Ossan's Oblige "オッサンズ・オブリージュ"

文化とは次世代に向けた記録であり、愛の集積物である。

東南アジアの歴史

「マンダラ理論」を知れば、東南アジアが分かる?【東南アジアの国家理論の原型】

歴史には、地域特有の統治形式を表す概念が登場します。 例えば、ヨーロッパ中世の封建制度、中国の朝貢外交は、文明圏の性格や地政学的条件を反映した伝統的な統治方式です。では、東南アジア地域における統治様式は、上記2パターンのどちらかで説明が効く…

【マンダラ理論】99%の日本人が知らないアンコールワットの建築モチーフ【マンダラの中心に君臨するDivine King】

アンコールワットは、カンボジアが誇る東南アジア屈指の宗教建築です。しかし、なぜアンコールワットが世界的な注目を集めるに至ったかというと「?」の方が多いのではないでしょうか?実は、アンコールワットの建築構造は、東南アジアの王権思想を象徴して…

【DNA鑑定】Y染色体ハプロタイプが立証するカンボジアとインドの近縁性 - カンボジア・インド同祖論③

「インド化」の影響は東南アジア全域に及んだのに、どうしてカンボジアにだけ強い名残が感じられるのでしょうか?それは、カンボジアとその他の国々が歩んだ歴史の隔たりに依存しています。 カンボジア人とインド人の類似性は遺伝子の連続性にまで遡及するこ…

【類似性の歴史的背景】「東南アジアのインド化」 - カンボジア・インド同祖論②-3

1、カンボジアは最も強いインド化(ヒンドゥー教)の影響を受けた地域では、「インドと似ている」カンボジアのインド化は、どのような経過を辿ったのでしょうか? 以下に、カンボジアの歴史を見てみたいと思います。東南アジアの歴史は、貿易を求めてやって…

【類似性の歴史的背景】「東南アジアのインド化」 - カンボジア・インド同祖論②-2

東南アジアの王朝成立を促したインド文化とは?東南アジア最初期の王朝の成立時期は、インド商人の東南アジア渡航が始まった時期と重なっています。1世紀に始まったローマのインド洋貿易は、中国絹を求めて東南アジアへ渡航するインド商人の群れを生み出しま…

【歴史的背景】 カンボジア・インド同祖論②-1【インド化】

経済の華僑支配が進みつつある東南アジア。 しかし、東南アジアの文化の根底にはインド文明の影響が脈々と受け継がれています。このことは、「インドシナ」の名称を見ても明らかです。(インド+シナ) 実際、インド・東南アジアの両方に足を踏み入れたこと…

カンボジアって、なんかインドと似てね? 【フランス人も認める】- カンボジア・インド同祖論①

1. カンボジアってインドと似てね?インドの後にカンボジアを訪れた人なら、誰もが次のような印象を持つのではないでしょうか?「インドと似てね?」 カンボジアへ初めて足を踏み入れた時、妙な襲われました。それは、インドとの親近感です。 特に、カンボジ…

8世紀の中国・雲南地方に存在した南詔とは?【タイ族、ラオ族、ビルマ族の故郷】

今日、自国の多数派を占めるタイ族、ビルマ族は、ともに雲南地方から東南アジアへ移住してきた部族です。 この「南詔」とは、どのような歴史を歩んだ王朝だったのでしょうか?南詔(737~902)とは?南詔とは、8世紀に、中国南部の雲南地方(中国本土とインド…

【タイの白人至上主義の原点?】ラタナコーシン朝時代のシャム(タイ)

アユタヤ陥落後の混乱期をまとめ領土拡大を果たしたトンブリー朝1767年、ビルマ・コンバウン朝の軍隊がアユタヤ朝の首都アユタヤを陥落させました。 しかし、ビルマのアユタヤ支配は7ヶ月程度しか続きません。ビルマ本国で清朝との清緬戦争(清朝・ビルマ戦…

【インドと中国の代理戦争】中世のインドシナ半島に台頭したタイ族3王朝

日本人に馴染み深いタイ王国、そのルーツに迫ります。第1章 : 雲南からやってきたタイ族がインドシナに定着するまで 雲南を出発したタイ族は、メコン川支流の河川に沿って、広域に広がりました。メコン川の支流はインドシナ半島に広がり、今日の東南アジアの…