フランスの力を借りて達成します。
さらに、1858年には進出てきたフランスの植民地となり19年まで統治下にありました。(都市のベース)
フランスの撤退後は、アメリカの「反響の砦」として膨大な援助を受け、インフラストラクチャーの整備が大きく進みました。
さらにベトナム戦争後は、日本企業の進出、2009年からは韓国が東南アジアにおけるスマートフォンの製造拠点として位置付けるなど、成長国からの投資も受けてきました。
こうした歴史を反映して、都市は国際都市の趣を呈しています。
かといって伝統的な南ベトナムの文化、建造物もないがしろにはされてはいません。
この点は、アメリカに対して発揮した激しい抵抗にも現れています。
都市の風景は多層的です。
これは一種のカオスといえますが、インドほど散発的、混合的ではななく、区画ごとに異文化を携えた都市が分立しているイメージです。
ホーチミン市の1区は、レタントンという日本人街が割り当てられています。
ホーチミンの人
親日的で「日本人ですか?」と声をかけられることが、少なからずあったと思います。
外国人に対しても概ねフレンドリーなように感じました。
首都の特徴である、面倒ごとに首を突っ込まない、他人に対する無関心さはあるものの、ハノイやプノンペン、東京に比べると希薄です。
日本語ウェブでは、「ぼったくりの激しさ」を伝える記事が散見されます。
しかし、自分に限っては、2週間の旅で片手の指で足りる程度ではなかったかと思います。
仕事ぶりは雑な人も散見されましたが、基本的に勤勉で真面目な印象を受けました。
ただし、契約以外の仕事はやらないといった合理性(?)、コンビニのレジでのビニール詰めがテキトーといった怠惰さ(綺麗に詰めようと思えばできる)が根底に流れている印象は受けます。
人々は、冷静かつ穏やかな方が多い。
ハノイで頻発した激クラクションにも、ほぼ遭遇しませんでした。
インドとの類似点・相違点
東南アジアの一角である南ベトナムも、インド化した地域の1つです。元々は、チャンパー王国やクメール王朝が今日のホーチミンを領土に収めていました。
しかし1690年代以降、北部からベトナム人の入植が進んでベトナム領に組み込まれます。
インド系民族の影は今日では人々の面影にうっすらと残る程度です。
食、衣服、建築物に至るまで、インド様式は完全に廃れ、ベトナム、フランス、アメリカ、日本的なもので置き換えられている印象を受けました。
しかし、北ベトナムのハノイで激しく感じられた気性の激しさ、厳しさといった要素が、ホーチミンでは緩和されている印象を受けました。
これは、もしかすると南方系の血の影響もあるのかもしれません。
改善してほしい点、注意点
ホーチミンは、私にとって稀に見るパーフェクトな都市です。しかし、夜歩きには気をつけてください。
1件だけ露骨なスリにありました。
夜の街路を1人で歩いている最中、バイクに乗ってやってきた、体格のしっかりした女性に声をかけられました。
口元にはマスクをつけています。
若い女性の身なりをした彼女は、意味不明な言葉をひっきりなしに私に投げかけてきます。
当時私は腹部に回してつけるポーチを装着しており、貴重品は防犯対策のため、このポーチの中で管理していました。
不思議に思いながらも、旅の孤独感から彼女の言葉に耳を傾ける中、このポーチ周りに違和感が発生します。
何かと思って目線を下ろすと、なんと女性が私のポーチをいじくりまわし、中から現金を抜き取ろうとしているではありませんか。
しかもこの女性、よく見てみると、若い女性の身なりをしているものの、マスクと髪の毛の間からシワの入った肌が浮き出ており、老年であることは明らかです。
しかもやや体格が立派で、どうやらそれは女性のものではないようでした。
私が違和感に気づいたことを悟ると、今度は力ずくで私のポーチから現金を取り出そうとします。
ここで状況を悟ったので、一喝し、多少の力を加えることで、なんとか状況を乗り切ることができました。
しかし、これが多勢に無勢の状況なら、どうなっていたかわかりません。
またその数日前には、真夜中の路上で、通りすがりに見知らぬオヤジから、「ハッパ」と声をかけられたこともありました。
ベトナム戦争の記念として残されているクチトンネルでは、実弾の発砲が可能なようです。
ならば、民間人が所有していても不思議ではありません。
同じように、薬物がアンダーグラウンドで流通していないとも言い切れません。
このように、完璧で安全に見えるホーチミンも、区画や時間帯によっては、犯罪行為に遭遇する危険性は一気に高まります。
特に女性の場合、そのリスクは高まります。女性の一人歩き、また夜歩きは避けるべきでしょう。
ホーチミンに訪れる価値はあるか?
ホーチミンに訪れる価値はあります。
ベトナムと聞くと、まだまだ後進国をイメージする人が多いと思います。
しかし、歴史的に先進国との交流が深いホーチミンに関しては、多大な先進国投資を受け、大都市化しています。
19世紀のフランスの進出以降、ホーチミンの開発を引き継いだフランス・アメリカが築き上げた都市の充実度は非常に高いレベルに達しています。
ベトナムの地政(自然)と西洋建築とが衝突することなく調和しています。
景観的にも、都市を流れるサイゴン川と、それを囲むフランスのコロニアル様式の建築群は圧巻。
ルアンパバーンの旧市街地にも通じる、自然と一体化した壮麗な西洋建築に出会うことができます。
日系店舗の進出も進んでいるので、馴染み深い料理を手に入れることも難しくありません。
それでいて、まだまだ先進国に比べると低物価です。
コンビニの商品は日本の約1/2なので、充実した日々を過ごせるでしょう。
大都市でありながら、人口も増加傾向にあります。
ベトナム戦争という苦難を乗り越えたエネルギーは、活力として都市を覆っています。
かつて先進国が通り過ぎた都市の光景に出会うことができることでしょう。
総評
同じベトナムでも、北のハノイと南のホーチミンは、異なる顔を持っています。
北のハノイで窮屈な思いをしたならば、それは経済的な停滞(歴史的に中国との戦いに明け暮れ、外国との接触も少なかった)が影響しているのかもしれません。
それに比べると南のホーチミンは、外洋に近く、16世紀から西洋の国々と交流してきた歴史を持つ都市です。
外部の人間に対して一定の寛容性を持っています。
ハノイのような激クラクションも少なく、安心して旅行を楽しめる都市であると評価します。
都市区画ごとに性格が異なり、景観が変わってくるのも趣の1つです。
現地の親日度も高いので、日本人なら1度は訪れたい都市ではないでしょうか。